シンデレラボーイの憂鬱な日
「今日の西林寺くん、なんだか少しアンニュイですわね……」
「憂いを帯びてますわ……体調が優れないのでしょうか……?」
「まあ、看病してさしあげたい……」
「儚げな横顔ですわね……」
上品な仕草で頬に手をあてた少女たちが、ほう、と溜め息を吐く。
彼女らの視線の先にいる少年は、自分の席に座って、肘をついてただぼんやりと外を眺めていた。
一年B組、西林寺直姫である。
(少年は、平たくいうところの“家庭の事情”によって少年の姿をしてはいるが、性別はれっきとした女性であった。なので、ここでは“彼”ではなく“彼女”と呼ぶことにしよう。)
彼女が憂鬱な表情でクラスメイトの心優しい少女たちを心配させているのは、教室の掲示板に貼ってある一枚の紙が一つの要因となっていた。
『1年B組春の親睦会 開催決定!』
親睦会とは一体なんなのか、春のということは季節ごとにいちいち開かれるものなのか。
そんなことに頭を悩ませているわけでは別になく、直姫が気だるげな顔をしている一番の原因は、深夜までの映画鑑賞による寝不足なのだが。
「わかりましたわ、西林寺くんのお元気がない理由が!」
そんなことはつゆ知らず、少女たちは教室の片隅で、顔を寄せ合った。一人の女子生徒が、ぴっと指を一本立てる。
なんですの、と囁く声に、彼女は自信ありげに小声で言った。
「今日は佐野くんがお仕事で遅刻しますでしょう? だから淋しがっていらっしゃるのよ!」
「まあ! それならわたくしたちが喜んでお話相手になりますのに……!」
「佐野くんじゃなきゃだめなのよ、きっと!」
「淋しがり屋さんですのね……!」
きゃいきゃいと高い声は、教室の反対側にいる直姫にさえ届くほど大きな声になっている。近頃よくそんな妄想が、直姫や真琴の周囲にいる女子生徒たちによって振り撒かれているのだ。
真琴が生徒会室で相談してみたら、「あぁ、ついに真琴たちもターゲットになったんだ」と聖が乾いた笑いを漏らした。
多少見た目の小綺麗な生徒ならば遅かれ早かれ誰もがそういった話題の的になるから、諦めて関わらないが吉、ということらしい。変に否定するとなぜかさらに面倒な噂が立つから、放っておくのが最善策なのだそうだ。
(暇なんだな……他に考えることないのかな)
彼女らいわく“儚げでアンニュイな横顔”で内心毒づく直姫の横に、誰かが立った。姿勢のいい立ち姿は、生まれも育ちも生粋のお嬢様、といった感じである。
それは、一年B組学級委員長、大友麗華(おおともれいか)嬢だった。
「おはようございます、西林寺くん」
「おはよう大友さん」
「親睦会の告知はご覧になりまして?」
「うん……けど、親睦会って?」
「あら、ご存じなくて? クラスの一致団結を促すための、レクリエーションのようなものですわ」
「へえ……?」
直姫は、小さく首を傾げた。
麗華嬢はそれをにこにこして見つめている。
「具体的にはなにするの」
「クラスごとに学級会で決めるものだから、まだわかりませんわ。でも、お茶会や観劇が定番ですわね」
ただクラス全員で演劇を鑑賞するだけで、どうすれば一致が深まるのかはわからない。要するに、単にクラス全員で動くということが重要なのだろう。
悠子さんの考えそうなことだ、と直姫は思った。
「でもわたくしは、他のクラスとは少し違うことをやってみるのもいいと思ってますの。直姫くんはいかが?」
「うん? んー、そうだね……なんでもいいかな」
少し丁寧すぎるほど典型的なお嬢様口調の彼女は、実は入学してからことあるごとに直姫にアプローチを仕掛けている、なかなか積極的な令嬢である。友情とは違うが恋情でもないように見える、一体なんの対象としているのかは、さっぱりわからない。
だがなんにせよ直姫は、そんな彼女の気持ちには少しも気づいていなかった。
