第三十四話 最後の開花
風が吹いた。
世界を覆っていた花の海は、静かに光へ還り続けている。
白い花弁が舞う。
空へ。
どこまでも高く。
ひなはその光景を見つめていた。
胸の奥では、最後の蕾がゆっくりと開いていく。
痛みはない。
ただ温かかった。
まるで誰かに抱きしめられているみたいに。
どくん。
鼓動が鳴る。
そのたびに、胸から白い光が溢れ出した。
足元に落ちた光は花になる。
一輪。
また一輪。
静かに咲いていく。
それは今までの花とは違った。
誰かを縛る花ではない。
誰かを閉じ込める花でもない。
終わりを受け入れる花。
旅立ちを祝福する花だった。
風が吹く。
花々が揺れる。
すると光の中から人影が現れた。
ひなが息を呑む。
「……おばあちゃん」
村のおばあちゃんだった。
続いて先生。
花屋のおじさん。
旅の途中で出会った人たち。
みんな穏やかに笑っていた。
『ありがとう』
優しい声が響く。
『忘れないでいてくれて』
ひなの目から涙が零れた。
「私、何もできなかったよ」
『そんなことないさ』
花屋のおじさんが笑う。
『君がいてくれたから、俺たちは最後まで人間でいられた』
『寂しくなかったよ』
おばあちゃんも頷く。
『毎日会いに来てくれたからねぇ』
先生も笑う。
『ありがとう』
その言葉が胸に染みた。
ひなは泣きながら笑う。
「こちらこそ……ありがとう」
風が吹く。
人影たちは光へ溶け始めた。
もう時間だった。
『元気で』
『幸せになってね』
『ありがとう』
最後の別れ。
ひなは手を振る。
「ばいばい」
みんな笑った。
そして空へ昇っていく。
光になって。
星になって。
やがて世界には、ひとりだけが残った。
ひなは空を見上げる。
青い空だった。
旅の途中で何度も見た空。
春人と歩いた空。
「楽しかったな……」
涙が零れる。
本当はもっと生きたかった。
もっと旅がしたかった。
もっと笑いたかった。
けれど。
後悔はなかった。
その時。
ふわりと風が吹く。
懐かしい気配がした。
『ひな』
聞き慣れた声。
ひなの瞳が揺れる。
「……春人」
『よく頑張ったな』
涙が溢れる。
春人の声だった。
優しくて。
少し不器用な。
あの旅人の声。
そしてもう一つ。
『ありがとう』
陽菜の声が重なる。
暖かい光がひなを包む。
まるで二人が傍にいるみたいに。
ひなは目を閉じた。
「こちらこそ」
胸の花が大きく脈打つ。
そして。
最後の蕾が。
静かに開いた。




