17 クラスマッチ⑨「俺の…せいだ…」
優琉はそのまま時計を見続けた。
目の前を、特進クラスのランナーたちが走りすぎていく。
そして最下位の襷リレーが行われる。
「3分46秒…」
「優琉、どうしたんだよ、何かわかったのか?」
「周回遅れだ…。今はまだ3区だけど、このまま差が開けば、5区の時点で周回遅れが出る。」
「ああ。あっ、そうか!」
俺にもわかった。つまり、5区の三琴がスタートする時には、すぐ前を下位チームの4区、男子たちが走っているのだ。仮に、特進の3クラスが鍔迫り合いをしていたとしたら、三琴の走路は塞がれてしまうだろう。
周回遅れに引っ掛かってペースが落ちれば、前半に作ったリードがふいになってしまう。
「しかも、もうどうすることもできない。」
「八木さんに伝えるか?」
「伝えてどうなる。何か対策があるならいいけど、『周回遅れは頑張って追い抜け』って言うことしかできないぞ。」
「そうだな…。」
周回遅れのシーンは、去年もあった。しかしそれは6区になってからだった。
6区の男子が、5区の女子を追い抜くのはさほど難しいことじゃない。
今年の二年B組が選択した「先行逃げ切り作戦」は、序盤に大きなリードを作った。
その結果、5区の女子が4区の男子を抜かなければならない、という事態になったのだ。
「俺の…せいだ…。」
優琉は頭を抱えて、うずくまった。
「これこそが翔太の罠だったとしたら、見事にしてやられたってことだ…。」
そうしている間に、3区の北原菜摘が直線道路に戻ってきたようだ。
校内スピーカーがそのことを告げ、周囲で声援が大きくなる。
懸命に走る菜摘の後ろに、C組、D組のランナーが見えた。
優琉が時計を見るのをやめてしまったから、この場でタイムはわからないが、感覚的には少し差が縮まったように感じる。それでも、B組が1位で4区の男子に襷をつないだ。
「しっかりしろよ、優琉。まだどうなるか、わからないだろ。」
俺はうずくまったままの優琉の肩を揺さぶった。
「まず冷静になれ。翔太のことを意識しすぎるな。」
「そ、そうだな。悪い。」
優琉は力なく言って、立ち上がった。
「アンカー同士の対決になるとどうなるんだ?」
「C組のアンカーは陸上部。D組のアンカーは野球部だけど、5区の女子が陸上部だ。八木さんはD組の陸上女子から逃げることになる。」
「なるほど。」
「5区のスタート時点で、C組と45秒、D組と60秒の差ならいける、と考えていた。6区のスタートではC組と60秒の差がほしい。D組には追いつかれても大丈夫だと思う。」
「B組のアンカーは誰だっけ。」
「サッカー部の上野原だよ。あいつは部の中でも運動量の多さで定評があるし、瞬発力もある。陸上部にはかなわないだろうが、60秒差があれば逃げ切れるし、D組の野球部には負けないはずだ。」
「そうか、上位争いは計算してたけど、周回遅れまでは計算できてなかった、ってことだな。」
「その通りだよ。B組を先行させて、5区で一気に詰めて、6区で逆転する…そういう筋書きだったとしたら…。」
「そこまで考えるかなあ、あの翔太が。」
「考えたのは誰か他の人間だったかもしれない。だけどB組を先行逃げ切りで行かせるためにはどうすればいい?翔太が俺を罠に掛けるってのが一番てっとり早いよな。」
「まあ、そうだな。」
そんな計略を巡らせていたとしたら、C組の作戦会議はさぞかし盛り上がったことだろうな。
俺はなんだか可笑しくなってきた。
「だけどさ、優琉。そうなるってことは他のメンバーだって予測できなかった、計算しきれなかったんだろ。陸上部の宮原でさえ、気づけなかったんだったら、そんなの優琉のせいじゃないよ。」
「悠生…、さっき亜希が言ってただろ?優しくすることと甘やかすことは違うんだよっ!」
「ばか、甘やかしてねえよ。事実だろ。」
「これはもう、亜希の言う通り、信じて待つしかねえな。」
「そうだな。なあ、優琉。」
「うん?」
「祝勝会、どうしようか。」
「祝勝会だと?お前、こんな時によくそんな呑気なことが言えるな。」
「今、信じて待つって言ったじゃねえか、勝つと信じて待つんなら、祝勝会のこと考えておかないと。」
「牧村が優勝したら考えるって言ってたぞ。」
「それはクラスのやつだろ。それはそれで行くけどさ、俺たちの祝勝会もやろうぜ。翔太も呼びつけていびってやりたいし。」
「俺たちが勝ってる想定なんだろ?翔太が来るかな。」
