10 クラスマッチ②「同情されたのかな、って」
御代田駅に着くと、軽井沢行きの電車の入線を知らせるアナウンスが流れていた。
改札を抜けて連絡橋の階段を駆け上がる。連絡橋の上から、電車の接近が確認できた。
慌てなくても乗れそうだ。歩調を緩めて階段を降り、ちょうどホームに入ってきた電車に乗りこんだ。
ふう。
そういえば去年、三バカトリオは自転車通学を試みたことがあった。
高校のある御代田は、信濃追分から電車で一駅なのだから自転車でも通えるだろう、と考えたのだが、100m以上もある標高差を甘く見ていた。朝の通学時には楽だし早いのだが、帰りの坂道がキツすぎて、三人とも一日で断念した。
週末になるとスポーツタイプの自転車に乗ったサイクリストをよく見かけるが、地元で自転車に乗る住民はほとんど見ない。高校でも、自転車通学をしているのは御代田町内から通う生徒がほとんどだ。
電車は約6分で信濃追分駅に到着する。降りる客は多くない。
ホームに降りると、前のほうを三琴が歩いていた。
ちょうど電車の車両一両分くらいの距離だから、追いつくことはもちろんできるし、逆に歩調を緩めて距離をとることもできる。
だがそのどちらも、なんだか三琴の存在を特別に意識しているみたいで、ためらわれた。
せいぜい、いつもより少し歩調を落として距離を保つくらいが、俺にできる精一杯だ。
(なんの精一杯だよ…)
我ながら、自分のヘタレっぷりに苦笑する。
普段通りの行動をするのなら、いつものように郵便局の前の角を曲がって家に帰るだけだ。
(そうそう、普段通り、いつも通り)
俺は三琴の20mほど後ろをのんびりと歩いて、郵便局の前のT字路を直進していく三琴の後ろ姿を見送る、はずだったのだが、三琴がふと足を止め、後ろを振り返った。
「「あ。」」
という声は二人が同時に発していた。
「下田君。」
「おう、おつかれ。」
「びっくりした…」
「いや、それはこっちの台詞だよ。どうした、急に振り返って。」
「えっと、つい…振り返っちゃうクセがあって…」
「へえ…」
振り返るのが癖、って。
郵便局の前で立ち止まっている三琴に追いつくと、彼女は一度俯いて目を伏せ、それから顔を上げて何かを決心したような表情で俺を見た。
「あの…、実は下田君に、相談があって…」
「え、俺に?」
「あっ、でも急いでるなら今じゃなくてもいいの。」
「いや、まったく急いではいないけど。」
「でも私に気づかれないように帰ろうとしてたから…」
「あはは、そんなんじゃないよ。用もないのに呼び止めたら悪いかと思って、さ。」
なんだかしどろもどろだな、俺。まあ、自覚がないわけでもない。
今まで、俺の周りで異性といえば妹の美悠と幼馴染の亜希と、事務所の美佐枝さんくらいで、三琴という存在にまるで慣れていない、どう接していいかよくわからないのだ。
「じゃあ、少しだけ相談してもいい?」
「ああ、俺でよければそれはいいんだけど…」
このあたりには落ち着いて話せるような場所がない。
「あ、やっぱり迷惑かな」
「違う違う、落ち着いて話すような場所がね、ないんだよな。」
「立ち話でも大丈夫だよ。」
「いや、それはよそう。狭い町だから」
誰かに見られて噂になるのは困る。いや、別に困りはしないが、いろいろ面倒くさい。
そうか、面倒ごとの「本拠地」に行けばいいか。
「えっと、八木さん、その相談事というのは他の人に聞かれたくない話?」
「え、そういうわけでもないけど」
「うちの事務所でもいい?」
「私はかまわないけど…」
「じゃあ、行こうか」
「うん。でもどうして事務所に?」
「いや、ここで立ち話してて誰かに見られて変な噂になったとしてさ、一番面倒くさいのはうちの家族と従業員だから、妙な誤解をされるくらいなら、話してるところを見せた方が面倒がないと思って。」
「うふふふ、うん、わかった。」
俺はいつもの帰り道、家までのなだらかな坂道を三琴と並んで登っていった。
「この道ね、お父さんから通っちゃダメって言われてるの。」
「ああ、女の子一人で歩くのはやめたほうがいいね。一見、家があって住宅地みたいに見えるけど、空き家が多いんだ。」
「そっか。それで下田君も美悠ちゃんをお迎えに行くんだね。」
「まあ、そういうことになるかな。俺が迎えに行けない時は美悠は明るい道に遠回りすることになるから、それがイヤで迎えに来いって言ってるんだよ。」
「優しいお兄ちゃんだよね。」
「うーん、どうなんだろうなあ。お袋が亡くなった時、美悠はまだ小さかったからね、世話を焼くうちに甘やかすクセが抜けてないのかもしれない。」
