擬似的な彼女~留学生は男の娘~2
「本名はサトキチ、ここではりよと名乗ってるが。正真正銘、志都美家の一人息子だ」
居吹に言われて履歴書の名前欄を見れば、ふりがなは確かに“しずみさときち”と振られている。遅れて真琴と恋宵の間に顔を出した直姫は、平然とした顔で「ほら、だから言ったじゃないですか」と言い放って、また里吉に睨まれていた。
「お、男……」
「男……」
「男なんだ……」
呆けたように繰り返してから、彼らは、改めて里吉をまじまじと観察する。
顔立ちは至って整っていて、言われてみれば中性的、という程度だ。なにしろこの生徒会には中性的どころか、異性装に優男に美形アイドルに極度の女顔まで、全く基準にならない顔が揃っているのだ。少しくらい切れ長の目が凛々しくたって、首が逞しくたって、手のひらが大きくたって、そういう子もいるかもね、で片付けられる問題である。
それよりも、長く手入れの行き届いた睫毛や、ゆるくパーマがかけられた艶やかな黒髪、薄く施された化粧などを見て、言われなくても男だなんてわかる人間はそういないだろう。完璧に作られた“美少女”っぷりに、夏生がぼそりと「……オカマ?」と呟いた。
「いやですわオカマなんて。ちょっと女の子の格好と、美しいものが好きなだけです」
「……そう……」
いくら個性派揃いの悠綺高校といっても、“そっち系”までは初めてだったのか、夏生や紅もさすがに引き気味だ。そんな彼にけろりと笑って見せる、りよ改め、里吉(さときち)。
「どうりで夏生が覚えていないわけだな……」
応接テーブルには、数枚の写真が置かれていた。三年前のパーティーの様子を撮影したものだ。
さすがに公の場で、主役の長男が女装した姿を堂々と晒すわけにはいかなかったのだろう。そこに写る姿は、きちんと男性用の礼服を身に纏った、どこからどう見ても少年のりよの姿。長い髪だけは同じだが、一つに結って背中に垂らしてある。
ナチュラルメイクにプリーツスカートという装いの今と、もちろんこれといった化粧はしていない写真の里吉を見比べて、真琴は苦笑を漏らした。
「そうですよね。三年前は男だったんだから」
「なに、夏生に惚れて、本格的に目覚めちゃったってこと?」
「まじ? じゃあこの子がはるばる来日したのも俺たちが無駄にバカにされたのも、全部お前のせいじゃん」
「は? 冗談じゃないよ、やめてくれない」
夏生の周りからは、明らかに面白がっているような横槍が入る。
それを鬱陶しそうに交わす夏生の様子に、直姫はなんとなく違和感を抱いていた。いつもならば、相手が誰であろうと、生徒会役員たちと顧問の居吹以外の人間であるなら、絶対に被った猫を下ろしたりはしないはずなのだ。
直姫が、人知れず首を捻った時だった。
居吹が、「あぁ」と思い出したように声を上げた。そして、ジャケットのポケットから、白い封筒を取り出す。
「忘れてた。夏生、理事長から手紙が来てる」
「……俺?」
「生徒会宛てだ」
そーゆうのって普通顧問が開けるんじゃないの、と准乃介が小さな声で言う。だが不良教師はそれに構うことなく、夏生に手紙を手渡した。
見たところ航空便のようだが、なぜかいつも世界中を飛び回っている理事長のことだ、特に珍しくもない。
封を切って取り出した紙は、上質な純白のもので、滑らかなその表面には、透かし模様が見えた。偽造を防ぐために、理事長からの公的文書にはすべてに必ず入っているのだ。複雑な紋様を紙の裏表からプレスしているのか、じっくり観察してもなにが描かれているのかはよくわからない。
「今はイギリスにいるんだとよ。多分BTSの社長と知り合いなんだろーな、留学もそのコネだろ」
「嫌な予感しかしないけど……」
小さく溜め息を吐きながら、夏生が手紙を開く。濃い紫の字で綴られた、達筆が見えた。
