第28話 本当の水晶宮
「嵐……、本当に?」
「うん。黙っていてごめんな」
小さくまるで独り言のように呟いた言葉に、嵐が返事をした。嵐は眉尻を下げて、少しだけ困ったような目をルカに向けている。
「そんな……、だって、あなた……、使用人じゃない……」
まだ信じられないのか、エレノアは弱く首を振る。否定したい気持ちは自分も同じだった。こんな真実、すぐには信じられない。
「さ、皆が呼びにきたし、下へ行こう」
「下?」
「うん。本当の水晶宮だ」
「本当の?」
嵐は笑顔で頷くと歩きだす。だがすぐに足を止めて、まだその場で俯いている皇帝であった黒雷尾“櫂”に顔を向けた。
「櫂、お前はここで少し反省していろ。いいな?」
一瞬だけ顔を怖くして嵐がそう言うと、櫂はキューンと弱い声で鳴いてから、その場に伏せてしまう。
それがまるで親に叱られた子どものようで、あの大きな黒雷尾が皇帝であったのが嘘のようだ。
「行こう」
嵐に促されて歩きだす。背後をちらりと見ると、文官に促されエレノアも怪訝な表情のまま付いてくる。
廊下を進み、今まで行ったことのない扉を潜ると、下へ向かう階段に差し掛かった。怖ろしく長い階段に少し怖さを感じるが、不思議なことに数段降りた途端に階段が終わった。
「え!? 階段が……」
振り返り階段を見上げるが、そこには聳えるような階段が続いている。こんなに長い階段を降りたつもりがないのにと驚くルカに、嵐は笑う。
「魔法だ。上殿は高い所にあり過ぎて、さすがに歩いて行ったらくたびれるからね」
「こんな魔法があるのね……」
「さ、ここから水晶宮だ」
扉を守る兵士が見上げるほどに大きい扉を開けると、わっと光が差し込んだように感じた。
そこにはたくさんの人が溢れていた。王宮に使える男女がこちらに視線を向け、一斉に膝を折る。広々とした建物には太い柱が幾本も立ち、その柱にはさまざまな色で美しい花の彫刻が施されている。
天井から落ちるたくさんの細い布が風にゆらめき、遠く見える光に満ちた庭には、巨大な水晶が光を受けて輝いている。
今までいた水晶宮とはまるで違う様相に、ルカはまたも口をポカンと開けてしまう。
「上は寒かっただろう? 本当の水晶宮は剣雷山の中腹にあるから、もう随分春の陽気なんだ」
嵐にそう言われてやっと気付く。確かに歩いていても、まったく寒さを感じない。それに庭にある草木には花が咲き乱れている。
「なんで水晶がこんなにあるの?」
床から突き出したようにある巨大な水晶の原石が目を引く。
「水晶宮の名前の由来だな。剣雷山は水晶を生み出す。とはいえこれは魔法の代物で、本物の水晶とはちょっと違うんだけどね」
「へぇ……」
木造の王宮は見事と言えるが、それに加えこの水晶があまりに非現実的で、夢の中のように感じる。
(おとぎ話のお城みたい……)
子どもの時に読んだ絵本に、おかしの家や宝石の城があった。それがまるで現実に現れたようで、ルカは目を輝かせた。
そんな美しい王宮を眺めながら歩いていると、大きな扉の前で待ち構えている男性がいた。
「お連れしたぞ」
「やれやれ、やっとでございますな」
40代後半ほどのいかにも切れ者というような抜け目のない目をした男性が肩を竦める。身体も細く明らかに文官だろうその人は、まじめな顔をこちらに向けた。
「初めてお目にかかります。この国の丞相を務めさせて頂いている全・烈と申します。お見知りおきを」
「は、初めまして」
ルカが挨拶をすると、表情を変えずエレノアに目を向ける。
「王女様、この度は黒雷尾の我が儘とはいえ、大変失礼を致しました。わたくしからお詫び申し上げます」
「わたくしはまだまったく意味が分からないのだけど……」
「詳しいお話は中で。陛下はお着替えを」
「このままでいいじゃないか」
「陛下」
「……分かった。しばらくお前に任せる」
ぴしゃりと言った全に嵐は溜め息を吐くと、ずっと握っていたルカの手を放した。
「すぐに戻る。しばらくお茶でも飲んでゆっくりしていてくれ」
渋々そう言うと、嵐は侍女たちを引き連れて他の扉に入っていく。
「さて、では中へどうぞ」
通された部屋は広々とした美しい部屋だった。中央には丸い机と椅子があり、大きな花瓶には美しい花が零れ落ちそうなくらいたっぷりと飾られている。
壁にはびっしりと彫刻が彫り込まれ、調度類には薄く加工した宝石が嵌め込まれている。どこを見ても装飾があり、それらすべてがエクールにはないような圧倒される技術だった。
「お二人ともお座り下さい。陛下のお着替えの間、少々わたくしの話に耳をお貸しください」