「ふふっ、美悠ちゃんも甘え上手な感じだもん。」
「そうなんだよなあ。そんなわけでさ、妹すら突き放せない俺なんて相談相手には向かないと思うぞ?」
「深刻な話じゃないから、気楽に意見を聞かせてくれればいいの。」
「それならまあいいけどさ。」
「それに、相談相手に向かないなんてことないと思う。この前してくれた話も、ちゃんと日記に書いたよ。」
「この前?何か言ったっけ?」
「うん。『それでも山はここにある』って」
そ、それは恥ずかしすぎるっ!ちょうど事務所の前に到着したから、俺は慌てて、カラカラと引き戸を開けた。
「あら、悠生君、おかえりなさい。」
と、事務の美佐枝さん。
「どうしたの、そんな真っ赤な顔し…」
そう言いかけて、俺の後ろに視線を向け、三琴に気づくと、にっこりと笑顔になった。
いや、違うんだ、これは、って言いわけすら思いつかん。
「こんにちは、えーと、八木さんでよろしかったかしら。どうぞ。」
「はい、八木です。お仕事中にお邪魔して申しわけありません。」
「いいのよ、今お茶をお出しするわね。冷たい麦茶でいい?」
「ありがとうございます。学校行事のことで下田君に相談がありまして、無理を言って時間をもらいました。」
三琴が上手にフォローしてくれて助かった。
「美佐枝さん、奥の打合せスペース借りるね。八木さん、こっち。」
「うん。」
打合せ用の大きめの机を挟んで、四脚の椅子が並んでいる。三琴に椅子を勧めて、向かい側の椅子に腰を掛ける。
「学校行事の相談事って、クラスマッチのこと?」
「うん、そうなの…。」
「八木さんはたしか駅伝だったか。」
「うん。それで、下田君はどう思ったか、聞きたくて。」
「どう思ったかって言われても。」
「えっと…、私がまだ転校してきたばかりだから、その、同情されたのかな、って。」
「え、同情?」
意外な単語が出てきて、俺は思わず聞き返した。
「あ、同情というか、気をつかってもらった、みたいな」
何を言っているのかわからず、急いで三琴の発言を頭の中で整理する。
「それは、駅伝が責任を分担する種目だから?」
「ううん、男子は3人とも運動部で、女子も足の速い子たちで、だから私が遅くても挽回できる、っていうことなのかな、って。」
ふむ。そこまで深く考えてなかったし、特別な感想も持たなかったな。
「うーん、優琉たちが話し合って決めたことだから、真相はわからないけど、優勝を狙っている以上、駅伝は点数も高いし、最終種目だから一つでも上の順位を目指す、っていう方針だと思う。」
「そう、なのかな…。」
「ああ。たぶん八木さんがラクロスやっていたことを知っていて、それならある程度の期待はできる、って考えたんじゃないかな。八木さんは、気をつかわれていたら困るっていうこと?」
「えっ、あ、そういうことじゃなくて、申しわけないというか…」
「だけど気になるんだろ?」
「うん…」
三琴は肩をすぼませ、下を向いている。前髪が顔を隠しているから表情は読み取れないが、何か言い淀んでいるような、言いたいことを言えずにいるような雰囲気だ。
そこに、美佐枝さんが麦茶の入ったグラスを持って来てくれた。さすがの美佐枝さんも三琴の様子にただならぬものを感じたのか、机にグラスを置くと、何も言わずに席に戻っていった。
といっても、狭い事務所だから大した距離でもないのだが。
「あ、八木さん、麦茶どうぞ。飲むと落ち着くよ。」
「うん、ありがとう。」
三琴は普段、他人のことに関して悪く言わないし、ネガティブな解釈もしない。
まだ知り合ったばかりだから心の中まではわからないが、少なくとも、これまで見てきた三琴とは様子が違うように思えた。
そういえば、前の学校では不登校になったという話だったし、単純なポジティブ少女ではないのだろう。
もっとも、自分の周りで起こることのすべてを好意的に解釈できる人なんているはずもない。
(明るく素直に振る舞ってる加藤七海だって、あんなドロドロした暗い絵を描いてるくらいだしな。)
さて、どうしたものか。
(「同情」って単語もひっかかるけどなあ)
三琴の心の奥に、何か暗いものが押し込められているとしても、俺にはそれを引き出すスキルはない。
ましてや、引き出せたとしても、その解消や克服に手を貸せるほど「できた人間」ではない。
今はよけいなことを言わないように、黙っておこう。黙っているだけならできるからな。
とりあえずの対応方針を決めて、俺は目の前に置かれたグラスに手を伸ばして、冷たい麦茶に口をつけたのだった。