中身を見た途端にぴくりと眉を震わせた夏生に、恋宵が「にゃあに、読んで読んで」とねだる。夏生は彼女にちらりと視線をやってから、溜め息を一つ吐いて、声に出して読み上げはじめた。
「『生徒会諸君へ。この度日本へ留学した志都美家の』…………『御令嬢のこと、よろしく頼みます。』」
わずかな抵抗なのか、ある一単語の前でやけに間が開いた。少しだけ眉をしかめて、続ける。
そうして読んでいくうちに、彼の嫌な予感が見事に当たっていたことが、誰の目にも耳にも明らかになっていた。
「『日本での高校生活は慣れないでしょうから、手を貸してあげてください。それから、なにやらBTSのライバル社が隙を狙っているという噂を聞いたので、くれぐれも彼女を一人にしないように気を付けて』……」
「え?」
「……どういうこと、これ」
顔を上げた夏生は、居吹に向かって言った。居吹はサングラス越しに眉尻を下げて、肩を竦める。
「さあ」
「狙ってるってなに?」
「命……は、さすがにないかな。金目当ての誘拐とか……てこと、スか?」
「俺にはなんとも」
言えない、という無責任すぎる言葉は最後まで言わずに、居吹はポケットから煙草ではなく、フリスクのケースを取り出した。
生徒会室の調度品は、この学校では理事長室の次に高価なもので揃えてある。今日は昨日の暑さとは打って変わって少し肌寒いくらいなので、窓が開けられていないのだ。それに生徒会だけならまだしも(なら、となってしまうところが居吹なのだが)、里吉もいる。一応気を遣っているのだろうが、今は気の遣いどころが間違っているとしか思えなかった。
視線を向けられた里吉が、答える。
「うちのライバル、アダムス社というんですけれど、本社は中国にあって、チャイニーズマフィアとの繋がりも噂されていますわ」
それを聞いた直姫たちは、お互いに何度も顔を見合わせた。表情も動きもなにもかも、全てが引きつっている。
「ちょっと、待って、それは」
「じゃあ、なに、もしかして」
「ご……護衛しろって、こと、かにゃ?」
蒼白な半笑いをいくつか向けられた、志都美家の御令嬢、もとい御子息は、他人事でももう少し優しいであろう能天気さで、素敵な笑顔を惜しげもなく披露した。
「そうね。皆さん、しっかり私をお守りになってくださいね?」
誰かの「嘘だろ……」という声が、霧散して消えて行った。
◇◇◇
「あら、じゃあ日本にいる間は、石蕗先輩のお宅に?」
「えぇ、昨日からホームステイさせていただくことに。一昨日まではホテルだったのですけど、なにしろ遠いじゃない? 先輩のお宅なら学校から近くて通いやすいということで、先方からご提案してくださいましたの」
「いいですわねえ……石蕗邸っていったら、それはもう立派な日本家屋ですもの。やっぱり日本に来たなら和の文化に触れておきたいですわよね」
「そう、昨日は離れの茶室や見事な石庭を見せていただきましたの。あの景色だけでも、来日した甲斐がありましたわ」
「まあ、羨ましいですわ……」
翌朝。
里吉とクラスの女子数名のお喋りが、賑やかな笑い声を交えて聞こえてくる。
「すごい猫の被りよう……」
「昨日はあの紅先輩相手に低レベルとまで言ってたのにね」
そして教室の反対側の一角では、呆れ返る直姫と真琴の姿が見られた。
悠綺高校は、なにしろ広い。悠綺大学、附属幼等部は町中の一等地にあるのだが、まとめておくにはあまりに場所が足りないので、初等部から高等部までは場所を別にして、都市郊外の自然の中に敷地を構えている。
そのため、来日以来里吉が泊まっていたホテルからでは遠く、車で一時間半もかかるのだ。
そこで、それならもっと近いところにホームステイしたらいいじゃないと提案したのが、理事長である紀村悠子である。