端から見ても明らかに少し空回りしている、なんというか、残念なところのあるお嬢様なのだ。
「今日の四時間目に学級会が開かれますの。なにかご意見があったら、考えておいてくださいましね」
麗華嬢は去り際、たおやかな仕草で、にっこりと笑顔を浮かべていた。
◇
四時間目。
教壇には、担任である丸い顔に丸眼鏡の藤井ではなく、赤い髪にくわえ煙草の竹河居吹が立っていた。校内禁煙のため煙草に火は点けられていないが、きっと他の職員に見つかれば大目玉を食らうだろう。
腹痛で早退した藤井の代理だという居吹は、気だるげに教卓に片手を突いて、もう片方の手でちょいちょいと手招きをした。
「四時間目は学級会だって藤井先生に聞いてるけど」
「はい! 今度の親睦会の催し物を決めることになってますわ」
「そ。じゃー、あとはよろしく」
四時間目といえば、昼前のちょうど眠くなる時間帯である。
加えて直姫は、前日夜更かししたつけが、今になってピークに達していた。
三時間目が終わる頃に遅れて登校してきた真琴が後ろから話しかける声にも、曖昧な相槌を打つだけで、ほとんど聞いてはいない。
「竹河先生、今日も適当だね」
「ん? うん……」
「親睦会、どうなるかな? 僕はなんにも考えてないんだけど」
「へえ……」
「直姫、寝てるの?」
「んーん……」
居吹に呼ばれた麗華ともう一人の学級委員が、黒板の前に立って同級生たちを見渡す。
「まずは親睦会でなにをしたいかをお聞きしますわ。ご意見があればどんどんおっしゃってくださいな!」
「お、おねがいします」
笑顔ではきはきと話す麗華に対して、もう一人の学級委員は、ぼそぼそと言って小さく頭を下げるだけだ。地味で内気で気弱そうな、どう見ても立候補で学級委員になったようなタイプではない男子生徒である。
名前は山田琢己(やまだたくみ)というが、皆が揃って「委員長」と呼ぶので、あまり本名は浸透していない。
さて、あとになって考えてみれば、直姫にとってすべての発端はこの四時間目の学級会にあったといっても、少しも過言ではない。
大体が、本来ならば生徒を監督し指揮する立場にあるはずの教師が、放任し教室の隅で文庫本を開いていたと言うのが、まずおかしいのだ。非常識極まりないと、普通ならば誰かが意見しても良さそうなものだ。
だがこの時に限っては、親睦会という興味を引く行事の話し合いでクラス中がどこか浮き足立っていたこと、その教師というのが竹河居吹であること、そして、この学校がそもそも常識的ではない“超セレブ高校”であることなどが、大いに関係していた。
しかし、こればかりはさすがにセレブのおおらかさとかで解決できる問題じゃないだろうと、自分自身も名家のご息女である直姫は、後にぼやいたという。
◇
「私はお茶会がいいと思いますわ。皆さまでお茶やケーキを持ち寄ってはどう?」
「まあ、素敵ね! 私の家のアップルパイ、すごく美味しいのよ」
「でもそれじゃあお昼休みのお茶会を大きくしただけじゃないかしら? 音楽会はどう?」
「それなら、オーケストラを招いたらいいんじゃないかな」
「たまには趣向を変えて、雅楽鑑賞なんてしてみたいよ」
「あ、いい考え!」
この一年B組は、外部入学や芸能系のいわゆる“庶民派”な生徒よりも、幼少から悠綺に通う、家柄の良い生徒が圧倒的多数を占めるクラス編成になっている。そのためか、交わされる会話はやけに丁寧な言葉遣いばかりで、中身もどこか浮世離れしていた。
マイペースに育ってきた生徒も多く、皆好き勝手に発言するため、なかなか意見はまとまらない。委員長こと山田琢己がなんとか黒板に書き留めてはいるが、埋め尽くしそうなほど書かれた白い文字のほとんどは、あまり現実的とはいえないだろう。
そんな中、一人の男子生徒が言った。
「演劇なんてやってみたいな。春の定期発表会が近いし、そこで発表させてもらうっていうのは?」
教室に、一瞬だけ静寂が訪れる。
