2 準備万端と言ったな、あれは嘘だ
俺にとって初めてのダンジョン攻略であり、ダンジョンコースの最終科目の実地訓練でもある、『百道浜ダンジョン攻略最終試験』の日が訪れた。卒業式の翌日ではあるが、まるで遠く離れた恋人との再会を心待ちにするかのように、この日を心待ちにしていた。恋人なんていたことないけど。
百道浜ダンジョンは5年前に出現したとされる最初期のダンジョンの一つである。ニールセンの功績の一つでもある『ダンジョンにはダンジョンレベルが1から100まで存在する』事実から、一番初めに出現したダンジョンは一様にレベル1ダンジョンであるとされており、百道浜ダンジョンも例外ではない。また、ダンジョンに入ったことがない人間が最初に入ることができるダンジョンはレベル1ダンジョンに限られてもいる。
要するに、ダンジョン攻略者を育成する際に実地訓練が行われる場合、レベル1ダンジョンで行われるのが一般的であるということだ。
「あーミスった。朝ごはんがない」
実地訓練の開催日の朝、その日の予定を確認しつつ冷蔵庫を開けるとそこには何もなかった。昨日のダンジョン探索準備に気を取られすぎて今日の食事のことをすっかり忘れてしまっていた。財布を開いてみても残金6円と食べられるものは買えそうもない。昨日買ったバッグに詰められている非常食も、できればダンジョン内で食べてみたいという心積もりだったので、朝ごはんとしては消費したくない。
「水で我慢するかー。空腹でもさすがにレベル1のダンジョンで遅れをとることはないだろうし」
少しの逡巡の末、朝ごはんは水だけにし、お腹をタプタプさせながら目的地へと向かうことにした。
防具を纏い、大金槌を引っ提げ、バッグを背負いこむ。誰もいない家に鍵をかけ、最寄りの駅に向かう。ダンジョンが出現してから5年も経てば、街中に攻略者姿の人がいたところで誰も気にしない。強いて言えば、万が一何かあった時に警察から真っ先に疑われるくらいなものだ。
30分ほどかけて百道浜ダンジョンに到着すると、そこでは多くのダンジョン攻略者が賑わっていた。おそらくこれからダンジョンが開場されるとともに中へと入り、ダンジョンを攻略するのだろう。俺も早くその輪に入りたいという気持ちを抑えながら、まずはダンジョンに隣接した公民館へと向かう。
今日の目的はダンジョンコースの最終試験を無事終えることである。事前に伝えられているスケジュールは、公民館内で最終説明を受け、その場でチームを組んで、試験官の同行のもとで百道浜ダンジョンを攻略するというものだ。公民館に到着して中に入ると、ダンジョンコースを受けている生徒以外にも、社会人や大学生と思しき人々が集まっていた。整然と並べられているパイプ椅子に腰を下ろし、試験官や係の人の動きが慌ただしくなるのを横目に、俺は最後の装備や道具のチェックをするのだった。
その時だった。
「だーかーらー、何で俺様がこんなダンジョンで試験を受けなきゃいけねえんだよ!」
公民館の入り口から聞こえる、聞きなじみのある最悪の声に体がびくっと反応した。
「柳河ダンジョンとか、なんなら大濠公園ダンジョンとかで試験をしろっての。こんなちんけなダンジョンで俺の力が測れる訳ないだろ?」
「申し訳ございません、二階堂様。北南高校のダンジョンコースでは、百道浜ダンジョンの攻略が修了要件となっておりますので。二階堂様の実力は重々承知しておりますが、何卒ご容赦ください」
声の方へ振り向くと、そこには不機嫌そうな二階堂とその取り巻き、そして平身低頭でゴマをすっているスーツ姿の男がいた。二階堂らは、ダンジョンコース受講者が集まるこの場に似つかわしくない、一目で高級なものだと分かる防具を全身に纏っており、その場の全員の注目を集めていた。どうやらかなり機嫌が悪いらしく、しきりに舌打ちをしている。正直、いつも以上に近寄りたくない。
