004話01 魔竜戦士は砦が嫌い
「うーん……この距離だと微調整が難しいな。やっぱり改良が必要かも。」
王都アンドレアの第二砦、城塞都市ガイアス。
その堅牢な城壁を望む山間の丘に、ひとりの魔法使いが立っていた。
淡い金色の長髪に、赤と金の羽飾りをあしらった大きな帽子。白地に大きなカフのついたジャケットと、細身のレザーアーマー。その上からペリースを羽織り、腰にはショテルと薬草袋。帽子やローブのあちこちには色とりどりの魔法石が揺れている。
リグヴェルド=ディバインダー。通称リグ。
クラン[スレインドレイク]の7番目。
「えい、えい……あ、ずれた。んー、葉っぱが邪魔だなぁ。」
リグは右手の指先を小刻みに動かし、時折左手で印を結んでは、遠くのガイアスを眺めていた。
「あれ?今度は上か。なるほど、距離じゃなくて角度の問題かな。」
リグの足元で薄青い光が瞬き、浮かんだ幾何学模様が音もなく回転した。
「一体何をしているのですか?」
栗色の癖毛をキャスケットに押し込んだ小柄な少女が、怪訝そうにリグの手元を覗き込んだ。
白魔導士、シャロン=スティクス。
白地に紺のラインが走るローブとパンツスタイル。動きやすさを重視した装いは、魔法使いというより身軽な格闘家を思わせる。
「照準を合わせてるんだよ。」
「照準……ですか?」
シャロンは眉間に皺を寄せた。
リグは振り向きもせず、指先を動かし続ける。
「起点となる陣をいくつか構築して、その交点に魔法を発動させるんだ。俺の場合、固定陣がアギナルドと赤の子鹿亭、それに俺自身。そこに可動陣を重ねて交点を動かすんだけど、これが結構難しい。」
「……ずいぶん離れた場所を起点にしているのですね。」
「そ。遠くにあるものほど角度の誤差が大きくなるだろ?今回はその実験も兼ねてる。」
「なるほど。で、何を狙っているのですか?」
「ガイアス。」
「…………。」
遠くに霞む城塞都市。
あまりにあっさりと答えられたため、一瞬聞き流しそうになった。
「城塞都市ガイアス、ですか?」
「そ。」
「……目的は?」
「あ、合ったかも。」
「リグヴェルドさん?」
「発動──《骨折りゾーン》。」
ボキキッ!!
「!?」
耳を疑うような音がした。
リグの右腕が、肘からありえない方向に折れ曲がっていた。
「リグヴェルドさん!?」
完全に折れている。
「うわ、すごいな。」
「すごいな、じゃありません!腕!腕が!」
「ああ、うん。跳ね返されたみたい。」
「みたい、ではありません!今すぐ応急処置を──」
「骨折り損、ってことか。ジオが喜びそうだな。」
「どうしてそこでジオさんの名前が出てくるんですか!?」
シャロンが治癒魔法を発動させようとした、その時。
ふわり。
リグの右腕が淡い光に包まれた。
ゴキ、コキッ。
ねじれた腕が何事もなかったかのように元に戻った。
リグは指先を握ったり開いたりして、感触を確かめた。
「うん、大丈夫。」
シャロンは言葉を失っていた。
「……今の魔法、ガイアスに向けて撃ったのですか?」
「そ。調べてみようか。」
「ちょっと待って、まずは目的を──」
リグの両手が、目にも留まらぬ速さで印を結んだ。
先ほどとは比べものにならない量の魔力が、周囲に満ち始める。
草がざわりと揺れた。
風は吹いていない。
シャロンの足元に、幾重もの光の輪が浮かび上がる。
「え……!?」
反射的に身構えた。
一つ、二つ、三つ。
光の輪は増え続け、複雑な術式を描きながらリグの周囲を取り囲んでいく。
白魔法の術式。
いや、違う。
解析、解呪、増幅、反復、耐性付与。
本来ならそれぞれ独立して発動させるべき術式が、ひとつの魔法陣の中に組み込まれていく。
しかも──。
(何ですか、この魔力密度……。)
シャロンの表情が変わった。
術式の構造そのものが異常だ。
「リグヴェルドさん、それは……!」
「七十七の聖櫃に解と理の闡明を──」
リグの声が静かに響く。
「悠久の汀に全てが朽ち果てるまで──」
幾重にも重なった魔法陣が、一斉に回転を始めた。
「《ベトレイアル・オブ・ベトレイアル》&《AAA》&《モジュール・マルチプル&オート》──!」
パァン!