昨日生徒会が受け取った手紙を書いていた時点ですでに、学校近くのいくつかの生徒の家に連絡済みだったらしい。その中には、悠綺高校から徒歩十五分の小山の麓に荘厳と構える石蕗家と、そこからさらに徒歩十五分ほどの、夏生が暮らす東雲家の別邸、そして車で二十分かかるがホテルよりはずいぶん近い、伊王家も含まれていた。
もちろん他にも何件か挙がっていたが、護衛やらなにやら面倒な話が出てきたせいで、必然的に候補は生徒会役員の家に絞られてしまう。その中で、学校から最も近く、家主が快諾してくれ、かつ色々と都合が良かったのが、紅の家だったというわけだ。
紅は普段は徒歩通学だが、今朝は里吉への取り計らいによって、送迎の車と、前後に六人のボディーガードの乗った護衛車までつけての登校。そんな落ち着かない空気の中で里吉と在宅時を共に過ごすというだけでも、ずいぶん神経を磨り減らしそうである。
だというのに、面白がった恋宵までもが、昨日から泊まりがけで遊びに行っているのだ。まだ一晩、すでに紅の心労は計り知れない。
「紅先輩、かわいそー……」
「その紅先輩に八つ当たりされる、准乃介先輩もね……」
いくら苛立っていても、紅は同性の友人や後輩たちには、一切そんな態度を取らないのだ。矛先が向けられるのはいつも、なぜか決まって准乃介だけ。不機嫌な紅の扱いに困って苦笑する准乃介が、目に浮かぶようである。
ご愁傷さま、とばかりに、二人は溜め息を吐いた。
「ご自宅での石蕗先輩は、どんなご様子?」
「それ、ぜひ聞きたいわ!」
「そうね……、剣道のお稽古を少しだけ拝見しましたけど、とても凛々しくて……惚れ惚れしましたわ」
「まあ、素敵ね……」
「憧れますわ……」
礼儀正しい留学生の皮を被った里吉が、様々な言葉を並べて、殊勝に紅を誉めちぎる。
教室の喧騒に紛れ、お嬢様たちの上品な笑い声と、里吉の話にざわめく声がただただ、響いていた。
◇
四時間目終了の鐘が鳴った途端に、教室は騒がしくなる。
昼休み、持参したランチボックスを取り出す者や、各校舎にある購買へ向かう者、北校舎一階の食堂へと出向く者。
三者三様の中、直姫は自前の弁当を広げる一人だった。二週に一度くらいは購買でパンやおにぎりを買ったりするが、食堂へはほとんど行ったことがない。真琴に付き合って、これまでに三回行っただけだ。
今日もいつものように、教室の自分の席で昼食をとろうとしていた。の、だが。
姿勢の良い立ち姿、背後に立ちはだかる人物の存在に気付く。いつもの通りならそこには、愛らしく微笑んだ大友麗華嬢が、朗らかな美声で「直姫くん!」と呼び掛けるところだ。けれど、振り返った直姫は、麗華よりもずいぶん高い位置にある顔を見上げることになった。
「食堂へ行きましょう? 案内をおねがい」
「あ、さとき」
「りっ! 里吉ちゃん、」
昨日の放課後、秘密を共有しあう仲、しかも実は幼馴染みだと発覚した直姫である。里吉の眉がひくりと動いたのを見て、慌てて真琴がフォローしたが、つい本名で呼びそうになったことに、全く悪気がないとは言えなかった。
なにしろ昨日一日だけでも、直姫や真琴だってずいぶん彼|(彼女、というにはやはり、抵抗があった。本人がオカマではないと言い切ったからだろうか)に振り回されたのだ。
しかし、そんな自分たちになぜ里吉が声をかけたのかがわからなくて、直姫は見上げたまま、首を傾げた。
「え、でも自分はお弁当だし」
「そう。でも私は食堂でいただきますの」
直姫は訝しげに、さらに首を捻った。視線を降ろして、真琴のほうを向いて、また里吉を見上げる。
さっぱり理解していない直姫の表情に、里吉は笑顔のまま、少し低くなった声で言った。
「私が日本にいる間は生徒会の皆様がサポートしてくださる、というお話だったのではなくて? 同じクラスなんだから、放課後までは貴方たちがその役目なのですよね」
