13 クラスマッチ⑤「そんなわけないでしょ!」
19時8分発、小諸行きの電車が信濃追分駅を離れていった。
いつものように、小さな駅舎からスポーツバッグを肩に掛けた美悠が出てくる。
「ただいまー!」
「おう、おつかれ。」
美悠を迎えて、いつもの上り坂を歩く。
「この時間でもう真っ暗だね。」
と美悠。たしかにだいぶ日が短くなった。
この道はところどころに空き家や藪があって暗い。だから、こうして迎えに出ることになる。
「そういえばお兄ちゃん、もうすぐ、なんだっけ、運動会みたいなやつだよね?」
「ああ、クラスマッチな。美悠、なんでそんなこと知ってるんだよ。」
「電車待ってる時間が少し長かったから、去年の日記読んでた。」
そう言いながら、スマホを見せてくる。
「去年の日記に書いてあんのか?」
「うん、走る特訓してあげたじゃん。」
「お前が勝手についてきたんだろ。」
「だって夜のランニングなんて一人じゃできないもん。」
「それがどうして『特訓してあげた』になるんだよ。」
「お兄ちゃん、一人だったら途中から絶対歩くでしょ?」
まあ、それはたしかに。
「今年は何に出るの?」
「今年はミニサッカーだよ。優琉と一緒。」
「じゃあ、夜の特訓はしないの?」
「ああ、しないな。今年は朝練やってる。」
「えっ、そうなの?知らなかった。」
朝練はこのところ毎日やっているのだが、それに気づかないとは。
たしかに、翔太の畑から帰って、シャワーを浴び、朝食の準備をしながら美悠を起こしている。
「ああ、翔太たちとな。」
「どこでー?」
「翔太の家の畑で走ってる。」
「なんで優兄と一緒のチームなのに翔兄と練習するのよ。」
「いや、優琉もサッカー部の朝練がない日は来てるぞ。」
まだ2回だけだがな。
「へえ。亜希ちゃんは?」
「亜希はときどき来るけど、生徒会も忙しいからな。」
「もしかして三琴さんも一緒?」
「ああ、八木さんは毎日ちゃんと走ってるな。」
「ふーん。」
「なんだよ、その目は。美悠も来るか?」
「行かないよ、気を遣ってあげる。」
ま、恋に恋する中二女子だ。好きに妄想してろ。
朝練を始めて10日。
満開だった蕎麦の花はしおれ、茶色い実が目立ち始めている。
俺と三琴は毎日、翔太は7回、亜希は4回、優琉は2回、という参加状況で、今朝はとうとう三琴と二人きりになってしまった。
三琴は毎日、きちんと4周のタイムを計測、記録していて、前の高校のラクロス部で計ったタイムに近づいているという。
俺もさすがに少し上達して、4周ちゃんと走れるようになったし、今日は畑からの上り坂も走って帰ってきた。
「そういえば、さっき中軽の駅で亜希ちゃんを見かけたよ。」
「へえ」
「なんか男の人に話しかけられてた。たぶん、ナンパだね、あれは。」
「へえ」
「へえ、って心配しないの、お兄ちゃん。」
美悠が嘘をつく時の声のトーンくらい、すぐにわかるんだよ。
「相手の男の心配か?亜希だって初対面の人にいきなり暴力は振るわないぞ。」
「そんなわけないでしょ!亜希ちゃんのことが心配にならないの、ってこと!」
「うーん、どうだろう。本当のことだったら電話くらいはしてみるかもなあ。」
「ちぇー、嘘がバレてたかあ。私って正直者だからなぁ。」
「はいはい。」
「ねえ、お兄ちゃんはさ、」
「ん?」
「亜希ちゃんに冷たいよね。」
「そんなことないだろ。」
「もー!そんなこと言ってて亜希ちゃんが他の人に取られちゃったらどうするのよっ」
「取られちゃったら、って、そもそも亜希は俺のモノじゃないぞ。」
「私はきっと将来は亜希ちゃんがお姉ちゃんになってくれるって、小学生の頃から信じてるんだからね。」
美悠のバカ話に付き合っているうちに、家に到着。俺はそのまま夕飯づくりに取り掛かる。
「でも三琴さんも捨てがたいよねえ。優しそうだし、可愛いし。うーん、キレイなお姉ちゃんと可愛いお姉ちゃんはどっちがいいかなあ。」