しかし次の瞬間にはすぐに、沸き立つように声が飛び交った。
「いいわね、それならクラスの全員が参加できますわ」
「楽しそう!」
「なにしろ、うちのクラスには佐野くんがいることだし」
「え、ぼ、僕?」
不意に話題の中心に自分の名前が上がって、真琴は目を丸くした。これはどうやら不穏な流れだと悟って、あの困り笑顔で弁解を試みる。
「僕は余った役とかでいいよ?」
「なに言ってるんです、佐野くんが主役ですわよ?」
「主役!? え、でも主役はやりたい人が他にいるんじゃ」
「佐野くんを差し置いて、主演なんて……」
「そうよ、佐野くんが一番上手に決まってますもの」
「定期発表会は予想外な来賓なんかも来るんだ。そんな大舞台で主役をはれるのなんて、君しかいないよ」
きらきらとした視線が、一心に真琴に向けられる。
なんだかんだと理由をつけてはいるが、日本が誇る若手実力派俳優の演技を、間近で生で観たいというのが、きっと一番の動機だろう。
人の良い真琴が、そんな期待に輝かんばかりの幾つもの眼差しを、無下にできるはずもなかった。絞り出すように、苦笑いを浮かべる。
「ほ……ほんとに……僕で、いいの……?」
途端に、教室中が沸いた。
変わらないのは真琴の前の席、机に肘をついて俯いている――かくんと舟を漕いだ、直姫だけだ。
「受けてくれるの!? やったあ!」
「そうと決まれば次は演目ね!」
「主役が佐野くんですもの、やっぱりここは王子様とお姫様のロマンティックな恋物語がいいですわ……!」
「ロミオとジュリエットなんてありがちすぎるかしら?」
「ありがちでいいじゃない! 素敵よ」
「でもここはあえて、誰でもよく知っている童話なんかにオリジナリティーを加えたり……」
俄然張り切るのは、女子たちである。その妙に熱いテンションにはついていきづらいが、真琴の演技に寄せる期待は高い男子たち。
窓際最後尾の席の真琴を放って、教室内の熱は上昇の一途を辿っていた。
騒がしさに少し眠気が飛んだ直姫が、くるりと体ごと振り返る。
「ふ、……王子様だって、真琴。がんば」
「ちょ、直姫、なんで笑うの! ていうか自分は頑張らないの?」
「頑張らないよ。もう一番暇そうな……村人Aとかでいい」
「……劇だったらなんでも村人が出てくると思ってない?」
直姫には、話し合いに参加する気はさらさらないらしい。失せきらない眠気のせいで、少しぼうっとしている。
そんな友の顔と、どんどん混沌化していく話し合いの様子を見比べて、真琴は唇を尖らせた。
「まあ、直姫に演技なんて……あれ、でも、意外とできるのかな?」
「意外とってなに、失礼だな……ふあぁ」
直姫はそう言って、欠伸を一つ。
考えてみれば直姫だって、素顔は四六時中ぼんやりした、無表情無感動無愛想の三冠女王である。それがクラスメイトや教師に接する時だけは、普通の少年のように微笑んだり、眉尻を下げたりするのだ。
さりげなくて自然なぶん、もしかしたら下手な役者よりも演技は上手いのかもしれない。
真琴がそう思って、首を傾げたときだった。
いつの間にかクラスのほぼ全員が集まった巨大な輪の中から、どよめきが上がる。
どうやら、話し合いに進展があったらしい。麗華が教壇の上へ駆け戻って、ひらりと振り向いた。
「決まりましたわ! 大まかな配役は、今決めてしまいましょう!」
定期発表会まで時間がないからと、進められるところまで進める気らしい。
真琴王子を期待する彼女らの、個人的な趣味が多分に入った議論と検討の結果、演目は知らぬ人のいない童話、『シンデレラ』に落ち着いた。(意見は落ち着いたが、話し合いには全く落ち着きはなかった。)
黒板に書かれた文字がすべて消されて、シンデレラ、と大きく書かれる。シンデレラ、王子、魔女、継母、二人の姉、家来など、代表的な登場人物も、琢己によって書き出された。
