第十八話:名前のない花
芽が見つかってから、三日が過ぎた。
その間に芽は少しだけ伸びた。
本当に少しだけ。
葉が二枚。細い茎。
まだ花が咲く気配はない。
それでも皆、気にしていた。
朝になれば見に行って。
夜になる前にも見に行く。
誰も触れない。ただ、見るだけ。
見守るみたいに。
ひなは今日も裏庭にしゃがみ込んで、その芽を眺めていた。
「おねえちゃん」
振り返る。
女の子がいた。
今日もぬいぐるみを抱えている。
「起きてたんだ」
「うん」
女の子はひなの隣へ座った。
一緒に芽を見る。
「ねえ」
「ん?」
「この花、なんて名前?」
私は少し困ってしまう。
「まだ花じゃないからなぁ」
「でも名前ほしい」
「そっか」
名前。
考えたこともなかった。
この世界の花には、それぞれ意味がある。
咲いた人の感情や記憶が花になる。
だから名前を持つ。
でも、この芽は違う。
誰の花なのかわからない。
何から生まれたのかもわからない。
だからまだ名前がない。
「旅人ならわかるかな?」
そう言ってひなは振り返る。
旅人は少し離れた壁にもたれていた。
腕を組んだまま、こちらを見ている。
「旅人」
「なんだ」
「この花、名前つけるなら何?」
旅人は無言で芽を見る。
風が吹く。
黒い髪が揺れる。
しばらくして。
「知らん」
「えぇ……」
「名のあるものではない」
あっさり言う。
女の子が少しだけ頬を膨らませた。
「じゃあつけようよ」
「……」
「名前」
旅人は答えない。
ひなは笑ってしまう。
「たしかに」
女の子は真剣な顔で芽を見る。
「ちいさい」
「うん」
「かわいい」
「うん」
「でもつよい」
その言葉にひなは芽を見る。
黒い土の上。
何もなかった場所。
何も育たない場所。
そこから出た、小さな緑。
たしかに、小さいのに、強かった。
「……希望」
気づけばそう呟いていた。
女の子がこちらを見る。
「きぼう?」
「うん」
ひなも芽を見る。
「希望の花」
女の子の目が丸くなる。
「きれい」
その時、背後から声がした。
「似合ってる」
アパートの女だった。
いつの間にか立っていた。
穏やかな顔をしていた。
昨日までの諦めた顔じゃない。
少しだけ柔らかい。
「希望、か」
老人もゆっくり近づいてくる。
「悪くない」
若い男も静かに芽を見下ろしている。
皆が、その名を心の中でなぞっている気がした。
希望。
名前のない花についた、最初の名前。
風が吹く。
その瞬間。芽が、かすかに揺れた。
まるで、その名前に答えるみたいに。
女の子が、小さく笑った。
その笑顔を見て。ひなは胸の奥が、少しだけ温かくなるのを感じていた。




