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第三十三話 ひなの選択

 春人と陽菜の光が、空の彼方へ消えていく。

 ひなはその姿を、いつまでも見上げていた。

 もう見えない。

 けれど確かにそこにいる気がした。

 春人も。

 陽菜も。

 ようやく終われたのだ。

 長い長い旅を。

 長い長い孤独を。

 胸が痛んだ。

 寂しい。

 苦しい。

 泣きたい。

 けれど同時に、どこか温かかった。

 これでよかったのだと。

 そう思える自分もいた。

 風が吹く。

 花の香りが薄れていく。

 見渡せば、花の海は静かに消え始めていた。

 世界を覆っていた白い花々が、一輪、また一輪と光へ変わっていく。

 そのたびに、小さな声が聞こえた。


『ありがとう』


『やっと帰れる』


『さようなら』


 穏やかな声だった。

 もう誰も苦しんでいない。

 もう誰も泣いていない。

 それが分かるからこそ、ひなの目から涙が零れる。


「……よかった」


 震える声で呟く。


「本当によかった……」


 空へ昇る光を見送る。

 村のおばあちゃん。

 先生。

 花屋のおじさん。

 名前も知らない人たち。

 みんな。

 みんな帰っていく。

 長い眠りの終わりへ。

 その時だった。

 どくん。

 胸の奥で鼓動が鳴った。

 ひなの身体が強張る。


「……え?」


 どくん。

 どくん。

 鼓動は止まらない。

 胸の中心が熱い。

 まるで小さな太陽が生まれたみたいに。

 ひなは胸を押さえた。

 白い光が指先へ流れていく。

 腕へ。

 肩へ。

 全身へ。


「なに……これ……」


 嫌な予感がした。

 けれど。

 どこかで分かっていた。

 自分だけが残るはずがないと。

 その時。

 耳元で、優しい声がした。


『ひなちゃん』


 陽菜だった。

 振り返っても誰もいない。

 けれど確かに聞こえる。


『ごめんね』


 ひなの瞳が揺れる。


「陽菜……?」


『最後まで言えなかった』


 風が吹く。

 世界中の光が揺れる。


『終わらせる種はね』


 その声は優しかった。

 優しすぎるほどに。


『最後には咲くの』


 ひなの呼吸が止まった。

 理解してしまう。

 理解できてしまう。

 だから言えなかったのだ。

 春人も。

 陽菜も。


『花を終わらせる力は』


 陽菜の声が続く。


『最後に、自分自身も花へ還る』


 涙が溢れた。

 止まらない。


「そんな……」


 掠れた声が漏れる。


「そんなの……」


 聞いてない。

 知りたくなかった。

 もっと生きたかった。

 もっと旅をしたかった。

 もっと色んな景色を見たかった。

 もっと春人と話したかった。

 涙が頬を伝う。

 ぽたり、と地面へ落ちた。


『ごめんね……』


 陽菜の声が震える。


『でも、ひなちゃんじゃなきゃ駄目だったの』


 ひなは唇を噛む。

 分かっている。

 誰かがやらなければならなかった。

 そして、その誰かが自分だった。

 選ばれたからじゃない。

 特別だったからでもない。

 ただ、花たちを見捨てられなかったから。

 忘れられなかったから。

 ここまで来てしまった。

 胸の奥で白い光が揺れる。

 どくん。

 どくん。

 どくん。

 まるで咲く時を待つ蕾のように。

 ひなは空を見上げた。

 青い空だった。

 旅の途中で何度も見た空。

 春人と歩いた道の上に広がっていた空。

 その空の向こうに。

 きっと二人がいる。


「……ずるいよ」


 涙を拭う。


「春人も」


 笑う。

 泣きながら。


「陽菜も」


 誰も最後まで教えてくれなかった。

 きっと反対されると思ったのだろう。

 きっと迷わせたくなかったのだろう。

 だから。

 最後の選択だけを残していった。

 ひなは目を閉じる。

 耳を澄ます。

 すると聞こえた。

 世界中から。

 無数の声が。


『ありがとう』


『ありがとう』


『ありがとう』


 感謝の声だった。

 救われた人たちの声だった。

 その声を聞いて。

 ひなは静かに微笑む。

 不思議だった。

 さっきまで怖かったのに。

 今は少しだけ落ち着いている。

 胸の奥で答えが決まっているからだ。


「……うん」


 小さく頷く。

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 陽菜か。

 春人か。

 それとも自分自身か。

 ただ一つだけ分かる。

 後悔はしたくない。

 最後まで。

 自分らしくいたい。

 それだけだった。

 風が吹く。

 白い光が舞い上がる。

 そしてひなの胸の奥にある蕾が、静かに開き始めた。

 世界で最後の花が。

 ゆっくりと。確かに。

 その花弁を開こうとしていた。

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