それを見て、「シンデレラって登場人物そんなにいないよね」と呟いたのは、直姫だ。
「男子なんか三人くらいじゃん。あとはほぼエキストラか……出ても一瞬だな」
「なんか腹立たしい、その呑気さ……」
「気にすることないよ真琴」
「もう。直姫が家来になればいいのに」
楽そうな脇役中の脇役、例えば舞踏会の参加者Aなんかでこのかったるい行事をのらりくらり乗り越えようという、ものぐさ直姫の怠慢な姿勢が、不運を呼び寄せたのか。はたまた、直姫のくじ運が、悪い意味で良かったのか。
この学校ではイレギュラーなんて自分以外にも沢山いるのだということを、この直後、思い知らされることになる。
それは、麗華嬢の、こんなごく自然な一言だった。
「配役を決めるなら、ここに藤井先生が用意してくださったくじがありましてよ」
藤井は年代は被らないが、居吹の大学の先輩らしい。そんな繋がりで交流はあるのか、居吹のことはよく知っているようだ。
自分のクラスを一時間でも彼に託すのが不安だったのだろう。腹痛に苦しみながらも、事前にできる準備はなんとか済ませてあるようだった。
「これを今から私が引かせていただきます。当たった方は光栄にも佐野くんのお相手、シンデレラ役に大抜擢ですわ。もちろん、誰がなっても恨みっこなしですわよ?」
麗華のよく通る声が、少女たちに、戦いの火蓋が切って落とされたことを知らせる。この勝負の全ては、彼女のくじを引く手に握られているのだ。
白魚のようなその指に、自分の名前の書いた紙を摘まませる術は、運以外になにもない。
知らず知らずのうちに、緊張感が高まっていく。
(なんか真琴が主役みたいになってるけど、この話の主人公ってシンデレラじゃ……)
直姫は思ったが、この空気に水を差す勇気など、あるはずもない。
「……いきますわよ」
重々しい物言いで、麗華が箱の中に手を入れる。
そしてその手を、ゆっくりと、ゆっくりと引き出した。指の間には当然、折り畳まれた紙切れが一つある。
賽は投げられたのだ。
張り詰めた空気の中、これまたいやに緩慢な動作で、その細い指先に摘まれた紙を開き──。
大友麗華嬢は、固まった。
ぴしりと、まるで石で造られた像のようにだ。
数秒間そうして凍り付いたあと、目を伏せて、俯いて、それから頭を左右に振る仕草で、目に見えて気を取り直したのが分かった。
結果を確認した彼女の予想外の反応に、息を呑む生徒たち。興味のなさそうな者は、ごく少数だ。
そして、麗華がついに読み上げたのは。
「──西林寺、……直姫くん。」
直姫は、顔を上げた。
「………………は?」
たっぷり五秒はあろうかというタイムラグのあと、珍しく気の抜けた声を出す。
まったくもって当然の反応だった。
なにしろ、生物学上は女性でも、彼女はこの学校ではれっきとした男子生徒なのだ。まさかヒロイン役の選考中に名前が出るとは、誰にも思いもよらなかったに違いない。
唯一といっていいほど興味なさげに、上の空で外を眺めていたのだ。
唖然とする教室の中に、麗華のはにかんだ声が響く。
「し、失礼いたしましたわ。私ってば、ほほ、ほほほ……」
考えてみれば簡単なことだが、藤井が作っておいてくれたくじは、どんな場面でも使えるようにと、当然クラス全員分の名前が入っていた。男女が混合していることを、彼女は少しも頭に入れていなかったのだろう。
大友さんてばうっかりもの、で片付けられる話ならばまだいい。真琴と直姫が顔を見合わせて、さすがにやり直すだろうと、前に向き直った、その時だった。
「でも……恨みっこなしですものね、仕方ないですわ」
「見た目でいえば、申し分ない二人ではなくて?」
「きっと可愛らしいですわ、西林寺くんのシンデレラ!」
女子たちが口々に言い出したのだ。
ちょっと待てそれはおかしいと抗議する間もなく、男子から賛同の声が上がる。
「意外と……いいんじゃないかな?」
「どうせなら他の役も全部くじで決めちゃおうか!」