「バカなことばっかり言ってないでシャワー浴びてこい。飯食わせないぞ。」
「うー、わかった。」
美悠は頬っぺたを膨らませて、何やらブツブツと独り言を言いながら風呂場の方へ消えていった。
兄をからかうより食事にありつくことを優先したようだ。
(どっちか選ぶみたいに言ってるけど、選ぶのは俺じゃないっての。)
昨日の朝練の帰り道だったか、三琴がふいに言った言葉を思い出す。
「今、住んでいる家はね、まだ新しいけど借家なの。いつまでこの町で暮らすのか、お父さんにもお母さんにもわからないみたい。正確には、わからないんじゃなくて、決めていない、ということなんだろうけど。」
そうなのだ。三琴はこの町の人ではない。定住するために引っ越してきたわけでもない。
俺にできるのは、この町で暮らす間だけでも、なるべくストレスなく、穏やかに生活できるよう、少しばかり手を貸すことくらいだ。
(あ、やべ…)
考えごとをしていたら、キャベツをたくさん切りすぎた。明日の朝食で使えばいいか。
俺は二、三度頭を振って雑念を取り払うと、夕飯づくりに集中していった。
翌日は久しぶりに朝から雨で、朝練は中止になった。
三バカと三琴はいつも通り信濃追分駅で集合して、しなの鉄道に乗りこむ。
「おはよう、三琴ちゃん」
以前は翔太にだけ挨拶していた亜希は、今は三琴にだけ言う。
「おはよう、亜希ちゃん」
三琴が近づいていくと、亜希は一度だけ俺たちに視線を送る。細身の赤い傘を腕にかけている。
「亜希ってその傘、中学の時から使ってるよな。」
俺は、ふと思ったままを口に出していた。亜希は一瞬、何かハッとしたような表情になった。
「な、なによ、物持ちがいいのよ、私は。」
「いや、古いとかボロいとかそういう意味じゃないよ。」
「白いのもあるよな。」
と、優琉。そうだっけ?俺の中で、亜希の傘といえばこの赤だった。
「白いの、って、ざっくり言わないでよ。白地に細かい花の柄が入ってるやつでしょ。」
優琉にそう答えて、「これだから三バカは」と言いたそうに三琴に笑いかけている。
三琴も亜希に微笑みを返し、それから俺たちの方を振り返る。
そんな三琴の「振り返る癖」にも、俺たちはすっかり慣れていた。
「なあ、優琉、B組では駅伝の順番はどうやって決めんの?」
翔太は今日もマイペースだ。
「中心になるのは陸上部の宮原だな。C組はもう決めたのか?」
「ああ、決めたよー。」
「翔太は何区?」
「内緒ー」
クラスマッチは二日後に迫っていた。各クラスの戦術や作戦についての情報が、クラスで話題になり始めていた。
「B組はアンカーで捲る作戦みたいだよ。」
「優琉がそう言うってことは先行逃げ切り作戦かー。じゃあ2区は宮原だな。」
「……」
優琉は人がいいから、こういう心理戦にはまるで向いていない。
逆に、翔太はぼんやりしたデブキャラを演じながら、こういう駆け引きには長けている。
「優琉、翔太の前でクラスマッチの話題はしない方がいいぞ。」
と、俺。このまましゃべり続けると、重大な作戦漏洩につながりかねない。
「だな。」
ミニサッカー補欠の俺にとってはさほど重要なイベントでもないのだが、優琉は委員として総合優勝に向けて頑張っているし、三琴も必死に練習しているから、俺としても応援したい。
「八木さんも朝練の成果が出てるよねー」
優琉から情報を引き出せないと判断したのか、翔太の「毒牙」は三琴に向けられた。
「うーん、去年の区間記録をめざして練習してるんだけど、まだまだ全然及ばないの。」
と、三琴が答える。
(へえ…)
俺は三琴の意外な一面を見た気がした。
俺は知っているのだ。三琴は去年の区間記録にあと10秒、というところまでタイムを上げてきている。
「ほほう。八木さんも大人しそうな顔して、けっこうやるねえ。」
翔太にはある程度わかっているらしく、そう言ってニヤリと笑う。
三琴が肩をすくめて、少し首を傾けて笑い返し、電車は御代田駅に滑りこんでいった。