「翔太は気にしないよ、そんなこと。肉でもチラつかせれば喜んで来るよ。」
「それもそうだな。」
「あ、じゃあさ、俺の家でやろうか。美悠もいるし。」
「なんか久しぶりだな、そういうの。」
「いつ以来かな、亜希が引っ越してからは誰かの家で集まったって記憶がないけど。」
「うーん、たしかにこの前、翔太の畑で集合した時に懐かしい感じがしたな。」
「八木さんの歓迎会もまだだったしさ。」
「だな。やるなら早い方がいいよな、明日とか。」
「いや、明日はちょっと…」
「なんだ予定があるのか。」
「違う、たぶん筋肉痛で動けない。」
「あははは、情けねえなあ。」
ようやく、優琉は晴れやかに笑った。
「ま、日時はあとで決めるとして、今は八木さんを応援しようぜ。」
「ああ。」
特進の3区ランナーが戻ってきた。二年、三年、一年の順で次々に襷をリレーする。
「1位、二年B組。」
校内スピーカーがB組の4区ランナーが直線道路に入ったことを告げる。
いよいよ、三琴に襷が渡るが、特進の襷リレーから、まだ1分も経っていない。
「2位、二年C組、…3位、二年D組。」
二Cと二Dも来た。
優琉が時計を見る。
B組4区の堀口陸から、三琴に襷が渡る。
大声で声援しようと思ったが、周囲の音にかき消されそうだったからやめた。
二Cと二Dも襷をつないだ。2位と3位はほぼ同着だったようだ。
「55秒か…」
三琴は速い。この二週間の朝練で、ラクロス部の頃の走りを取り戻した、と言っていた。
それに、歴代の区間記録に並ぶようなタイムで翔太の畑の外周を走っていた。
それこそ普通に走れば、二Dの陸上部をもってしても差を縮めるのは難しいはずだ。
「6位、一年D組、…7位、三年C組。」
続々と、4区ランナーが直線道路に戻ってくる。
(早く、早く来い…)
4区ランナーがたくさん戻ってくれば、その分、三琴の負担は軽くなるはずだ。
俺も優琉も、今はもう言葉を発しなかった。ただ祈るしかない。
「8位、三年D組、…9位、一年B組、…えっ、えっと5区1位、二年B組」
地鳴りのような歓声が校内に広がった。
「えー、4区10位、一年A組」
俺も優琉も声が出ない。三琴が戻ってきたのだ。
12位から10位まで、特進クラスの男子3人を抜き去ったということだ。
「4区11位、二年A組、4区12位、三年A組、5区2位、二年D組…」
順位を伝える運営委員も混乱しているようで、アナウンスがたどたどしくなっている。
三琴の姿が見えてきた。その前に、9位の一年生が走っている。
(無事に走れたみたいだな)
と、安心していると、三琴が、明らかにペースを上げた。
まるで前を走る一年生に襲いかかるかのように、加速したのだ。
「おいおい、できすぎだろ。」
優琉が唸る。さっきまで優琉を苦しめていた「翔太の罠」はなんだったのか。
9位の一年生、ぎょっとして、思わず振り向く。
もう後ろには特進クラスしかいないはず。なのに足音が近づいてくる。
そんな驚きが伝わってくる。
そして、その驚きはさらに、三琴の姿をとらえて増したにちがいない。
思わずフォームを崩す一年生を、三琴はあっさりと追い越した。
襷を両手で広げるように持ち直しながら、三琴が駆け込んでくる。
その襷をアンカーの上野原が受け取り、コースに飛び出していく。
気づけば、俺はゴール地点へ走り出していた。
走り切った三琴が、崩れるように地面に倒れるのが見えた。
その三琴に、俺より早く近づいたのは、本部席から飛び出して来た亜希だった。
「三琴ちゃんっ!」
亜希の叫ぶ声が聞こえる。亜希が三琴を抱き起こす。
俺が追いついた時、三琴は亜希の腕の中で笑っていた。
「亜希ちゃん、けっこう…頑張れたよ」
「うん、うん、三琴ちゃん、すごいすごい、速かったよ、ありがとう。ありがとう!」
亜希が三琴を抱きすくめる。
俺は二人に近づいて、それから静かに言った。
「亜希、八木さんが苦しそう。」
亜希がハッとして、両手を離し、三琴がふらついたのを慌ててもう一度抱きとめた。
(今は話せそうにないな)
そこに、二年D組の5区ランナーが還ってきて、襷リレーが行われた。
二年C組も来たが、差はかなりついているようだ。
「D組と60秒、C組と95秒。さすがに抜かれることはないだろ。」
優琉も後ろに追いついて来て、そう教えてくれた。
アンカーの上野原がトップでゴールテープを切ったのは、それから5分ほど後だった。
駅伝優勝、二年B組。
俺たちの総合優勝が決まった瞬間だった。