彼らの目線は明らかに、自分の失敗を恥ずかしそうにする麗華にあった。
きょとんとした彼女の顔が、みるみる戸惑いの表情に変わっていく。
「え? でも」
「大友さんてば、おもしろいこと考えるね」
「さすが大友さん!」
「早いところ、残りの配役も決めてしまおうよ」
ちょっとまってどういうことなにこれ、と真琴は呟く。
いち早く発言した男子生徒は、麗華が気を取り直して笑顔を浮かべるのを、嬉しそうに眺めていた。彼女はずれてはいるしぶっ飛んでもいるが、見た目は凛々しく可愛らしい花のようなお嬢様なのだ。
「え!? もしかして大友さんのフォローのつもり?」
当事者の一人であるはずの真琴の声は、気分の乗ってしまった彼らの前に、さらりとただ流されていくのであった。
◇◇◇
原作はシンデレラ。
誰もが知るストーリーに独創性を、という点では、この親睦会の実行委員を買って出た麗華嬢が、脚本も担当するらしい。
いわく、「舞台は現代の日本。とある財閥の会長が開いた社交パーティーで、そこのご子息と、ひょんなことから紛れ込んでしまった庶民の少女が出会い、一瞬のうちに恋に落ちるのです!」ということだ。続く言葉はあまりに長くなったので、直姫は話半分にしか聞いていなかった。
その力説の内容や話の強引さに一抹の不安は感じるが、多分、おそらく、きっと大丈夫だろう。こうなったらもう、流されるまま流されてしまえ。
抵抗も面倒になった直姫は、周囲の浮かれたテンションに身を任せることにしたのだった。
◇
そして脚本は書き上がり、三日後から稽古が始まった。
「奈緒子!? 私は朝はコーヒーじゃなく紅茶が飲みたいと言ったでしょ! まったく……何度言えばわかるの、本当に使えない子ね!」
声高らかに直姫演じる奈緒子を罵倒するのは、脚本兼、継母・礼子役の大友麗華嬢だ。実行委員と脚本を引き受けると言ってしまってから配役を決めたのだが、例によってまた、くじの箱から自分の名前の紙を抜いておくのを忘れていたらしい。
おかげでずいぶん多忙になってしまっているが、それでもすべてを完璧にこなし、細やかな心配りまで行き届いているのは、見事の一言に尽きる。
将来の夢は映画の脚本家だと言っていた彼女だが、その堂々とした演技に、むしろ女優の方が性に合っているのではと思ったのは、直姫だけではないだろう。
「申し訳ありません、すぐに淹れ直しますので!」
直姫もやはり真琴が思っていた通り、それなりに演技はできている。夏生から猫被りの方法を教わったのかと真琴は考えていたが、実は母方の祖母が舞台女優だったらしい。
小さい頃に冗談半分で教え込まれたことが妙なところで役に立っているようで、実際普段も、そのやる気のない姿勢と欠けた愛想を巧く隠すのに活かされている。
「はい、OKです! 一旦休憩しましょうか」
序盤の一幕を通しで練習していたが、裏方にまわった委員長の掛け声で、一度軽い休憩に入ることになった。
あがり症の彼がくじ引きで重要な役割になってしまったらと、誰もが少なからず危惧していたのだが、委員長権限と実行委員へ立候補したことをフルを利用して、いつの間にか自分の名前を箱から抜いていた。案外ちゃっかりしたところがあるのかもしれない。
すっかり全快して復活した藤井は、まさか自分のクラスが演劇なんて言い出すとは夢にも思っていなかったようで、ただでさえ丸い目をさらに真ん丸にしていた。他のクラスはやはり、お茶会や舞台鑑賞など、定番の内容らしい。
シンデレラをはじめ、姉役の一人や舞踏会の出席者である淑女役の数人が男子生徒であることには、多少の責任は感じたようだ。
衣装合わせをする彼らに、悪かったな、と小声の謝罪があった。きらびやかなドレスを手に、少年たちは、ただ苦笑いを浮かべた。
さて、多目的室の隅で休んでいる直姫のところへ近付いてきたのは、数人の少女たちだ。
