15 クラスマッチ⑦「悠生っ!走れ、悠生っ!」
グラウンドに面した校舎の壁に、巨大なスコアボードが貼り出されていた。
各クラスに与えられる得点が確定するたび、点数が貼り替えられる。
午前中は準決勝が行われ、「ベスト4止まり」だったクラスに2点ずつが与えられた。今は三年B組がトップだが、まだ4点に過ぎない。学年を問わずいくつかのクラスに2点が並んでいる。
午後の最初の競技は女子の400mリレーだ。二年B、C、D組と、三年C組が決勝に残っている。
二年B組からはバレー部、ダンス部と、クラスマッチ委員でテニス部の牧村陽菜、陸上部の短距離エースの岩瀬菜々美が出場する。
号砲が鳴って最初の走者がスタートした。100m×4人のレースだから1分とかからず決着する。
第2走者、第3走者、と順調にバトンが繋がれていった。僅差だったが、二C、二D、二B、三Cの順にアンカーにバトンが渡る。
岩瀬菜々美が前を行く二人を追い抜き、歓声が大きくなる。菜々美の後ろから三Cのアンカーが迫る。
「行け、岩瀬ー!」
俺たちサッカーチームも大声を張り上げていた。
「菜々美ーっ!」「菜々美ちゃんっ!」
と黄色い叫び声がして、横を見るといつのまにか亜希と三琴が隣に来ていた。
最後の最後、ゴール直前で三年C組の先輩がわずかに前に出て、勝利をもぎ取った。
菜々美は「あーっ!」と叫んで悔しがったが、準優勝4点の加算は大きい。
俺たちは大きな拍手で菜々美たちリレーチームの健闘を称えた。
直後に行われた男子400mリレーでは下馬評の通り二年D組が圧勝。
男女の卓球は二年B、C、D組が仲良く点を分け合って6点ずつを加算した。
ソフトバレーでは二年C組を破った一年D組が決勝でも二年D組を下して優勝。
スコアはB組10点、C組10点、D組20点。
しかしD組にはもう駅伝しか残っていない。
B組とC組はこれから女子バスケと男子ミニサッカーの決勝がある。
両方優勝すれば12点が加算されてD組を抜ける。
駅伝は1位が12点で、2位11点、3位10点、という風に順位ごとに1点ずつ得点が減っていく。
2点リードで駅伝を迎えられれば、余裕を持って戦える。
逆に、両方決勝で負ければ事実上脱落することになる。
グラウンドではサッカーゴールの設営と、ライン引きが行われていた。
「こりゃ、女子バスケが先に始まるな。」
グラウンドの隅でアップをしながら、誰かが言った。
試合時間も女子バスケの方が短いから、おそらく俺たちは試合途中で女子バスケの結果を知ることになるだろう。
(亜希は大丈夫かな)
ふとそう思った。
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能の生徒会長。亜希はそう言われている。
容姿はともかく、勉強もスポーツも生徒会も、亜希が全力で努力してきた結果だ。
完璧主義とまでは言わないが、関わる以上は最善の結果を残す、という意気込みを感じる。
決勝を前に、重圧がないはずがない。
(ま、俺が心配しなくてもあいつは大丈夫か)
俺の知る限り、亜希が失敗したのは高校受験くらいで、それを除けば自分の望む結果を自ら引き寄せてきたのだ。
(勝ち負けなんてどうでもいいんだからな)
たかが学校行事だ。クラスのみんなで頑張って、楽しめればそれでいい。
そう思いながら、体育館に目をやると、体育館から走り出てくる人影があった。
三琴だ。
俺が優琉の背中をつついて、優琉も三琴のほうに視線をやると、少し控えめに、それでもはっきりと手を振ってから、顔の前で拳を作って、「がんばってね」というジェスチャーを送ってくれた。
俺と優琉も手を挙げて応え、俺は体育館のほうを指差して「バスケの応援頼む」という意思を伝えた。
