第二話:知らない人と夜を越える
その男は、勝手にコンビニへ入っていった。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて追いかける。
自動ドアはとっくに壊れていて、半分開いたまま止まっていた。
店の中には花が咲いている。
レジの横。雑誌棚。冷蔵庫の前。
色とりどりの花が、静かな店内を埋め尽くしていた。
男は慣れた様子で棚を漁る。
「缶詰は……まだ食えるな」
「なにしてんの」
「見ればわかるだろ。食料調達」
当然みたいに言う。
ひなは少し呆れた。
「ここ、私の縄張りなんだけど」
「縄張り」
男は吹き出した。
「猫かお前」
「笑うな」
ムッとして睨むと、男は「悪い悪い」と肩を竦める。
でもその顔は少しだけ楽しそうだった。
(なんだか調子狂う)
人とこんな風に会話したのいつぶりだろう。
男は缶詰をリュックへ放り込みながら、店内の花をちらりと見た。
「ここ、店員は黄色か」
「……分かるの?」
「まあな」
男はそれ以上言わなかった。
でもひなは気になってしまう。
「なんで花見ただけで分かるの」
「長く見てりゃ覚える」
「意味わかんない」
「俺も最初はそう思った」
男は静かに笑った。
その笑い方は少し疲れていた。
ひなはレジ横に咲いている黄色い花を見る。
小さな花があつまった、明るい色の花。
確かに、いつも愛想の良かった店員のお兄さんっぽい気がした。
……いや、そんなことあるわけがない。
「お前、名前は?」
突然聞かれて、ひなは顔を上げた。
「……雨宮ひな」
「ひな、か」
男がその名前を確かめるみたいに繰り返す。
「あんたは?」
「忘れたって言ったろ」
「適当すぎ」
「じゃあ好きに呼べ」
(なに。その投げやり)
ひなは少し考えてから言った。
「……旅人」
「そのまんまだな」
「嫌?」
「別に」
男は――旅人は、どこかどうでもよさそうに答えた。
外では風が吹いていた。
花弁が舞う。
崩れた窓から夕陽が差し込み、店内を赤く染めていた。
久しぶりに、人のいる空間だった。
それなのに不思議と落ち着かない。
沈黙が怖かった。でも、少し安心している自分もいた。
「……お前、ずっと一人だったのか?」
旅人が缶詰を鞄に詰めながら聞いてくる。
「たぶん」
「たぶん?」
「途中まで人がいたかもしれないけど、みんなすぐいなくなった」
花になった。
その言葉は、何となく口にしたくなかった。
旅人も察したのか、それ以上聞かなかった。
代わりに小さく息を吐く。
「そうか」
短い言葉だった。でも妙に優しかった。
ひなは誤魔化すようにジョウロを持ち上げる。
「……水やってくる」
「まだやるのか」
「毎日やってるもん」
旅人は少し黙ったあと、ぽつりと言った。
「律儀すぎる」
「うるさい」
ひなはコンビニの奥に向かう。
バックヤードにも花が咲いていた。
店員さんの花。
アルバイトの大学生のお姉さん花。
みんな静かにそのにいる。
ひなは順番に水をやった。
しゃあ、と水の落ちる音だけが響く。
その時だった。
「……なぁ」
背後から旅人の声がする。
「なに」
「その花、本当に“死んでる”と思うか」
心臓が止まりそうになった。
ひなはゆっくり振り返る。
旅人は真面目な顔で花を見ていた。
「それ、どいう意味?」
「そのままの意味だ」
「……死んでるよ」
そう言ったのに、自分の声は少し震えていた。
旅人は何も言わない。
ただ静かに、咲いた花たちを見つめていた。
まるで、まだそのそこに“誰か”がいるみたいに。