下の姉役の松浦美穂子嬢は、稽古の時によく話すようになったので、人の顔を覚えるのが苦手な直姫でも、もう完璧に覚えている。
ちなみに上の姉役になったのは、最初に麗華へフォローを出した、時田という男子生徒だ。
「西林寺くん、お疲れ様」
「なにかお飲み物はいかが?」
松浦嬢は、プラスチックのコップの乗ったトレイを持って、軽く膝を曲げてみせた。
「あ、いただきます。わざわざありがとう」
トレイに一つだけ乗っていたアイスティーのコップを受け取って、笑顔で礼を言う。
休憩中のクラスメイトたちに飲み物を配って回っているらしく、彼女の後ろには、同じようにトレイを持った女子生徒が三人控えていた。
「いいえ、私たち、通しの練習じゃ空き時間がたくさんできてしまうの。だから構いませんわ」
「そっか。優しいね」
にこりと微笑むと、松浦嬢が頬を染めてはにかむ。空になったトレイを胸の前に抱えて、彼女は伏し目で言った。
「で、でも西林寺くん、男の子なのに女の子の役なんて、大変ね」
直姫は、口許だけで苦笑する。
そして、自分の姿を見下ろした。
「まあね。動きにくいし」
「よくお似合いですわよ?」
「でも、こんなに気品のあるメイドさんがいたら、お嬢様と間違えられてしまいそう!」
「それもそうねえ」
少女らは口々に言うが、どういう反応を返すのが正解なのかもわからず、直姫は小さく乾いた笑い声を上げるしかなかった。
衣装合わせのついでに本番用の衣装を着て練習してみることになったのだが、奈緒子の普段着として用意されたのは、クラシックな黒のワンピースに、純白のエプロン。継母にメイドとして使われている、という設定のため、実際に大友家のメイドが着ている制服を持ってきたらしい。
無駄を削ぎ落とした、実用的で機能的なデザインではある。だが男として生活している直姫はスカートなんてもう何年も履いたことがなく、下にジャージを履いてはいるが、どうも足捌きがうまくいかないのだ。
妙に慣れていたら端から見て不自然極まりないのだから、それでいいといえばいいのだが。
「私は男装も楽しいですけれど、西林寺くんは女装なんてイヤじゃなあい?」
パーティーの参加者役の少女が、タキシードに着られている自分の姿を面白がるように、ひらひらと太い袖を揺らす。
女装、という言葉に違和感を覚えないでもないが、異性装ならば日常的なものになってしまっているので、もはや物珍しさもなにもない。確かに、女装と言ったほうが感覚としては合っているのかもしれない。
男子は男子で、誰かのドレス姿が披露されるたびに爆笑しているから、あまり露骨に嫌悪するのも変かと、直姫は言葉を選んだ。
「まあ、イヤだけど……なかなかこんな機会ないし、ちょっと面白いかな」
「あら、意外と楽しみ上手ですのね」
「みんな準備頑張ってるしね……自分だけ文句言うわけにはいかないよ」
眉尻を下げて笑うと、少女らからは、感嘆混じりのの溜め息のような声があがった。
実のところは「無駄に張り切って」だとか「吐くほど嫌だけど」だとか「もう帰りたい」なんていう本音が所々に挟まるのだが、それはうまいこと隠している。余計な言葉を少し口にしないというだけで、印象というのはどこまでも変わるものなのだ。
直姫にしてみれば、夏生直伝の『対処に困ったら儚げに笑っとけ』というのを実践してみただけで、本当は皆の頑張りがどうこうという殊勝な考えは一切持ち合わせていないのだが。
しかしその儚くも慈しみ深い笑顔に、一瞬のうちに耳の先まで真っ赤に染めた純情な乙女たちには、そんなこと気付きようもない。お嬢様はおおらかなだけでなく、少し鈍いところもあるようだ。
ただ一人、少し離れたところから見ていた真琴だけは、直姫の心底の声が表情からなんとなく読めたようで、少し困った顔をしていた。
「でも、パーティーでのドレス姿も楽しみですわ」
「え?」
