第4話 頼られ続けた幼い私
小学生の頃、私はある同級生に毎日のように家へ押しかけられたり、電話をかけられたりしていた時期があった。
正直、私はその子と特別仲が良かったわけでもなく、むしろ困っていたが、祖母は家の中ではその子のことを
「迷惑な子だ」
と言いながら、本人を前にすると、急に態度を変えた。
「また遊んでやって」
「ほら、あんたもちゃんと返事しなさい!」
そう言って、私が家にいないと嘘をついていたはずなのに、
「しつこいから!」
という理由でわざわざ私を呼びつけ、
「自分で断れ」
と押しつけてきたこともあった。
そして、その子を追い返したあとには、
「なんであんな子とつるんでるんだ」
と、決まってこう言われた。
「別に私は、好きでつるんでいるわけじゃない!」
何度もそう思いながら、言葉にできずに飲み込んでいた。
祖母は父に対しても同じだった。
父は祖母にとって
『息子』
という特別な存在で、明らかに父に非があっても、祖母は決して父を注意しなかった。
例えば、私が先に見ていたテレビを父に突然チャンネルを変えられた時のこと。
普通なら
「先に見てたんだから、変えないであげて」
と言う場面なのに、祖母は私に向かって、
「譲ってやれ」
とだけ言ってきた。
私には何でも言うくせに、肝心の息子には何も言わない。
その不公平さに、幼い私は、何度も心の中で叫んでいた。
他の家族が私をバカにするような発言をしてきた時も、祖母は一緒になって笑ったり、余計なことをして事態を悪化させたり。
「しなくていいことに限ってやる」
そんな存在だった。
私が高校生になる頃、祖母は体調を崩して寝たきりになった。
それでも祖母は、寝たきりを理由に、私の名前を呼んでは、お願い事をしてきたり、ワガママばかり言うようになってきた。
その態度は
「やってもらって当たり前」
というもので、私は次第にうんざりしていった。
骨粗鬆症で救急車に運ばれた時も、祖母はずっと私の名前を呼び続けていて、正直とても恥ずかしかった。
私が成人する頃には、祖母は認知症が進み、足腰も弱り、私のことも忘れかけていった。
私がひとり暮らしを始める頃には、もう祖母との関わりはほとんどなくなり、いつお迎えが来てもおかしくない状態になっていった。
これを機に、祖母と関わることは、めっきりとなくなったのでした。