にこり笑顔で、だが目に力を込めて言った里吉に、直姫の機嫌も傾いていく。
「夏生先輩に会いにわざわざ来たんでしょ? なら先輩にくっついてればいいじゃん」
「そうしたいのはやまやまです。けれど、授業中や休み時間までずっといられるわけはないでしょう。常識的に考えれば当たり前のことですわ」
「非常識の塊がなに言ってんの」
「だいたい、その夏生様が、日中はあなたたちを頼っていいからと言ってくれたんです。理事長命令なのでしょう?」
理事長命令。その言葉を出されては、断りたくても断るわけにはいかない。里吉が切り札を持ち出してさっさと教室を出て行ってしまったので、直姫と真琴は渋々ながらも、後に従うしかないのだった。
「元はといえば夏生先輩がお坊っちゃまなんかに惚れられるからこんなことになったってのに」
「な、直姫……別に夏生先輩が悪いわけじゃないんだから」
「面倒なことすぐ後輩に押し付けんだから、あの人」
「なにか言いました、直姫さん?」
小声でぶつくさ言う直姫に、里吉がくるりと振り返って笑いかけてくる。
「別にいー」
笑顔なのに笑っていない女装少年と、唇を尖らせて瞳を眇める不機嫌な男装少女。そんな奇妙な二人に挟まれた真琴は、実に居心地悪そうに眉尻を下げるのだった。
◇
「ほんと、なんなんですかね、あの人……」
無愛想な友人とわがまま留学生の間を、健気にも取り成していた真琴だったのだが。溜め息と共にそんなぼやきを吐き出したのは、彼にしては、非常に珍しいことだった。
聖が、手を動かしながら彼をちらりと見やる。
「あの人って、サトキチくん?」
「サトキチくんって呼ぶと鬼のごとくブチギレるゆえ、サトちゃんって呼ぶのがベストだと思うんだけろ。紅ちゃんどう思うにょろ?」
「あぁ……いいんじゃないか」
「紅先輩だいじょーぶスか? なんか疲れに効きそうなハーブティーでも淹れてもらいますか」
「あぁ……いいんじゃないか」
「だめだ、さっきからそれしか言ってないし……ちょっと仮眠取ってきたらどうですか?」
「あぁ……いいんじゃないか」
「なんなら俺が添い寝してあげよっかー?」
「叩き斬る」
「あは、手厳しー」
いつものように全くもって中身のない会話をしてはいるが、場所はいつもの生徒会室ではない。石蕗邸の離れ、紅の自室である。里吉の我が儘と恋宵のテンションをいなし続け疲れきった紅を励ますため、と、一応生徒会活動の一貫だ。
本来ならば必ず生徒会室で行う決まりなのだが、さすがにそう何度も、部外者である里吉を、関係者以外立ち入り禁止の部屋に入れられなかったのだろう。留学生だからといって特別扱いしては、他の生徒の反感を買うことになる。
居吹から、現在手をつけている作業は持ち帰って、家でやってくるようにとの通達があったのだ。つまりは事実上の、一時活動休止状態なわけだ。
だが、分担して仕事を持ち帰ったところで、きちんと家でやってくるとは到底思えない役員が、一人どころでなくいる。ならば誰かの家に集まって終わらせてしまおう、と言い出したのは、恋宵だった。
里吉を護衛する役目も果たせるし、恋宵も泊まりで遊びに来ている。石蕗邸ならば都合がいいだろうということで、ここに集まった。
のは、いいが。
「いち、に、さん、っと……『別れた彼女にいちゃもんをつけられ慰謝料を請求される。100万円払う』……ってなにこれぇー」
「次、僕ですね。えーっと、『逆玉に乗った。婚約指輪代に180万円払う』……人生ゲームってこんなに巨額が動くゲームでしたっけ……?」
「あたしなんか『イジメを受けて訴訟を起こす。裁判に勝って慰謝料300万円貰う』にょろよう。イラストがゲス顔でなんかイヤぁ~」