「だって本当にかわいらしいんですもの。女の子みたい」
「ちょっ! な、なに言ってんのあはははは、直姫ってすごい男らしーんだよ? もう豪快すぎて困っちゃうっていうか」
直姫が少女たちに囲まれているところへ突然入ってきたのは、その真琴だった。松浦嬢がことりと首を傾げる。
「あら、そうなんですの?」
「ギャップね!」
「乙女心を擽りますわ」
彼の不自然な様子は気にも留めず、うふふ、と笑い合う令嬢たち。
真琴の口許が引きつっていることや、早口で割り込むように不自然に話に入ってきたことは、気にするほどのことではないらしい。
お嬢様というのは、おおらかというよりもただ単にあまり周りをよく見ていないだけなのかもしれないと思った、自分だって曲がりなりにもお嬢様である直姫だった。
「西林寺、佐野とのシーンの練習に入るよ」
休憩は終わり、と委員長の声が飛んでくる。
直姫が振り向いて「うん、今行く!」と返事をすると、談笑していた中の一人が、空のトレイを差し出した。空のコップはここへ、ということなのだろう。礼を言ってコップを置くと、がんばってくださいね、という声を背中に、二人は委員長のもとへ向かう。
「はぁ……びっくりした」
「え? なにに?」
「松浦さんたちの話だよ! 直姫がそんなかっこしてるから」
「しょうがないじゃん、劇なんだから。てゆうか、なんで真琴が焦ってんの?」
「少しは焦ろうよ直姫も!」
自分のことに無頓着、というか、なんというか。直姫がそんななので、真琴が気を回してフォローに回ることも、もう数回に及んでいた。
悠綺高校は滅多なことがない限り、昇級時にもクラス替えというものがない。つまり、直姫と同級生でいる間中続くであろう、彼のこの細かい気苦労も、滅多なことがない限りはなくならないわけだ。
真琴は、入学してからもう数度目になる、これからの三年間への不安を感じた。
「あ、」
直姫はふと壁際に目を留め、小さく声を上げた。
西校舎三階のこの多目的室の窓は、今はすべて開け放されている。Tシャツとジャージの上にしっかりした生地のワンピースを着込んだりしても、汗ばむこともないくらい風通しが良く、涼しいのだ。
また、小道具などはできる範囲で生徒が手作りするとクラスで決めたので、糊の乾燥を待つ工作品などが、壁際の日陰に所狭しと並べられている状態だ。手作りとはいうが、手芸部員が作ったスワロフスキーの散りばめられたティアラなどは、一介の高校生の手によるとは思えない出来映えと、材料費である。
その中で、正方形のキャンバスの乗せられたイーゼルが、直姫の目を引いた。
横幅は、直姫の肩幅よりも少し余る程度だろうか。S8号というサイズだと真琴が教えてくれたが、絵に詳しくない直姫には、意外と大きい、ということしかわからない。
その絵は、未完成だった。白い花瓶に、黄色や紫や薄桃色の、大人しい色合いの花が飾られた絵だ。
しかしなにより直姫が注目したのは、背景の色だった。
青とも緑ともつかない、不思議な色合いをしているのだ。花瓶が影を落とした部分は、暗く、底の見えない沼のように深い。
まだ花の着色の途中のようで、あっさりと色の乗せられた花とまるで正反対なことも、やけに印象的だ。
出来上がればきっと、さぞ見映えのする絵になるのだろう。だが仕上がりが中途半端な今の状態でさえ、不思議な魅力を放つ絵だった。
「これ、小道具?」
「うん、奈緒子の部屋に飾るんだって」
「へえ……すごいね、こんなに本格的に準備してるんだ」
「美術部の城ノ内さんが描いてるらしいよ? ほら、さっき飲み物配ってた」
本当に上手だよね、と真琴が言う。
彼は多少絵を嗜むらしい。真琴がぽつぽつと呟く感想を聞き流しながら、直姫は、いかにも完璧主義の大友さんらしい、と考えていた。
そして、練習を始めて一週間、直姫が自分のスカート姿に少し慣れてきた頃、事は動き出していた。




