第48話 瑞鳥の奇跡
高い城壁を越えると、城内は城下町以上にパニックになっていた。
すでに血を流し倒れている兵士たちや貴族のいる中、怪我をしながらも逃げ惑う人々で溢れ返っている。
遠く戦闘の音が聞こえるが、ここにも紫の靄がかなり濃くなりつつあり、ルカは眉を顰めた。
「ここにいてはだめよ!! 早く城から出て西門へ向かって!!」
ルカは叫ぶが、貴族たちは聞く耳を持たず、ただ闇雲に走り回っている。
「晶国が攻めてきたぞ!! だから派兵などしなければ良かったのだ!!」
逃げながらそう叫んでいる貴族の男性を見て、ルカは驚いた。
「違うわ! 助けに来たのよ!!」
思わずルカは言い返すが、男性はルカを見ることもなく走り去ってしまう。
「ルカ、とにかく今は嵐と合流しよう」
「そうね……」
もはや嵐と共に戦っている兵士は数人だ。街中に散り散りになって戦う兵士たちは、それぞれギリギリの戦いになっている。
自分ではまったく役に立たないかもしれない。それでも何か嵐を手助けできればと、ルカは走り出した。
城の中は魔物が通り過ぎたのか、壁も柱も崩れ荒れ果てていた。記憶にある絢爛豪華な姿は見る影もなく、ルカは眉を歪めながら廊下を走り抜ける。
絶え間なく地響きのように城が揺れる。落雷の音に混じって、人の叫び声も聞こえる。
ルカは唇を噛み締めて走り続ける。そうして王族しか入れない、城の奥へと足を踏み入れた時、逃げ惑う女性たちを見つけた。
「エレノア様!?」
遠くでも分かる美しい金髪を見てそう叫ぶと、女性が振り返った。
ぼろぼろのドレスを着て髪を振り乱したエレノアは、ルカを見ると驚き、それから醜く顔を歪めた。
「ルカ!! お前が魔物を差し向けたのね!? なんて酷い女なの!? 自分の故郷を襲うなんて!!」
「違います!!」
ルカが否定すると、エレノアはこちらに近付こうとした。その瞬間、廊下の壁を破壊して紫奇猿が飛び込んでくる。
エレノアはその姿を見ると、悲鳴を上げて踵を返した。
「エレノア様!!」
「ルカ!! 下がってろ!!」
廊下の向こうへ逃げるエレノアを追い掛けようとしたルカだったが、走り込んできた嵐の声に足を止める。
手傷を負っている紫奇猿は口から血と泡を噴いている。だがすぐに倒れるそぶりはまったくない。その巨体は今までで一番大きく、その身体には紫の靄が纏わりついているようだった。
「こうなれば仕方ない」
嵐はそう言うと、剣を鞘に収め両手を組んだ。その動作を見て、秀の顔色が変わった。
「ルカ、こちらへ!」
秀がルカの腕を掴み下がらせると、途端に水のような膜に覆われる。
嵐が手で印を結び、地に指を向けると、途端に赤い魔方陣が浮かび上がった。嵐はその中心に立ち、真っ直ぐに紫奇猿を見据えると、その指を紫奇猿に向ける。
その瞬間、巨大な炎の蛇が出現し、紫奇猿を飲み込んだ。
(炎の魔法!?)