その意図が通じたらしく、三琴は力強く頷いてから体育館のほうに体を向けた。入口まで戻ったところで、例によって一度振り返り、小さく手を振ってから体育館の中に消えていった。
それから間もなく、サッカーコートの準備が整った。
俺たちは円陣を組んで、互いの背中に手を回した。
「さあ、決勝だ、叩きのめしやろうぜっ!」
優琉の檄に全員が雄たけびを上げ、俺たちは決勝の舞台へと向かった。
クラスマッチ、男子ミニサッカー決勝。
駅伝の前に、もっとも盛り上がる競技なのだが、その異様な雰囲気にはさすがに戸惑った。
「剣持くーん!」「すぐるー!」「優琉せんぱーい!」
女子生徒から優琉に向けた声援と嬌声が、サッカーコートを覆っていたのだ。
(ああ、さっきの試合でファンを獲得したんだな)
わかる気もする。なんといってもサッカー部のエースである王子様を完封し、巧みな足技で相手を翻弄して2ゴールを挙げた優琉である。人気選手の新旧交代とでもいうのだろうか。
(いささか節操がないが)
きっと多くの女子はさっきの試合では千葉先輩に声援を送っていたのだろう。
「優琉、大丈夫か?」
さすがにプレッシャーを感じているのではないかと声を掛けたんだが、
「ん、なにが?」
と振り向いた優琉の目はキラキラと輝いていた。大丈夫そうだ。
「しっかりおいしいとこ持ってけよ。」
「おうよ。」
二年B組対C組。整列して挨拶。当然、よく見知った顔が多い。
キックオフの前には独特の緊張感が走る。
審判は三年生のサッカー部主将だ。
ゴールキーパーを含め、五人の選手が持ち場につくと、笛が鳴り、試合が始まった。
優琉は「俺はドリブルしてるんだから追いつける」と言っていたが、とんでもない話だった。
グラウンドを縦横無尽に駆け回る優琉に、ともかく追いすがる。
(2m、2m…)
ともかくその指示通りに距離を保つことに神経を注ぐ。
近くにボールが来ても、知ったことではない。優琉のそばを離れない、それだけ考える。
俺がそんな感じだから、どうしても相手のチャンスが多くなる。
何度も相手が優位な形勢が生まれ、C組のフォワードがゴール前に走りこむ。
しかし、優琉が言っていた通り、そこに絶好のセンタリングが上がることはなかった。
キーパーの井出が弾いたボールを味方が回収し、優琉にパスする。
優琉はそれを的確に受け止め、ドリブルを開始する。
その横を走る。
(優琉のやつ、ドリブルしてても速いじゃねえか!)
追いつけない、と諦めかけた時、優琉のドリブルは相手に阻まれて止まる。
(…そういうことかっ)
ようやく優琉の言っていたことを理解した瞬間、ボールが足元に飛んできた。
蹴りやすい場所に、ちょうどいいスピードで入ってきたボールを、優琉に蹴り返す。
(ありゃりゃ)
俺が蹴ったボールは相手選手の足元に転がり、奪い返されてしまった。
「いいぞ、悠生、それでいい!」
優琉が叫んで、ボールを追って戻っていく。
それにも、ついて行かなくていけない。
(なんの拷問だよぉ)
しかし毎日朝練で走った成果なのか、体はまだ動けそうだ。
ボールがコートの外に出て、スローインまでのわずかな時間だけ、休める。
優琉が近づいてきて、俺の肩をバチンと叩き、
「その調子だぞ、悠生。」
と声を掛けていった。そう言われても、「どの調子」なのかさっぱりわからない。
二度三度と同じような状況があったが、優琉からのボールを受け損なったり、返すキックを失敗したり、なかなか上手くいかない。俺にパスをせず、優琉がシュートすることもある。惜しい場面もあるものの、ゴールに入らない。
(いつまで続くんだ、これ。)
相手のC組の選手にも疲労の色が見えてきた。
攻め上がって逆襲される、の繰り返しだから、走らされているのは俺だけじゃないのだ。
相手フォワードのシュートを井出が弾く。
ただ弾いただけじゃなく、直接優琉にボールが渡った。さすがリベロだ。
