003話06 危険は2mと悪童と子猫
その後、ウェルマーが任務に戻ったのは有に12時間後だった。
スラム街の夜は早い。
表通りの灯りが消える頃、裏路地では盗人や密売人たちが動き始める。そんな物騒な街の一角、廃材を寄せ集めたバラックでは、アルが孤児たちを前に何やら言い聞かせていた。
「いい?今日は絶対に揉め事起こさないでね!」
「はーい!」
子供たちは素直に返事をすると、各々の持ち場へ分かれた。随分と手慣れた様子だ。
(……あいつ、こんなところまで仕切ってるのか)
感心しながらも、アルの後を追うウェルマー。隣町から魔の森郊外の街エルステまでの恐喝護衛で6時間。幸いトラブルもなくゆっくり休めたようだ。
宵の口、アルが向かったのはスラムの最奥、廃屋を改装した小さなオープンカフェだった。赤いランプの下には筋骨隆々の初老の男、顔中傷だらけの女、痩せこけた老人など、いかにも堅気ではなさそうな連中が集まっている。
かつてスラムを牛耳っていた、顔役たちである。
「よう、アル坊。相変わらず可愛くねぇ面してやがるな」
「うるさいよジジィ〜。あ、これ何?」
アルは木箱の上に広げられた帳簿を覗き込み、早々に顔をしかめた。
「もしかしてこれ二重帳簿?」
「は?!仮にそうだとして、ここで披露するメリットがない。どこで覚えた!?」
「じじいならどう隠す〜?」
「王都アンドレア、じゃな。」
「探知魔法が使えないから?」
「それもあるが、最もデカい銀行があるからじゃ」
「金が集まる森ってこと?」
「そういうことじゃ。時にアル、闘技場の運営資金は足りてるか?」
「ちょっと足りないから、ギルド長たちにも泣きつく予定〜。あと、新商品できたから商人ギルドと契約するよ」
「おお、あの粉か。貴族連中に大好評だそうじゃねぇか」
「いやいや、粉なんてもう古い!次は棒だよ〜!」
「棒か!はははっ!相変わらず抜け目ねぇな!」
豪快に笑う男たち。その中でアルは何かを思い付いたらしく、ぱんと手を叩いた。
「あ、そうだ!ねーねー、皆さ、すっごく物知りだから『顔役無料相談会』やろうよ!」
「……は?」
「元ギャングのボスたちが困ってる人の相談に乗って即解決!カッコよくない?まじヒーローじゃん!」
顔役たちは互いに顔を見合わせた。
「いや、俺たちはそういう柄じゃ……」
「だーいじょうぶ!人助けだし、ジジイたちも楽しんでよ。今風に言うならアップデート!」
「……お前なぁ」
呆れ返った一同の中、二メートル近い巨躯の白髪男が、ぼそりと口を開いた。
戦後、群雄割拠するスラムの混乱をまとめ上げた伝説の大親分だ。
「……まあ、面白えっちゃ面白えか。アル坊、好きにやってみな」
「やたっ!あんがと、ジジイ!」
元ギャングの大親分が、十五歳の少年に押し切られている。
(……あいつ、何がしたいんだ…?)
少し離れた草むらで匍匐姿勢を取っていたウェルマーは、手元の手帳に何やら書き加えた。
その後、アルは小さな私設闘技場ギャローデビルズの自警団拠点にいた。強面の元ギャングたちが揃いの制服を着込み、街の巡回準備を進めている。
「よう、アル!昨夜の乱闘、助かったぜ!」
「うん!被害なくって良かったね〜!」
屈強な男たちが、アルを見付けるなり子供のような笑顔になる。
(……こいつらまで手懐けてるのか)
その様子を路地の陰から窺っていたウェルマーに、突然、背後から声が掛かった。
「おお、見ねぇ顔だな」
振り向くと、身の丈二メートルはあろう大男が、数人の取り巻きを連れて立っていた。
「……むぐぐ…(何か用か?)」
「ここで何してやがる?」
ウェルマーは男たちを一瞥した。小隊長として幾度も実戦を経験してきた身だ。この程度の連中に怯むつもりはない。
「…うぐぐぐ(仕事中だ。邪魔するな)」
「……ああ?何とか言ったらどうだ!?」
男が凄むのを無視して立ち去ろうとした、その時。
ぷすっ!
「むぐおっ!?」
突然尻に走った衝撃に、ウェルマーは思わず腰を抜かした。
振り返ると、そこには両手の人差し指を突き出し、満面の笑みを浮かべるアルがいた。
「えへへ!おっさん、誰〜?」
「……ア…アラル=エーテル(き、貴様ぁ!!)」
立ち上がろうとしたウェルマーの動きが止まる。
アルの片腕には、何故か薄汚れた子猫が抱かれていた。
「……っ!!」
「ねーねー、こんなとこで何してんの?」
アルは無邪気に首を傾げ、子猫を抱え直した。
(……やめろ。こっちへ来るな!)
ウェルマーは引き攣った顔のまま、じりじりと後退した。
「おっさん!人の話を無視すんじゃねぇ!!」
先程の大男が、怒鳴りながら詰め寄ってくる。
挟まれた。
片や血気盛んな大男、片や子猫を抱いた悪童。
どう考えても後者の方が厄介だ。
「だーめだめ!」
するとアルは大男の前にひょいと割り込み、その顔を見上げた。
「もっと笑って〜。あと目線は下げてね。そんな怖い顔じゃ誰も寄ってこないよ?」
「……え?あ、ああ?」
大男は戸惑いながら腰を屈め、ぎこちなく笑顔を作った。
「へへっ、すまんな!ほら、飴ちゃんやるよ!」
差し出された飴玉を、ウェルマーは反射的にはたき落とした。
「ああ!?てめぇ!」
「もー、おっさんも失礼だなぁ。この人お客さんでしょ?ねえ、みんなで案内してあげてよ〜!」
「へ、へいっ!」
大男たちは一転して愛想よく頭を下げ、ウェルマーを取り囲んで歩き始めた。
(……何なんだ、こいつらは)
先程まで殺気立っていた連中が、アルの一言でこの変わりよう。
(……一体どんな弱みを握られてるんだ?)
ウェルマーは警戒を強めた。
案内された先は、スラム街の郊外にある、小さな私設闘技場「ギャローデビルズ」。
地面を踏み鳴らす音。歓声と罵声が渦巻く。
建物の隙間から覗く入り口。中では、野蛮な熱気がうごめいている。
アルは、軽やかに振り向いた。
「じゃあね~、楽しんでってね~♪」
そして、子猫を胸に抱えたまま、闇の奥へ消えていった。
「……むぐぐ(必ず、生きて、帰る!!)」
俺は、重く息を吐き、覚悟を決めた。