「つーかこれ、おかしくない? スタートして二マス目が『死霊に祟られる。恐怖体験記を出版したらそれなりに売れる。印税250万円貰う』だよ?」
「『大金持ちの息子を誘拐する。身代金1億円手に入れる』……。犯罪じゃん」
「『3億円の借金を残して親が急逝。借金を返すためホストに転職。職業カードを交換』」
「『造花ブーケ作りの内職を5時間やって600円貰う』。ここだけ平和な気はするが……内職とはなんだ?」
生徒会の仕事を片付けてしまうという名目で来たものの、実際に彼らがやっているのは、大人数で行うにはとてもポピュラーな、人生を縮図にしたあのボードゲーム。しかしなぜかなんとも言えない微妙な内容しか書かれていないうえ、一マスで巨万の富が動くこともあるという、目茶苦茶な内容だ。
「なんか……僕のうちにあったのと全然違う気がするんですけど……」
「そーよねぇ、もっとこー……化石を掘り当てるとか、カジノとかだった気がするんだけろ」
「おかしいなー、かなり盛り上がるって言ってたから、わざわざ借りてきたのに」
聖の言葉に、直姫と真琴を除く四人が、ぴくりと反応した。紅が口許だけ引きつった笑いを浮かべて、顔を上げる。
「一応聞くが……誰に借りたんだ……?」
「え? 涼介たちっス」
「ふにゃあああやっぱりぃぃぃ」
「あーあ、この趣味の悪さは絶対そうだと思った」
「つーかこんなんで盛り上がるのなんて、あの五人だけだよねぇ。あいつら全員サディスティック星の生まれでしょ?」
涼介というのは悠綺高校の三年生で、平たくいうところの、聖の仕事仲間である。彼が所属する三人組アイドルグループ、『KNIGHT』のメンバーの一人であり、最年長のリーダーらしい。
そして准乃介が言う“あいつら”とは、その井上涼介をはじめとする彼の幼馴染み、東千佐都、七川光里、佐久間颯、大道寺倭のこと。彼らがどんな人物なのかは、後々思いもよらない状況で明らかになるが、この時の直姫はそんなこと、知るよしもない。
そしてこのゲーム、どうやらその五人が金に物を言わせてわざわざ作らせた、特注品らしい。会ったことはないものの、きっと自分とは到底仲良くなれない、というかあまりしたくもない種類の人たちなのだと、直姫は理解している。
「ところで、真琴はなにをそんなに怒ってるんだ?」
少し静まっていた怒りが、紅に聞かれて蘇ったのか、真琴は眉を寄せた。彼にしてはかなり貴重な、不満をあらわにした表情だ。
「聞いてくださいよ! もうほんっとあの人に一日中振り回されて」
「あぁ……すまんな、大変だったろう……」
生気の欠けた目で自嘲的な笑みを浮かべながら、心の底から紅が言う。准乃介がすかさず、紅が謝る必要ないでしょ、と言った。
唇を尖らせた真琴の話によると、里吉の言動はこうだ。
日中は同じクラスの直姫と真琴が世話係だと言い放った彼はまず、昼食は毎日食堂がいいとか、自分は慣れないのだから二人も一緒に来るようにと注文をつけた。食堂へ行けば、今日のメニューはイタリアンと中華だったにもかかわらず、フレンチじゃなければ食べたくないだとか言って、真琴たちだけでなくスタッフたちまでもを困らせた。
そうかと思えば、中庭を一周してみたい、次は屋上全部に行って中庭を見下ろしてみたい、放課後には部活中の茶道部にお邪魔して茶を立てるところを見たいなどと、わがままばかり言っては二人を引っ張り回していたのだ。
「もうくたくたです……」
「いちいちそんなに真面目に取り合わなきゃいいのに。まあ、歩きっぱなしで疲れたのは確かだけど」
「直姫もひどいんです。最初はあんなに不機嫌そうだったのに、僕が怒ったからって言って急に無反応になっちゃうんですよ」
「だって、真琴が代わりに怒ってくれるから」
なにそれよくわかんない、と真琴が大きな溜め息を吐く。真琴が愚痴るままに聞いていた夏生が、ぼそりと口を開く。