優琉がドリブルを開始する。
観客からの黄色い嬌声が大きくなる。
俺は夢中でその後を追う。
ゴール前に迫り、相手のゴールキーパーが優琉の前に立ちはだかった瞬間、優琉はシュートせず、右後ろにボールを転がした。そこに追いついていく、俺。
転がってくるボールになんとか足先を伸ばし、優琉に戻す。
ボレーシュート、というのだろうか。
俺が蹴って地面から少し浮き上がったボールを優琉の右足がとらえたのだけは見えた。
俺はそのままバランスを崩して転倒したのだが、体を起こした時に見たのは、相手ゴールの中に転がっているボールだった。
爆発するように声援が沸き上がり、すぐ後に審判のホイッスルが聞こえた。
前半終了。1-0。
(ああ、やっと終わった)
俺は地面に転がったまま、しばし休めることに感謝した。
「よくやった、悠生、最高だった!」
優琉がやって来て、俺の手を引いて起こしてくれたが、俺は息も絶え絶えで、
「ばか、最高なのはお前だよ。」
と言い返すのがやっとだった。
ハーフタイム。ふらふらとベンチに戻って、ドリンクを飲んでいると、
「悠生、おつかれ。」
と、優琉が言った。俺はお役御免だな、と思ったら、
「後半はしばらく肉の壁でいいぞ。」
「えー、まだ出るのかよ。」
「当然。同点にされたらまたやるぞ。」
(そういえば「こき使っても気が傷まない」って言ってたな、ちくしょう…)
そのまま仰向けに倒れこんで空を見上げた。信州の秋の空は高く、青い。
後半が始まった。
俺はめでたく肉壁係に就任したから、ゴール近くに待機した。
優琉からは、
「高井だけ見てればいいからな、高井とゴールの右側のポストの間に常に入るように位置を取れ。」
と指示があった。高井というのはC組のストライカー、高井瑛太のことだ。
だがC組だって必死で考えている。
彼らは戦略を変えてきたようだった。
こちらのゴールキーパーがキャッチせず、弾くのに専念していることに気づいたのだろう。
高井がシュートを打たず、他の選手がシュートしてくるようになった。
その精度は低いのだが、次第にゴールの枠内に入るようになってくる。
キーパーの井出が弾くと、そのボールを狙って高井が飛び込んでくるのだ。
一度目のヘディングシュートは肉壁の俺に当たって外れた。
二度目のボレーシュートはバーを叩いて跳ね返った。
「井出、前に弾かなくていいぞ!」
と優琉が叫ぶ。
「それは無理っ!」
と井出が叫び返す。バレーボールのリベロだもんな、それはしょうがない。
三度目のヘディングシュートが、井出の足元でバウンドし、高く跳ね上がってゴールネットに突き刺さった。
1-1。同点。
俺にとって、それは地獄の再開を意味していた。
「悠生、行くぞっ」
「あいよっ」
ハーフタイムと、肉壁をやっていた時間とで、体力は少し回復していた。
俺はまたゴール前を離れ、優琉の横に移動する。
残り時間は、もうほとんどない。
一進一退の攻防から、チャンスが巡ってきた。
優琉がボールを受け取り、ドリブルで相手陣内に攻めこむ。
俺がその横を追随する。
「すぐるー!!」
優琉への大声援が沸き起こった。その声に押されるように、優琉が加速していく。
「悠生っ!走れ、悠生っ!」
一人だけ、俺の名前を連呼している声がした。亜希だ。
(ちくしょう、わかったよ)
優琉がディフェンダーをかわして、ゴール前に迫る。
さっきと同じような状況だ。
俺もスピードを上げて、優琉の右後ろに追いつく。
優琉が俺のほうにボールを蹴り戻し、
「打てっ!」
と叫んだ。打てって、シュートのことか?
優琉が左に動いて、それにキーパーがつられ、目の前にゴールネットが見えた。
足元にボールが入ってきて、小さく弾む。
「おらあっ!」
後で聞いたことだが、そう俺は叫んだらしい。
ともかく、俺は無我夢中で蹴った。




