第二十六話:世界の中心
花の海の奥へ進むたび、空気が変わっていった。
風は吹いている。けれど音がない。
鳥の声も、虫の羽音も、何も聞こえない。
世界はそのものが息を潜めているみたいだった。
ひなは春人の後を歩く。
一歩。また一歩。
足元には白い花。
見渡す限り白い花。
終わりが見えない。
「……ここ、本当に世界なの?」
「ああ。ここが始まりだ」
低い声だった。
ひなは周囲を見渡す。
どこまでも続く花。けれど、その中心だけは違った。
遠くに見える。巨大な白い花。山のように大きな花。
その花だけが空へ届くほど高く咲いていた。
思わず息を吞む。
「……あれが」
「ああ」
春人が頷く。
「陽菜だ」
胸がざわつく。
(あれが、春人の娘……)
世界で最初に咲いた花。
この世界を変えてしまった存在。
ひなは言葉を失った。
花へ近づくたび、花の声が聞こえてくる。
『おかあさん』
『かえりたい』
『ありがとう』
『ごめんね』
無数の声。無数の想い。
泣きそうになる。
まるで世界中の人間の心がここへ集まっているみたいだった。
「春人……」
「なんだ?」
「ずっと聞こえていたの?」
春人少しだけ目を伏せた。
「……ああ。何百年もな」
ひなの足が止まる。
何百年。その重さが想像できない。
春人は静かに笑った。
「慣れるもんだな……」
その笑顔は寂しそうだった。
「最初は毎日叫びたくなった」
風が吹く。
白い花弁が舞う。
春人は巨大な花を見上げた。
「助けられなかった声ばかりだったからな」
ひなは何も言えない。
春人はずっと聞いていた。
誰にも言えない思いを。一人で何百年も。
やがて二人は花の根元へ辿り着く。
近くで見ると、その花は異様だった。
花弁は透き通るほど白い。
中心から淡い光が漏れている。
そして――
根だ。
巨大な根が大地の奥へ伸びている。
いや。
大地だけじゃない。
根は空へも伸びていた。
世界そのものを抱き込むように。
「……なに、これ」
ひなの声が震える。
春人は静かに答えた。
「花の根だ」
「世界中の花に繋がっている」
ひなは目を見開く。
その瞬間。
どくん。
巨大な鼓動が聞こえた。
心臓みたいな音。
世界の奥から響く音。
どくん。どくん。どくん。
花が脈打っている。
生きている。
巨大な白い花が。
「……嘘」
ひなの顔から血の気が引く。
春人はその花を見つめたまま言った。
「終わってないんだ」
風が止む。
静寂。そして——。
巨大な花の中心から、小さな声が聞こえた。
『――おとうさん』
ひなの背筋が凍った。
春人の身体が硬直する。
今まで見たこともないほど。
苦しそうな顔で。
春人は花を見上げていた。
何百年も待ち続けた声を聞いた人みたいに。
震える指先で。
そっと花へ手を伸ばした。




