第三十話:最後の花
白い光が、陽菜に腕を駆け上がる。
「っ……!」
熱い。苦しい。でも、怖くなかった。
今まで感じたことのない感覚だった。
まるで胸の奥に眠っていた何かが、ようやく目を覚ましたみたいだった。
春人がひなの肩を支える。
「ひな!」
ひなは息を荒い息を吐きながら、自分の手を見る。
白い光。花の蔓に似ている。けれど花ではない。
それは静かな光だった。
誰かを侵すためではなく。
包み込むための光。
『聞こえる?』
陽菜の声が響く。
ひなは顔を上げる。
『その力はね、わたしを終わらせるための力なの』
ひなの胸が締め付けられる。
終わらせる。
その言葉の意味は分かっている。
花たちは消える。残された思いも声も記憶も全部。
「……本当に」
ひなは震える声で言った。
「それしかないの?」
陽菜は答えなかった。代わりに、花の海が震えた。
ざわり。ざわり。
無数の花々が一斉に風を受ける。
そして、声が聞こえた。
『ありがとう』
『水をくれて』
『忘れないでくれて』
ひなの目が見開かれる。
知ってる声だった。
村の人たち。学校の先生。コンビニの店員。旅の中で出会った花たち。
みんなの声。
『ありがとう』
『ひなちゃん』
『優しいかったね』
涙が溢れる。
花たちは苦しみだけじゃなかった。
ちゃんと覚えていた。
ひなが水をあげていたことを、忘れていなかった。
『だから』
『もういいよ』
風が吹く。
白い花弁が舞う。
『眠りたいんだ』
『帰りたいんだ』
『終わりたいだ……』
その声に噓はなかった。
ひなには分かる。
花の声が聞こえるから。
心が聞こえるから。
みんな本当に望んでいる。
長すぎる時間の終わりを。
その時だった。
春人が前に出る。
「陽菜」
低い声。
陽菜が春人を見る。
春人は静かに笑った。
何百年ぶりかに。本当に穏やかに。
「やっとお前のもとに行けるな……」
『うん』
「長かった」
『うん』
「本当に長かった」
春人は涙を拭わなかった。
流れるままにしていた。
「ずっと謝りたかった」
陽菜は首を横に振る。
『もういいよ』
「でも俺は……」
『もういいの』
陽菜が笑う。
写真の中と同じ笑顔で。
『おとうさん、ありがとう』
春人の唇が震える。
『ずっと一人でいてくれて。わたしを探してくれて。忘れないでいてくれて……』
「当たり前だろ」
泣きながら、春人が笑う。
「お前は俺の娘なんだから……」
陽菜も笑った。そして、少しだけ寂しそうな顔になる。
『ねぇ、おとうさん』
「なんだ?」
『今度は』
白い光が揺れる。
『一緒に帰ろう?』
その言葉に、春人は目を閉じた。
長い沈黙。やがて、静かに頷く。
「ああ……」
涙声だった。
「ああ……、一緒帰ろうな陽菜」
風が吹いて、花の海が揺れる。
そして春人の首元の蔓が、ゆっくりと光始めた。
蒼黒い花弁が舞う。
ひなは静かに春人を呼ぶ。
「春人……?」
春人は振り返った。その顔は穏やかだった。
旅を始めてから最初で最後の、一番優しい顔だった。
「ひな」
名前を呼ばれる。
「ありがとう」
ひなの胸が嫌な音を立てた。
「え……」
「お前に会えて良かった……」
春人の身体から、無数の青い花弁が舞い始める。
まるで、長い旅の終わりを告げるように。
ひなは春人に手を伸ばす。しかし、その手は届かなかった。
「待って……!」
春人は微笑む。
「もう限界だったんだ」
風が吹いて、花弁が舞う。
「でも、最後に」
春人は陽菜を見る。
「陽菜に会えた……」
その言葉に後悔はなかった。
何一つ。
だからこそ、ひなの胸は苦しかった。
春人の身体が光に包まれていく。
陽菜の花も同じように光り始めていた。
世界の終わりが近づいている。
そして、ひなの中で芽吹いた最後の花が、静かに開こうとしていた




