003話08 剣は凪のように軽く
試合開始の合図も、ルール説明もなかった。
ウェルマーがリングに上がると、アルは両手のダガーをくるりと回し、腰を落として構えた。対するウェルマーは重剣を肩に担ぎ、真正面から睨みを利かせている。
周囲を照らすのは観客席の松明だけ。二人の影が床板の上でゆらゆらと揺れていた。
「ねーねー、おっさん。準備いい?」
「俺はウェルマーだあああッ!!」
「うわっ!もう始まってる!」
ドン!!
ウェルマーが一気に間合いを詰め、重剣を振り下ろした。
「ぴょんっ!」
軽く跳び退いたアルを追って、横薙ぎ、切り返し、さらに踏み込んで突き。剛剣の連撃をアルはひらりひらりと躱し、最後の一撃を潜り抜けると、そのまま視界から消えた。
「こっちだよ〜!」
背後から耳元へ囁く声。
だが、ウェルマーは振り向かない。松明に照らされた影を捉え、剣を引く勢いに乗せて左の裏拳を叩き込んだ。
「グゥムンッッ!!」
「うわっ!」
ガッ!
辛うじて身を捻ったアルの頬を、拳が掠める。
「……っぶな!今のどうやったの!?」
「ムウッ!やるなああああッ!!」
「うわわっ!声デカッ!!」
至近距離で浴びた怒号に、アルは思わず耳を塞いだ。
「オラアアッ!薙ぎ払いいいッ!!」
ブオン!!
「うひゃっ!」
「下段からカチ上げええッ!返しで潰れろおおッ!!」
ガゴン!!
振り上げられた重剣が床板を叩き割り、間髪入れずに繰り出された刺突がアルを追い回す。
「上下横横下上斜め横斬りぃぃッ!!」
「ちょっ!うるさっ!耳元で叫ばないでよ!」
「上段じゃねえええええッ!!!」
「えっ!?」
振り被った剣を途中で返し、低い位置から渾身の一撃。
ドゴォン!!
「わおっ!怖い怖い!じゃあお返しっ!」
紙一重で躱したアルは、咄嗟に両手を床につき、四つん這いでウェルマーに向かって走り出した。
「わおーん!四つ手熊だぞ〜!」
「だから熊じゃねえええええッ!!!」
ビリビリビリッ!!
「うわわっ!?」
またしても耳元で炸裂する怒号。流石のアルも三半規管を揺さぶられたか、目を回して足がもつれた。
「……あれっ?」
「俺はウェルマーだああああああッ!!!」
ウェルマーは好機を逃さず、重剣を横一閃!
ブオン!!ォドゴーン!!!!
ところがアルは剣を仰け反って躱すと、そのままの反動でウェルマーの懐へ倒れ込み、下から顎を頭突きで突き上げた。
ゴッ!!
「ぐおっ!?貴様、ブゥラァフかぁぁ!!」
目の前に火花が散る。
堪らずたたらを踏んだウェルマーだったが、最後の意地でアルの額に頭突きを叩き返した。
ゴツンッッッッ!!
「いっだぁ〜!!」
「おおおっ!フェルマーが当てやがった!!」
「すげぇ!アルがまともに食らったぞ!!」
俄に沸き立つ観客席。先程まで一撃も捉えられなかった少年に、とうとう一矢報いたのだ。
「……痛たた。おっさん、頭かた〜い!」
アルは額を押さえながらも、嬉しそうに笑った。
「すっごーい!いい一発だったね!」
「ふん!まだまだこれからだああッ!!」
ウェルマーが重剣を構え直した、その瞬間。
ザッ!!
アルの姿が消えた。
「……!?」
慌てて足元を確認した時には既に遅く、背後へ回り込んだアルに片足を絡め取られ、踏ん張る間もなく体勢を崩されてしまった。
ドスン!!
「ぐおっ!?」
仰向けに倒れたウェルマーの喉元に、ダガーの切っ先がぴたりと添えられる。
「はい、おわりっ!」
満面の笑みを浮かべるアル。
ワアアアアアアッ!!
観客席から割れんばかりの歓声が上がった。
「……くそっ、やられたか」
「えへへ、次は本気出してねっ!」
「……十分本気だったわ!」
ウェルマーは仰向けのまま苦笑した。
速さもさることながら、こちらの動きを見切る勘の鋭さと、あの変幻自在の立ち回り。重剣で捉えるには相性が悪すぎる。
だが、なかなか面白い勝負だった。
「ほら、おっさん!立って立って!」
差し出された手を掴み、ウェルマーは立ち上がった。
「おっさんじゃねえ!ウェルマーだ!」
「はーい!フェルマーのおっさん!」
「だから違うっつってんだろうがああああッ!!」
ドゴオオオオン!!
再び闘技場を震わせる怒号。
観客たちは大笑いしながら二人に拍手を送り、アルはその声援に応えてウェルマーの腕を高々と掲げた。
「ありがとー!みんなまた来てね〜!」
「ああ、どうも……って、俺の腕で何してんだ!」
少年は楽しそうに笑っている。
この無法地帯で誰よりも自由に振る舞い、荒くれ者たちからも歓声を浴びる、小さな王子様。
ウェルマーは、そんなアルを少しばかり羨ましく思った。




