第十三話:花のない街
北へ向かうにつれて、景色がおかしくなっていった。
最初に気付いたのは匂いだった。
「……花の匂い、しない」
旅人は無言で歩いている。
ひなはその後ろを追いながら、周囲を見回した。
道路脇。ビルの壁。電柱。
今までなら、どこにでも花が咲いていた。
人がいた痕跡みたいに。でも、ここにはない。
一輪も。
風だけが吹いている。
「……変なの」
思わず呟く。
静かすぎた。
花がないだけで、こんなに世界って空っぽになるんだ。
旅人が小さく言う。
「近いな」
「咲かない場所?」
「ああ」
その声は少し警戒していた。
ひなは空を見る。
灰色の雲。鳥の声もしない。
何もない。
本当に。
その時だった。ふ、と頭の中が静かになった。
「……え」
ひなは立ち止まる。
聞こえない。
花の声が。
いつも微かにあったざわめき。
泣き声みたいな感情。それが全部、消えていた。
「旅人……」
「わかるか」
ひなはゆっくり頷く。
「聞こえない……」
胸がざわつく。
怖い。
なのに少しだけ安心する。変な感じだった。
旅人は辺りを見回す。
「ここまで完全なのは初めてだな」
「来たことあるの?」
「噂だけ聞いた」
旅人は古びた標識を見る。
文字は掠れて読めない。
「“花の死んだ場所”」
ひなは思わず息を呑む。
「死んだ……」
「そう呼ぶ奴もいる」
風が吹く。でも何も揺れない。
花がないから。
その時、かつん。
後ろで音がした。
ひなは振り返る。
誰かいた。
「……っ!」
女の人だった。
白い服を着た、痩せた女。でも身体のどこにも花が咲いていない。
普通の人間。
ひなは目を見開く。
「生きてる人……!?」
女はじっとひなたちを見ていた。
やがて、小さく口を開く。
「……久しぶり」
掠れた声だった。
長いこと喋っていなかったみたいな。
旅人が一歩前へ出る。
「ここに住んでるのか」
女は静かに頷く。
「花は?」
旅人の問いに、女は少しだけ笑った。でもその笑顔は、妙に寂しかった。
「咲かないの」
ひなは息を止める。
女は空を見る。
「ここでは、誰も咲けない」
風が吹く。
その瞬間。旅人の首元から、青黒い花弁が一枚落ちた。
でも。
地面へ落ちた途端。花弁は、黒く枯れた。




