シンデレラボーイの憂鬱な日3
泣き止んだ城ノ内未奈嬢を連れて直姫がホールへ戻った頃には、もう、定期発表会の最後のプログラムが始まっていた。
トリを努める、シンガーソングライター・Inoこと伊王恋宵が、ステージで弾き語りをしている。ギターだけを抱えて、スタンドマイク越しに、目を細めて客席を見渡して。
変人と言って憚りない普段の姿からは、想像もつかない表情だ。
高校生とは思えない演奏技術と、よく通る声と抜群の歌唱力と、きっと彼女にしか作れない歌。
遠くからそれを眺めながら、直姫はぼそりと呟いた。
「……先輩、歌は上手いのに……」
どうして普段はああなんだろうか。
心底不思議に思えて、首を傾げる。
しかし客席にいる人々はその力強くも柔らかい歌声に聴き惚れているし、実際、だからこそシンガーソングライターとして絶大な人気を誇っているのだろう。人は人の思いもよらないギャップに惹かれるとよくいうらしいが、彼女のこともそんな一般論で片付けてしまって、果たして良いだろうか。
そんな失礼なことをぼうっと考え込む直姫に、後ろから掛かる声があった。
「あ、直姫! どこ行ってたの?」
振り向くと、城ノ内はいつの間にか姿を消している。
代わりにいたのは、舞台上に限っては頼もしかった、友人だった。客席の照明が少し落とされているためか、いつもは授業中だけかけている、ハーフリムの眼鏡をかけている。
「真琴……ちょっとね、用があって」
「……? さっき写真部の人たちが、直姫を探してたけど」
「げ……やだな」
写真部とは、四六時中カメラを首から下げている写真オタクが率いる、美しいものを被写体にすることに青春を捧げる少年少女の集団だ。おおかた、この発表会の舞台裏ショットでも狙っているのだろう。
今さら言うことではないと自分でも思うのだが、本来なら直姫は、目立つことが好きではない性分だ。写真部なんて、できるならばやり過ごしたいものの筆頭である。
「あれ? 直姫、ジャケットは?」
真琴に言われて直姫は、自分がカッターシャツにニットのベスト姿なのを思い出した。城ノ内未奈を探しに行くために急いで着替えたので、ジャケットを着ずに出てきてしまっていたのだ。
「忘れてた……取って来る」
「え、でも今」
真琴がなにかを言おうとしたが、直姫はすでに、捻った足でひょこひょことホールを出て行ってしまったあとだった。ステージ側にある通用口から、直接舞台裏へ向かう気なのだろう。
「写真部が、直姫探して、舞台脇の控え室のほうに行ったんだけど……」
残された真琴は、あーあ、と呟いて、舞台に目を移す。
するとちょうど、恋宵がアンコールに答えて謎の曲紹介をしている最中だった。
「それじゃあー、生徒会室でしりとりしてるときに思い付いた曲を歌います! それでは聴いてください、『耳がダンボ』! いっえーい!」
いつの間にかバックバンドがスタンバイ済みだ。
きゅいぃーん、と先陣を切って恋宵が掻き鳴らす、どぎついピンク色のエレキギター|(恋宵の愛用品らしく、生徒会室でもよく爪弾いている)。
呼応するように観衆から沸き上がる、大歓声。
「しりとり……」
したっけ、と、真琴は呟いた。
なぜかしりとりが好きな彼女の、突然の思い付きに参加させられるのは、いつも聖と真琴の二人である。思い出そうにも、連日のようにやり過ぎていて、どの時なのかわからないのだろう。
「ていうか……なんですか、その曲名?」
真琴が温く動きのないホールの空気にぼんやりとする頭で考えている間にも、恋宵は謎の楽曲を熱唱していた。
『耳がダンボ』は、やけにアッパーなロックチューンだった。
◇
ところ変わって、直姫が更衣室に戻って制服のジャケットを羽織り、観客席へ戻ろうとした時。
同時に隣にある控え室の扉が開いて、話しながら出てくる二つの人影があった。
「先輩、いませんね、西林寺くん」
「全く……、どこに行ったのかしらね」
耳に入った会話に自分の名前が出たことに驚いて、直姫は再び更衣室へと体を引っ込めた。すぐさま、真琴の言っていたことが思い当たる。写真部が、まだ直姫を探していたようだ。
(見つかったら面倒そう……)
そのまま隠れて二人をやり過ごそうと考えていた時だった。
通路に置いてあるなにかが、暗闇に慣れてきた視界に入る。
(え……まだ置いてある?)