乾いた音とともに、光の輪が消えた。
「…………。」
「…………。」
静寂。
シャロンは咄嗟に身を固くしたまま、リグの顔を見る。
「あら?」
リグは首を傾げた。
次の瞬間。
――ドォォォン……!!
遥か遠く、山々の向こうから鈍い爆発音が響いた。
遅れて鳥の群れが一斉に飛び立ち、山の斜面から黒い影が湧き上がる。
「!?」
遥か城塞都市の上空に、薄黒い煙が立ち上っている。
「んー、失敗かな。」
「失敗!?」
「解析解呪魔法を三倍圧縮して、順転で無制限に重ねるようにしたんだけど、途中でキャパオーバーしたみたい。」
リグは何やら考え込む。
「解析結果が戻ってくる前に術式が壊れちゃった。あれ、反意趣魔法でもないと解除できないかも。」
「……何を解除するんですか?」
「向こうの防御術式。」
「…………。」
シャロンは額を押さえた。
リグは特に気にした様子もなく、腰の薬草袋から二十センチほどの小型望遠鏡を取り出した。
「あれ?」
「今度は何ですか?」
「なんか、ダメージ受けてる。」
「……誰が?」
「ガイアス。」
「今のは解析魔法なのでしょう?」
「解呪術式自体は発動前に壊れた。となると、暴発したプレーンな魔力がそのまま向こうに流れ込んだのかな。魔法じゃないから防御の対象外とか?」
「リグヴェルドさん。」
「ん?」
「目的は何ですか?」
「……。」
リグはようやく望遠鏡を下ろした。
「シャロンさ、分かってて聞いてるよね?」
「……うう。」
シャロンは深く息を吸い込んだ。
「ガイアスは現在、抗戦状態にあります。」
「うん。」
「私たちが運んできたのは、そのための物資です。治療薬、食料、それに魔法戦団から要請された補給品。」
「うんうん。」
「城塞都市ガイアスは、アンドレア王都を守る第二の砦です。」
「そ。」
「対峙しているのは──魔竜戦士プルトプス。」
シャロンの声が僅かに低くなった。
魔竜戦士。
名を聞いただけで、多くの冒険者が顔色を変えるような怪物だ。
「危険な相手です。」
リグはにやりと笑った。
「どんな奴か、興味あるよね?」
「はぁ……。」
シャロンは大きくため息をついた。
ただ、興味があったのだ。
魔竜戦士プルトプスに。
たった一人で城塞都市を相手にする怪物。
「つまり、あなたは……。」
「ん?」
「城塞都市ごと魔法の実験台にしたと。」
「違うよ。ガイアスにいるプルトプスを狙ったんだ。」
「……何か違うのですか?」
「全然違うだろ。」
「…………。」
シャロンは目を閉じた。
この男と議論してはいけない。
理屈は通っているようで通っていないし、本人にはそれを説明する気がまるでない。
「……。」
リグは望遠鏡を再び覗き込んだ。
その時。
「……ん?」
リグの指が止まった。
「どうしました?」
「多分、逃げたんじゃないかな。」
「……逃げた?」
一体、何が起きたのか。
魔竜戦士が撤退した?
あの魔法を受けて?
「……リグヴェルドさん。」
「じゃ、確かめに行ってみよっか。」
「……え?」
「ガイアス。」
シャロンは一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「一緒に来る?」
「…………。」
シャロンはゆっくりと顔を上げた。
「リグヴェルドさんは、少女一人をこんな所に置いて行くつもりなんですか?」
「大丈夫。まだ追いつけると思うし。」
「え?追いつく?」
「帰りの荷馬車に。」
「…………。」
しばしの沈黙。
「走れば間に合うんじゃないかな?」
「…………。」
「たぶん。」
リグは楽しそうに笑った。
「じゃ、行こうか。」
「行きましょう。」




