二話03 廃坑は彷徨う者ともども
夜の港。
十三ある月のうち五つが空に浮かび、淡い月明かりが黒い水面に揺れている。
チャーターされた小型帆船が微かな風に揺れ、錆びた錨がギィ…と低く鳴った。
ジオは煙草をくわえたまま甲板の縁に肘をつき、ぼんやりと夜の海を見下ろしていた。
「……あの女、どう思う?」
背後で椅子を引く音。
サーラが隣に腰を下ろした。
ジオは煙を吐き、片目だけそちらへ向ける。
「ああ、確かに何か強すぎるかもな。寝首かかれないよう気をつけろよ」
その言葉に、ジオはゆっくりと笑った。
「はは、それは無いな。笑えるなぁ。……それより、昼間お前何人倒した?」
「数えてないな。四人くらいか?」
「俺の勝ちだな。五人だ、うはは」
サーラが鼻で笑う。
「お前は盛大に負けたような気がするが?」
「はぁ? 面倒だ! 今ここで勝負するか!?」
「面倒なのはお前だよ」
二人揃って肩を竦め、そのまま笑う。
潮の臭いと夜風。甲板に響いた笑い声はすぐ海へ消えていった。
その二人を、船室の陰からじっと見つめる何かがいる。
ゆらゆら揺れる船影。
月明かりが差し込んだ一瞬、二つの目が光った。
鋭く冷たい視線。
二人の様子を、ただ黙って見ている。
そして夜が明ける。
クルクス島。
黒く荒れた溶岩質の大地が広がり、その先には切り立った岩場と崖道。
さらに奥、崩れかけた坑道の扉が大きく口を開けていた。
周囲の岩肌は乾ききり、草一本生えていない。
「ここが、廃坑ってやつか。……古びたもんだな」
ジオはあくびを噛み殺しながら、肩のポーチを掛け直した。
「油断するなよ。ガスの影響は収まったとはいえ、内部は安定してない。崩落の可能性もある」
サーラの忠告に、ネイディーンが神妙に頷く。
その隣ではホシミが坑道の奥をじっと見つめていた。
トレドは鍵束を取り出し、年季の入った扉の錠前へ差し込む。
ゴリ、ゴリゴリ…。
鈍く重たい音を立て、錠が外れた。
「廃坑から十年以上が経過し、今がちょうど調査に適したタイミングなのです。皆さん、どうか油断なきよう」
中へ入る。
鉱石運搬用だったレールは茶色く錆び付き、床には天井から崩れ落ちた瓦礫が散乱していた。
柱の一部は魔力で補強されている。
それでも古い坑道には不自然なひびがいくつも走っていた。
そのまま進むこと三時間。
目立った敵影は、未だない。
「……トロール、見当たらないな」
サーラが低く呟いた。
「この時期は気温が低いので、奥深くに潜んでいるのかもしれません。挟撃されないよう、背後の警戒も怠らずにお願いします」
トレドは変わらず落ち着いている。
ジオは額の汗を拭った。
「にしても、暑くねぇか? ここ地下だろ? なんで汗かいてんだ俺?」
「近くに火山帯があるせいかもな。……それにしても、暑すぎる。ちょっと異常だ」
「もう少し奥がありますから、この辺りで休憩をとりましょう」
トレドの一言に、全員が足を止めた。
その時。
くいっ。
ネイディーンのローブの裾を、ホシミが小さな手で摘まんだ。
内股でもじもじしながら視線を泳がせている。
「あ、じゃあ私が。おいで、ホシミちゃん」
ネイディーンが笑いかけると、ホシミは素直に頷いた。
二人はそのまま来た道を少し戻っていく。
「では、頼みます」
トレドは軽く頷き、腰から革の水筒を外して口をつけた。
その隣に、ジオが腰を下ろす。
珍しく真面目な顔だった。
「なあ、トレドの旦那。正直、連れてきて大丈夫だったのか? あの指輪の子」
「ええ。大丈夫ですよ。彼女はとても優秀な魔法使いです。それに――」
トレドは、ホシミの指にはめられた真紅の指輪を思い出すように目を細めた。
「あの指輪には、彼女を守る強力な守護魔法がかかっています。物理、魔法、状態異常等、あらゆる攻撃が効きませんよ」
ジオは腕を組み、少し顔をしかめる。
「いや、危険ってのはそれだけじゃねぇだろ。転んだり、滑ったり、攫われたり、なんてのは、結界も魔法も関係ないぜ?」
「そうだ、珈琲でも淹れましょうか? とても美味しい豆が手に入ったんですよ」
「……この状況で、よくそんな呑気なこと言えるな。行った先で落盤で落ちたりとか…」
その瞬間。
ゴゴゴ……ガッシャン! ズガーン!!
坑道の奥から、地面ごと揺らすような轟音が響いた。
「ヒャアッ!!」
「キャアっ!」
二人の悲鳴。
ネイディーンとホシミが向かった方角だ。
ジオが立ち上がるより早く、サーラが走った。
「おいっ! 大丈夫か!」
岩盤が壁ごと崩れ、大きく陥没している。
その穴の縁には、ホシミが小さな身体でしゃがみ込んでいた。
遠巻きに崩落場所を窺っているようだ。
サーラがランタンを向ける。
穴の下。
瓦礫に挟まれながら、ネイディーンが片手を上げていた。
「大丈夫、無事です!サーラさん気をつけて、何かいます!ホシミちゃんは無事ですか!?」
「大丈夫だと思う。一体、何があった?」
「上に、何かいる!」
その瞬間。
サーラの頭上。
岩肌が、ぼうっと赤く染まった。
次の瞬間、炎が吹き出す!
ゴオッ!!
サーラは咄嗟にネイディーンに覆い被さるように、瓦礫の奥へ転がり込んだ。
直後、闇の奥から熱風がじりじりと吹き込んでくる。
赤い炎が坑道を照らした。
そこに立っていたのは――
フレイムゴーレム。
炎をその身に宿した、命なき戦士だった。