ルカも座るように言われ、少し戸惑ったがエレノアの隣に座る。エレノアはそれが不愉快だったのだろう。突き刺すような視線をルカに送るが、ルカはどうにか視線を合わせないようにして全を見た。
「そもそもどうしてこうなかったかと申しますと、エレノア王女が王妃候補となったことをどこかで聞いた黒雷尾が勝手に王女を迎えに行ってしまったことから始まったのです」
「勝手に? ではわたくしたちを迎えに来た者たちは」
「はい。すべて黒雷尾たちです」
全の言葉にルカは今更だが合点がいった。国からの迎えにしてはどうにも少ないと思ったのだ。人質とはいえ、王女を差し出しているのだ。国の重臣なりなんなりが迎えに来そうなものなのにと不審に思っていた。
「晶国の王妃選びは黒雷尾にも重要なことですので、口を挟みたかったのでしょう。まさか自分のことを皇帝だと騙るとは思いませんでしたが、陛下が1ヶ月猶予をくれというので、渋々頷いたのです」
「魔物の言うことに従ったというの!?」
「黒雷尾は国にとってとても大切な存在です。国王は黒雷尾に認められて初めて国王になりますし、王妃もまた黒雷尾に認められなければ王妃の地位に就くことはできません」
「あの子たちに決定権があるのですか?」
驚くルカに全は大きく頷く。
「決定権とは少し違いますが、認められない者がその地位に就いても長続きはしないということです」
「長続きしない?」
「上手くはいかないということですね」
「まさか……、そんな……」
信じられないとエレノアが呟く。
「なにせ陛下は黒雷尾に甘い方ですからな、黒雷尾たちのおままごとに付き合っていましたが、まぁこのくらいが潮時でしょう」
「意味が分からないわ!」
「何が分からないっていうんだい? 王女」
苛ついたエレノアの声に背後から返事がして、パッとルカが振り返ると、そこには華やかな衣装を来た嵐が立っていた。
今まで着ていた簡素な着物とは違い、白地に青の柄の入った重厚な着物に、金の帯をしている。その帯には長く玉の宝石が垂れていて、歩く度にしゃらしゃらと美しい音が鳴っている。
いつも適当にくくっているだけだった髪も整えられ、飾り紐で結ばれた髪は豪奢な金の簪で飾られて、まるで別人のようだった。
ルカも相当驚いたが、隣にいるエレノアも目を見開いて驚いている。
「そんな顔で見ないでくれ。恥ずかしいから」
「ご、ごめんなさい!」
嵐が困ったように言うと、ルカは慌てて下を向いて謝った。
嵐は苦笑しながら、正面のイスに座り、話を続けた。
「王女は黒雷尾たちの存在がそれほど不可解かな」
「あ、当たり前よ! 魔物でしょう? 何をそれほど怖がる必要があるの!?」
「怖がっている訳ではないよ。この土地は元々黒雷尾の縄張りだったんだ。それを人間が後になって住むようになった。櫂たちの主は俺だが、完全な支配とは違う。お互いに信頼し、敬い合って共存しているんだ」
「魔物と共存なんてできる訳がないわ!」
エレノアはそれでも納得できない様子だったが、ルカはなんとなく理解できる気がした。
「持ちつ持たれつ……、黒雷尾たちにとっても人間は大切な存在なのね」
「うん。その通りだ」
ルカににこりと笑った嵐の笑顔が、これまでと同じで、ルカはなんだかホッとした。
煌びやかな格好をしていても、嵐の本質はなにも変わらない、そう思えた。
「だ、だからって! わたくしを騙すなんて、それも皇帝を名乗るなんて大罪よ!!」
「まぁ、そうだが、王女の性格や行動は理解できたから、それほど悪い手ではなかったと思うけどね」
さらりと言った嵐の言葉に、エレノアは引き攣った顔で口を閉じる。
「多少やり過ぎの感はありましたが、確かに良い指標となりました」
全も同じように言い頷く。
気まずい顔でエレノアは嵐から視線を外した。
晶国に来てから、今まですべてが試されていたなんて、エレノアにとっては寝耳に水だろう。知っていればもっと違った行動を取っていたに違いない。
悔しそうなエレノアを見て、ルカは少しだけ同情した。こんな不意打ちは、確かに自分だって驚く。
「さて、これで事情は分かったと思う。改めて挨拶しよう。晶国国王、嵐・狼だ」
改まった嵐の言葉にルカはハッとした。慌てて立ち上がりその場に膝を折る。エレノアもまた渋々だが立ち上がると、その場に膝を突いた。
「……エクール王国、王女エレノアでございます」
「100年に一度の盟約を守り、よくぞ我が国に参った。色々とあったが、そなたを王妃として迎えようと思う。……ルカ、なってくれるかい?」
エレノアに言っているとばかり思っていたルカは、あまりの驚きに顔を上げた。
それはやはりエレノアも同じだったらしく、驚愕の表情で嵐の顔を見つめていた。




