003話10 悪気は狗尾草と共に
「あ、起きた~?」
目を開けると、狗尾草を片手にニヤニヤ笑うアルがいた。ピロピロと鼻先をくすぐる穂先が、なんとも鬱陶しい。
「うあいっくしょい!!へブッシュ!!」
「うわっ、声でかっ!あははは!」
「やめろう!何をするう!」
「だってさー、おっさん、猫ちゃんたちとめちゃくちゃ気持ちよさそうに寝てんだもん」
「誰が好き好んで猫なんぞと!」
勢いよく起き上がると、そこは昨晩の廃屋だった。崩れた地下室から運び出されたらしく、古びた寝台に寝かされていた。
周囲には十数人の子供たち。粗末な衣服に日に焼けた顔、どの子もまだ幼い。壁には手作りの棚、古布で継ぎ接ぎした椅子、寄せ集めの食器。廃屋同然の建物を、どうにか住めるように直しているらしい。
そして、足元には猫、猫、猫。
「へブッシュ!!おい!何でまだいるんだ!」
「だって、ここ猫ちゃんたちのお家でもあるもん」
「先に言え!いや、もう近づけるな!」
「えー?昨日はあんなに楽しそうだったのに?」
ケタケタ笑うアルを睨みつけるが、近くの猫が尻尾を振っただけでくしゃみが出る。どうにも格好がつかん。
「よっしゃー!みんな、朝ごはんだよー!」
「わーい!」
アルが手を叩くと、子供たちが一斉に食卓へ駆け寄った。小さな囲炉裏にはキノコのスープ。山鳥の串焼きにパン、干し魚、そして何故か手羽先まで並んでいる。
「はい、フェルマーのおっさんも!」
「……ウェルマーだ。何度言わせる」
「フェルマーのヘブルマー?」
「どっちも違う!へブッシュ!!」
猫が足元を横切り、訂正どころではなくなった。
差し出されたスープをすすってみると、山菜のほろ苦さと鳥の旨味がよく出ている。
「……うまいな」
「でしょー!ボクが採ってきたんだよ!」
「アル兄ちゃん、キノコは私が洗ったんだよ!」
「ぼくも薪割った!」
「ボクだって山鳥捕まえたじゃん!」
「アル兄ちゃん、それもう三回聞いたー!」
わはははっ!
子供たちの笑い声が狭い部屋いっぱいに広がった。
昨晩までギャングの隠れ家と思っていた場所で、こんな賑やかな朝食を囲むことになるとは。もっとも、アルを含めて随分と行儀の悪い連中だが。
「おはようございます。皆さん、よく眠れましたか?」
入口から穏やかな声がした。修道院で見かけた老神父だ。
「おっ、神父さん来た!ほらほら、学校の時間だよー!」
「はーい!」
子供たちは食器を片づけ、思い思いに支度を始めた。
「行ってきまーす!」
「いってらっしゃーい!ちゃんと勉強しなよー!」
「アル兄ちゃんもねー!」
「ボクはもう卒業したもん!」
最後の一人が神父と一緒に出ていくと、急に部屋が広くなった。
ウェルマーは空になった椀を置き、アルに向き直った。
「……なあ、アル。昨日の白い粉末だが」
「ん?またたびパウダー?」
「……またたび?」
「そーだよ。猫ちゃんが大好きなやつ。知らないの?」
「……は?はぁ?」
「えー?知らないであんなに遊んでたの〜?」
ウェルマーはしばらく口を開けたまま固まっていた。
教会での怪しい取引。純度百パーセントの極上品、瞳孔が開いて正気を失うほどの効き目。希少な粉を巡る商人ギルドとの強引な商談。
……全部、またたびの話だったのか!?
「じゃあ、あの修道院で作っているのも……」
「うん。ここの卒業生の兄貴分が加工してくれてるの。今じゃボクらの一番の売れ筋!」
「卒業生?あの坊主頭の男か?」
「そーそー。育てたまたたびを粉にして、ボクがギルドに売るんだよ。結構いいお金になるんだー!」
得意げに胸を張るアル。
「あの子たちは?まさか全員兄弟ではあるまいな?」
「んー?同居人かな。みんなボクと同じ孤児だよ。行くとこないから一緒に住んでるだけ」
「……そうか」
「なに?変?」
「いや、別に」
アルは気にも留めず、残った手羽先にかぶりついた。
あの修道院の男も、商人ギルドの連中も、そして目の前の子供たちも、アルにとっては当たり前の付き合いなのだろう。
このスラムで十数人もの孤児が暮らしていく。その主力商品が、よりによって猫の嗜好品とは。
(……何なんだ、アラル=エーテル)
危険な密売人どころか、最初から何一つ隠していなかったのかもしれん。俺が勝手に怪しんで、勝手に追い回していただけだ。
ウェルマーは小さく息を吐き、懐から手帳を取り出した。
カリカリ……。
『白い粉の正体、またたびパウダー。孤児たちの主力商品として商人ギルドへ卸売り。禁制疑惑は解消。』
少し考えてから、もう一行書き加えた。
『アラル=エーテル、素行に難あり。ただし悪意は認められず。』
……以上。アラル=エーテルについての報告とする。
「ねーねー、何書いてんの?」
「あ?何でもない。仕事だ」
「ふーん。じゃあさ、ちょっといい?」
「ん?」
シュッシュッ!
唐突にアルが小瓶を取り出し、ウェルマーの胸元へ何かを吹きつけた。
「おい!なんだ、今の!?」
「えへへー」
「水か?……ん?この匂い、どこかで……」
甘く青臭い香り。そういえば、森でアルが山鳥を捕まえた時にも同じ匂いが……。
「ねーねー、昨日よりいっぱいかけちゃった!」
「……昨日?」
「森にいた時はちょっとだけだったからね〜」
「……お前、あのときから俺に気づいてたのか!?」
「えー?ずっと知ってたよ?」
にぱっ、と笑うアル。
その時だった。
ドドドドドドドドッ!!
床を震わせる足音。振り返れば、庭先から猫の大群がこちら目掛けて猛進してくるではないか!
「うおああああああっ!?もう嫌だあぁぁぉぁぁ!!」
ウェルマーは目を剥いて逃走。椅子を飛び越え、戸口を蹴破らんばかりの勢いで駆け出した。
「開発中のまたたび水、スプレーテスト大成功~!協力あんがとねー!」
「アラル=エーテルゥゥゥ!!貴様ぁぁぁぁ!!」
「ばいばーい!また来てねー!」
猫の大群を引き連れ、絶叫しながらスラムの路地を駆け抜けるウェルマー。
……悪意は認められず。
先ほど手帳に記したばかりの一文を、早くも撤回したくなっていた。




