第一話:みんな花になる
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最初に花になったのは、隣のおじさんだった。朝早く、お母さんの悲鳴で目が覚めた。
「ひな!!ちょっと来て!!」
「……なにぃ?」
眠たい目を擦りながら外へ出ると、近所の人たちがざわざわ集まっていた。
その真ん中で。
白い花が咲いていた。
人ひとり分はある、大きな花。
朝露を乗せた花弁が、日の光を浴びてきらきら光っている。
綺麗だった。気味が悪いぐらいに。
「……え?」
花の根元には、隣のおじさんの革靴が落ちていた。
昨日まで普通に生きていた人が、朝になったら花になっていた。
意味がわからない。
誰も近づかなかった。
「これ、本当に田中さんなのか……?」
「でも靴が……」
「救急車!救急車呼べ!!」
騒ぐ大人たちの中で、花だけが静かに揺れていた。
白い花だった。そういえば、おじさんははいつも穏やかな人だった。
怒るところなんて、一度も見たことがない。
……だからって、人が花になるわけないのに。
その日から世界がおかしくなった。
*****
三日後。
学校で先生が花になった。授業中だった。
「ここテストに出るからちゃんと――」
先生の声が止まる。
ぽつり、とチョークが落ちた。
「先生?」
次の瞬間、先生の腕から緑色の蔓が伸びた。
「……っ!?」
クラス中が悲鳴を上げる。
制服から押し破るように茎が膨らみ、身体がゆっくり花へ変わっていく。
血は出なかった。なのに怖かった。
人間が、人間じゃないものになっていく。
先生の背中が開くように花弁へ変わる。
咲いたのは、真っ赤な花だった。
燃えるみたいな赤。
目が痛くなるほど鮮やかな色。
甘ったるい匂いが教室中に広がった。
「いやあああああっ!!」
「逃げろ!!」
机が倒れる。
誰かが泣いてる。
ただ、その赤い花を見ていた。先生はいつも怒鳴っていた。
すぐ怒る人だった。
あの花、なんだか先生みたいだと思った。
そんなこと、思うべきじゃないのに。
数秒後。
そこから世界は壊れた。
ニュースキャスターが花になった。
電車の運転士が花になった。
コンビニ店員が花になった。
理由は不明。感染経路も不明。治療法も存在しない。
SNSでは“開花病”何て呼ばれ始めたけれど、そんな名前はついたところで何も変わらなかった。
みんな花になった。本当に、みんな。
花になった人は動かない。喋らない。でも枯れない。
水をあげれば、静かに咲き続ける。
まるで生きているみたいに。
お母さんが花になったのは、雨の日だった。
夕飯を作ってる最中だった。
「ひな」
やけに優しい声で、お母さんがひなを呼ぶ。
「なに?」
「ごめんね……」
「……は?」
振り返ったお母さんの頬には、蒼い花弁みたいな模様が浮かんでいた。
背筋が凍る。
「お母さん……?」
「一人にしちゃうね……」
「やだ」
私は反射的に駆け寄った。
「やだやだやだやだ!!」
腕を掴む。冷たい。皮膚の下で、根っこみたいなものが脈打っていた。
お母さんは泣きそうに笑う。
「大丈夫よ……」
お母さんの目から落ちた涙の雫は、ひなの手の上に落ちて消えた。
「大丈夫なわけないじゃん!!」
抱きしめる。でも、お母さんの身体は少しずつ花へ変わっていった。
指先が花弁になって、髪が蔓みたいにほどけて甘い匂いが広がっていく。
「……ひな」
最後に名前を呼ばれた。
次の瞬間、ひなの腕の中で、大きな青い花が咲いた。
静かな花だった。
お母さんみたいな花だ、と思った。
お母さんは昔から蒼い花が好きだった。
落ち着く色だからって笑っていた。
……でも。そんな偶然、あるわけない。
世界から人が消えた。
道路にも。駅にも。家の中にも花だけが残った。
ひなは毎日、水をあげて回った。
意味なんて分からない。
もう死んでるかもしれない。それでも枯れて欲しくなかった。
だから水をあげる。
お母さんにも。学校のみんなも。近所の人たちにも。
静かな世界で、ひとりきり。
その日もひなは、駅前で花に水をあげた。
元はコンビニだった場所には、黄色い花が壁を突き破るように咲いている。
ジョウロを傾ける。水が土へしみ込む音だけが響いた。
「……律儀だな」
突然、声がした。
ひなはびくりと肩を震わせる。
ゆっくり振り返った。
そこに男がいた。
長いコートを着た、旅人みたいな男。
肩には大きな荷物。
髪はぼさぼさで、随分長いことまともに寝ていないみたいな顔をしている。
でも。生きている人間だった。
「……っ」
言葉が出ない。
人の声なんて、何日ぶりに聞いただろう。
男は花だらけの駅前を見回し、それから私を見る。
「まだ生き残りがいたんだな」
「……誰」
警戒しながら訊くと、男は少し困ったように笑った。
「さあ。もう長いこと名前を呼ばれてないから、自分でも忘れた」
(なにそれ。変な人)
でも、悪い人には見えなかった。
男はひなのそばまで歩いてくる。
そして、お母さんの青い花を見た。
一瞬だけ。本当に一瞬だけ、ひどく悲しそうな顔をした。
「……デルフィニウムか」
男はそう呟いてから、静かに笑った。
「じゃあ君のお母さんは、最後まで君を愛していたんだな」
「え?」
男は花を見つめたまま小さく呟く。
「優しい母親だったんだろ」
心臓が止まりそうになった。
「なんで……わかるの」
男は答えない。
ただ静かに、蒼い花に触れそうにしたけど、触れずに手を止めた。
「……まだ水やってんのか」
「だって、枯れちゃったら可哀そうだし」
男は少し黙ったあと、小さく息を吐く。
「優しいな」
その言葉が、なぜか胸に刺さった。