直姫がさっき躓いたのと、同じ物だ。なぜ誰も退かさないのだろう。
危ないとは思いながらも、彼女らがいては、出るに出られない。
すると、写真部の部長である女子生徒が、それに気付いたらしい。
「ちょっと!」
「は、はい」
部の後輩なのか、彼女を先輩と呼び一緒に直姫を探していた男子生徒に、声をかける。そして、通路の邪魔になっている物体を指差した。
「これ、うちの機材でしょう。ずっとここにあったの? こんなところに置いておいたらダメじゃない、危ないわよ!」
「あ、すいません!」
男子生徒が、慌てて駆け寄る。そしてその、撮影機材が入っているらしい大きなスポーツバッグを肩に掛けると、他の場所を探しに去って行ったのだった。
「…………写真部かよ」
そんな直姫のやるせない突っ込みも、会場に響く恋宵の歌声とギターサウンドと、生徒たちの歓声に、掻き消されていったのだった。
◇◇◇
それから週末を跨ぎ、直姫は相変わらず気だるげな月曜日。教室に入った途端、妙にしおらしい雰囲気が彼らを取り巻いていることに気付いた。
後ろの席に振り向いて、真琴に話しかける。
「おはよ、真琴」
「あ、おはよー直姫」
「なんかあったの?」
「うーん、実はね……」
真琴の話を聞いて、直姫は驚いた。驚いたとはいっても、一緒にいる時間の比較的長い真琴でさえ、目を見てやっとわかるかわからないか、というくらいしか、顔に出てはいないのだが。
「え……城ノ内さんが転校?」
「うん。なんか、絵の勉強がしたいからパリの学校に通いたい、って。知ってた人もいたみたいだけど、みんな急なことでびっくりしちゃって」
高校受験の頃からすでに迷ってはいたが、つい二週間ほど前、パリに住んでいる親戚から正式に招待が来たため、それで決心がついたらしい。土曜の午前中の飛行機で、パリへと旅立ったそうだ。
「親睦会もあって忙しいだろうから送別会はいらないって、本人が言ったらしいよ」
発表会は、三日前。
直姫の机にあの手紙が入っていたのは、その一週間ほど前のことだ。
親戚からの招待と、親睦会での劇にキスシーンがあることが明らかになった、恐らく脅迫状を書いたであろう時期とが、わずか数日違いなのが少し気になる。直姫へあの手紙を書いた時には、すでに、パリ行きが決まっていたのだろうか。
急な話に頭を過ぎるのは、親睦会の、あの出来事。
さめざめと泣いていた姿を思い出す。
(あそこまで言うこと、なかったかもな……)
「──西林寺くん、」
少し後悔していた直姫は、自分を呼ぶ声に振り返った。
そこに立っていたのは、松浦美穂子嬢だ。彼女は明るくて社交的で、どちらかというと麗華と似たタイプにも思えるが、城ノ内未奈とはいつも一緒にいたような気がする。
「おはようございます」
「あ、松浦さん……おはよう」
親友の城ノ内が突然転校してしまって落ち込んでいるのでは、と思ったが、松浦はいつもと変わらない笑顔を浮かべている。二人の親密さを考えれば当然とも言えるが、知っていた人というのには、彼女も含まれていたようだ。
直姫は、そんな姿に無意識下で、少なからず安堵する。
「実は、西林寺くんに渡したい物がありますの」
「え?」
そう言って松浦嬢は、薄いピンク色の封筒を差し出した。
「これ、未奈からの預かり物です」
「ミナ……って、城ノ内さん……?」
また手紙か、と思いながら、躊躇いがちに手を出す。直姫がそれを受け取ると、松浦はすぐに背を向け、歓談中の女子の輪に入っていった。
「ええ、なんだろう」
「城ノ内さんって直姫のファンだったよね。結構わかりやすく」
「え?」
「ファンレター……いや、ラブレターとか?」
「まさか……」
ファンなんて、芸能人じゃあるまいし。
真琴の熱心なファンの仕業だろうと考えていたあの出来事が頭に過りながらも、笑いながら開いた便箋。
しかし、そこに目を落とした瞬間、直姫はぴしりと固まってしまった。
「……え、直姫?」
「……」
「おーい?」
「……」
「直姫ってばー」
「……ま、真琴」
「なーに?」
「どーしよ……」
ぎぎ、と骨が軋む音すら聞こえそうなほどぎこちない動作で顔を上げた、その表情を見た瞬間に、真琴は浅く数回頷いた。
(やっぱりラブレターか……)
そして直姫の情けなく下がった眉尻を見て、ふ、と吹き出す。
「……直姫のへたれ」
笑いを堪えながらそう言う真琴に、うるさいな、と不機嫌に返した。
『西林寺直姫くんへ。
あなたのこと、はじめて見た時からずっと好きでした。
でも西林寺くんが思ったより鈍かったから、今回は諦めてあげます。
西林寺くんがびっくりするぐらいのいい絵描きになって、いい女になって帰って来るから、覚悟しておいてね。
城ノ内未奈より。』
女の子ってなんか強いな、と思った、自分も紛うことなき女である、直姫だった。