ルカはその光景を息をするのも忘れて見つめた。燃え盛る蛇は、自分と周囲を燃やしながら、ぐねぐねと身体を揺らし紫奇猿を飲み込んでいく。
炎の蛇は城の柱や床を薙ぎ倒しながら抗う紫奇猿をまるまる飲み込むと、膨れ上がるように一瞬燃え上がり、そしてその身体はゆっくりと消えていった。
床にはまだ身体が燃え続けている紫奇猿が倒れている。もはやピクリとも動かない姿を見て、ようやく倒したのだとルカは理解した。
「すぐに消火を……」
嵐はそう言いながら、ふらりと身体を揺らし床に膝を突く。
驚いたルカは、水の膜を破って嵐のそばに駆け寄った。
「嵐!」
「大丈夫だ……」
ルカに支えてもらいながら嵐は立ち上がると、周囲を見渡す。
晶国の兵士たちが水の魔法で消火を始めているが、火の勢いは強くすぐには消し止められない。
「森でこの魔法は使えないからな、久しぶりにやってちょっと疲れたよ」
「そうなの……」
「嵐、まずいぞ」
これで王城に入った紫奇猿を倒せたんだとホッとしたルカだったが、秀の表情を見て状況が良くなった訳ではないのだと察した。
「紫奇猿の毒が濃すぎる。それに街にまで広がり過ぎて、これじゃあ浄化も追い付かない」
「え……?」
「これ以上ここにいては俺たちも危ないか……。仕方ない、一度、撤退しよう」
秀の言葉を受け、頷いた嵐の言葉にルカは驚いた。
「ま、待って! まだ生きてる人がたくさんいるわ!! 見殺しにしろっていうの!?」
「毒は広がり続ける。完全に消すことは私たちにもできない。これほどの濃度じゃ、私の魔法も役に立たない」
秀にそう言われても、ルカは納得することなどできなかった。
「だめ、だめよ! エクールは私の故郷なのよ!? 故郷を見捨てるなんてできない!!」
「ルカ……」
嵐の、晶国の素晴らしい魔法をしても、紫奇猿の毒は消せないのだという事実をルカは受け入れられなかった。
ここまで来て助けられないなんて思いたくない。自分だけが逃げて助かっても、嬉しくもなんともない。
「お願い! 助けて!!」
ルカは両手で顔を覆うと、悲鳴のように叫んだ。
その瞬間、強い耳鳴りを感じてルカは顔を顰め痛みに目を閉じた。
『血の契約を!』
キーンと鳴る耳鳴りの奥から、低い声が聞こえる。その声にハッと目を開けたルカは、いつの間にか自分が真っ暗な闇の中に佇んでいることに気付いた。
「なに……?」
『血の契約を! さすればお前の願いを叶えてやろう!』
「血? どういうこと?」
戸惑うルカの首元からクルルが滑り出てくる。手の平に乗ったクルルはルカを見上げると、小首を傾げた。
『血の契約を!』
「エクールを……、皆を助けてくれるの!?」
どこからともなく聞こえる男性の声に、ルカは必至で呼び掛ける。けれどそれ以上の返答はなく、ルカは唇を噛み締めて考えると、覚悟を決めてクルルを見た。
「契約するわ! お願い! 皆を助けて!!」
『承諾した!!』
男性の声が響き渡ると同時、手のひらに小さく痛みを感じた。見下ろすと、クルルが手のひらを啄んで、ほんの少し血が滲んでいる。
「ルカ! ルカ!」
突然、嵐の声が間近に聞こえて、ルカはハッとすると顔を上げた。目の前に嵐の心配げな顔がある。
けれどそれよりも首元から飛び立ったクルルが視界に入り、目を見開いた。
手のひらに乗るほど小さかった身体が、みるみる内に大きくなっていく。光を放つ長い尾羽を揺らしながらクルルはどんどん上昇していく。
「クルル!?」
「瑞鳥が成長した!?」
それは成長というにはあまりにも早く、巨大だった。あっという間に人の倍ほどの大きさになると、高く舞い上がり城下町の方へと飛んでいく。
その身体からは金の光が舞い散って、紫の靄が消えていくように見えた。
「すごい……、毒が浄化されていく……」
秀が空を見上げたまま呟く。
「本当だ……。瑞鳥にこんな力があったなんて……」
嵐も呆然と空を見上げ、舞い落ちる金の飛沫を掴むように手を差し出す。
ルカもまた空を見上げ、大きく息を吐いた。
「良かった……。これで皆、助かる……」
ルカは遠く上空で円を描くように飛ぶクルルを見上げ、安堵の笑みを浮かべた。