「なんなの、あの人……」
「二階堂って、どこかで聞いたことあるような……?」
「うぅ、同じ学校だしやっぱり来るよなあ」
周りのほかの参加者も、二階堂を見るや否や、嫌そうな表情や愚痴を漏らす。中にはあからさまに顔を背けて我関せずという態度の人もいる。というか柳河ダンジョンと大濠公園ダンジョンはどっちもレベル1のダンジョンではないから、俺たちみたいな初心者はそもそも入れないだろう。
「ん?見世物じゃねえぞ!雑魚どもがこっち見てんじゃねえ!」
なんて思っていると、二階堂は自分に集まる視線をうっとうしく感じたのか、大きな濁声で叫ぶ。周囲へ強く当たった二階堂は、へこへこするだけのスーツ男をうんざりした様子で追い払い、近くに用意されていたパイプ椅子へドカッと音を立てて座る。取り巻き達もその近くに集まり、喧しい会話を始める。誰もが迷惑そうに眉を顰めるものの、触らぬ神に祟りなしとばかりに静かに実地訓練が始まるのを待つのだった。もちろん俺も例に漏れることなく、できるだけ気配を消して――
「ん?そこにいるのはがり勉野郎じゃねぇか」
そりゃそうだよな。こんなに大きなバッグを持っていれば気づかれる。二階堂は取り巻きと共に俺を取り囲み、来ていたなら声位かけろよと何のためらいもなく肩パンしてくる。一応北南高校のダンジョンコース選択者は全員ここに来るはずだけどね。しかしそんなことを口走ったらただでさえ機嫌の悪そうな二階堂に何をされるか分からないので、愛想笑いでなんとかその場を凌ごうとする。
「へっ、こんな大荷物を背負ってきて、マジックバッグとか持ってねえのかよ?ぎゃははは!」
あんたらにカツアゲされてなければ一番安いのは買えてたけどな。っと、危ない危ない。こんな場所でも絡まれて、だいぶストレスが爆発しそうだ。初心を忘れず、どうにか二階堂達を受け流さなければ。ちらりと周囲を見ても、講習生だけでなく職員もこちらを見ようともしていない。助けはなさそうだと判断し、二階堂の機嫌を損ねないよう細心の注意を払って対応するしかないだろう。
「ん?ああ『脱出のスクロース』か。それに『救援のスクロース』と、『結界のスクロース』か。ちゃっちいスクロースしか入ってねえな」
いつの間にか俺への断りもなく俺のバッグを漁っている二階堂は、期待外れだったのか小ばかにしたような口調でそう話してくる。取り巻きも他の荷物を見てはその貧相さに嘲笑っている。
「ていうかさ、がり勉君、何でこんなに用意出来てんの?卒業式の日に支度金全部渡せって言ったよな?」
ピキリと自分の笑顔が固まる音がした。そういえば二階堂からしたら、昨日俺から支度金を巻き上げたと思っているのわけで。そんな俺が二階堂目線で貧相とはいえ、防具や武器にアイテムまで一通りそろえているのはおかしな話だろう。二階堂の怒気をはらんだ言葉に、俺の内心は一気に焦りだす。
「え、えーと……」
ここで返答を間違えたら一巻の終わりだと、頭をフル回転させて言い訳を考える。しかし妙案が全く浮かばない中、ついに二階堂の太い腕がこちらに向かって伸びてき始めたその時。
「それでは、これより門田ダンジョンスクール第3期ダンジョン攻略最終演習、及び、北南高校ダンジョンコース最終試験を開催します。演習担当者と試験官の方は舞台上に並んでください」
館内アナウンスが鳴り響き、二階堂の手がぴたりと止まる。どうやら司会進行の職員が講習開始の合図を出したようだった。それまで静観しかしていなかった大人たちがはっとした表情で壇上に向かっていく。二階堂はやっと始まるのかと短く舌打ちして元の席の戻った。何とか支度金の話題から逃れられたようで、俺はすでに痛くなりつつある胃をさすりながら、どうか二階堂とはこれっきりになりますようにと神様に祈ったのだった。