「無視すればいいんじゃない」
「な、なっちゃん揺るぎねぇな……」
「理事長命令じゃにゃい」
「そんなことできませんよぉ……」
「つーか、そのわがまま坊っちゃんはどこ行ったわけー?」
「あ、そういえば……」
准乃介に言われてようやく気付く彼らも彼らである。
紅の自室であるこの離れには、寝室として使っている洋室のほかに、和室が二部屋ある。そのうちの大きいほう、現在彼らが集まっている部屋を、里吉と恋宵に客間として提供しているらしい。
ちなみに部屋の隅には、四組の布団が積まれている。里吉は見た目こそスレンダーな美少女であるが、体のほうはれっきとした年頃の青年だ。さすがに恋宵と二人部屋というわけにもいかず、紅と仲の良い使用人の女性とで、しばらくここに寝泊まりすることにしたのだ。
紅は背後の襖を一瞥し、吐息と言葉を一緒に吐き出した。
「着替えて来るから絶対に入るな、だそうだ」
「帰ってきてすぐ、一人で部屋に籠っちゃったにょろ」
「え、すぐ?」
一度家に帰ったり、学校での用事を済ませたりして彼らがここに集まってから、もうかれこれ一時間は経つ。紅と里吉は先に帰っていたはずだから、それ以上の時間、もう一つの和室に籠りきりということだ。
着替えにしては、いくらなんでも時間がかかりすぎではないのか。そんな思いで、彼らはちらりと顔を見合わせた。
聖が笑いながら言う。
「メイクでもしてんじゃないの?」
「一時間もかかるのか?」
「あーいるよねぇ、メイクと髪に二時間とかかける人」
「テレビに出る人基準じゃないですか」
「そんなことないにょろよう。女の子は色々と時間がかかるものなの」
「男ですけどね……」
変なすごろくを進めながら、だらだらと口を動かす。
またしばらくそうして過ごしていると、里吉が籠っているという部屋の、襖が動いた。滑らかに木と木が擦れ合う音。一体どんな気合いの入ったばっちりメイクで登場するのかと、彼らは顔を上げる。
「お待たせいたしました」
これまでの態度とは打って変わって、お淑やかな口調。正座で襖を閉める里吉の姿を見て、まともな反応などできるはずもなかった。
「……は?」
思わず声を上げた直姫の後ろで、真琴が目を丸くする。
「ふ、振り袖?」
「京都友禅ですの。夏生様、どうですか?」
三つ指を突いて下げていた頭を、里吉はゆっくりと上げた。
光沢のある赤地に黄や橙の紅葉がちりばめられた、それはそれは絢爛な着物。それを見事に着こなし、纏め上げた髪には簪まで刺して、紅を差した唇を、上品に微笑ませる。その振る舞いは、まさに大和撫子、といったふうだ。
「どうって……なんで着物」
「一度も着たことがなかったので、着てみたかったんです」
だからなぜ今このタイミングで、ということを尋ねているのだが、その質問の意図は伝わらなかったらしい。
聞けば、今回日本で一番はじめに寄ったのが京都で、そこで注文していた着物が今朝、先日まで泊まっていたホテルに届いたのだそうだ。移動先は知らせてあったので、すぐにホテルからここまで届けてくれた。きっと、今日帰って来たらホテルから荷物が届いていて、開けてみたら買った着物が入っていたから着てみた、なんていうだけの実にマイペースな理由なのだろう。
紅い着物は里吉の、黒目がちで切れ長の目や、艶やかな黒髪には良く映えていた。
「にゃあーかぁわいい~」
「でしょう? 桜と迷ったんですけれど」
「赤にして正解にゃよぉ」
全員が顔を引きつらせる中で、恋宵が手のひらを合わせて、にこにこと笑って言う。この時ばかりは直姫も、あんなふうに素直に誉められる彼女を、少し羨ましいと思った。
「やっぱこの子ちょっと……」
「なんだっけ、大友さんが言ってた……女の子は恋をするとアホになりますの?」
「違うよ直姫……」