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「――ということで、このような流れで今回の演習並びに試験は進めていきたいと思います。質問は何かありますでしょうか?」
壇上に並んだ職員のうちの一人が、今回の検定についての詳細な内容を発表した。簡単にまとめると、5人一組のチームとなって2人の演習担当者または試験官と共にダンジョンへ潜り、ダンジョンの最奥に居るダンジョンボスを倒してくる、というものだった。
ダンジョンスクールと北南高校の合同チームの場合は演習担当者と試験官の両方が監督に就く必要があったり、ダンジョンの各階層ごとに行う講習の説明が行われる予定であったりと細かいルールもあったが、とりあえずダンジョンを攻略することがダンジョンコースの修了の必須要件となりそうだった。
「それでは皆様、5人のチームを組み、受付で充てられた担当者2名と共にダンジョンへと向かってください」
じゃあ早速、前の席に座っている大学生らしき人に声をかけ――
「おい、がり勉。お前は俺らとだ」
ようとしたところで、後ろから肩をつかまれた。
嘘だろと思いつつ振り向けば、そこにはいつの間にか二階堂とその取り巻きの3人の姿が。しかもその目はどう見ても獲物を前にしたハンターのそれだった。支度金はおろか、残りのへそくりで揃えた武器やバッグさえも根こそぎ搾取されるかもしれない予感に身震いする。
「おい受付!俺様たちはこの5人で行くからよ、さっさと試験官を用意しろ!」
革鎧の後ろ襟をがっちり掴まれたまま、俺は逃げることもできず引きずられていく。受付の人は困ったような、同情するような目でこちらを見つつ、待機していた試験官2人を紹介した。
「こちらはダンジョン攻略者の安藤さんと内藤さんです」
受付の紹介を受けた2人はヘルムと兜をそれぞれ外して頭を深く下げて一礼し、自己紹介と軽い挨拶をしてくる。
「試験官の安藤です。二階堂さんの噂はかねがね聞いております。本日はしっかりと試験官として努めていきますので、よろしくお願いします」
「同じく試験官の内藤です。二階堂さんとご学友の皆さん、よろしくお願いいたします」
安藤さんは全身洋風の鎧で全身を包み、腰にレイピアのような細長い長剣を携えている。内藤さんは赤を基調とした武将風の甲冑姿で、一本の刀を腰に下げている。どちらも攻略者然としていて俺的には眼福でテンションが上がる格好だ。二階堂を前にしているせいか若干腰が低く感じられたが、未知に挑むダンジョン攻略者としての貫禄が感じられる。たとえここがダンジョンの中ではないとしても、今の俺では全く敵わない存在だろう。
「あんたらが試験官か。俺様の初陣なんだ、せっかくの見せ場を邪魔すんなよ?」
安藤さんと内藤さんを一瞥した二階堂は、口角をうっすら上げながらそう言い放った。そしてにやにやと試験官を見ている取り巻きと、連行した俺を引き連れて、さっさと公民館の外へと歩き出していく。安藤さんと内藤さんは苦笑いしながらその後をついていく。
俺はといえば、始まる前から絶望感に包まれながら最後尾をのそのそついていくしかなかった。心の中ではもう何度目か分からないほど、神様に祈る。どうかこの実地訓練が無事に終わって、ダンジョンコースを修了できますようにと。どうか、不幸なことが起きませんようにと。
アナウンスのお姉さん「きゃー!あの子、何か絡まれているわ!ちょっと早いけど試験案内始めちゃいましょっ!何とかなれー!」




