二十四 鎮魂曲でなく
ブリュッセルレクイエム。
吹奏楽コンクールで定番となっている曲は、実際にベルギーで起きた事件を基に作られ、その犠牲者への想いをレクイエムとしたものだ。
重厚で切ないクラリネットソロで始まる楽曲は、ルリの澄んだ音色が、穏やかで甘美な日常を煌めかせる。
本来十六分以上かかる大編成の曲を八分に切り取り、たった二十四人の小編成に編曲した地点で邪道なのだが、田舎町の小さなイベント広場に不釣り合いな難曲は、荘厳に盛大で可憐な楽曲に仕上げられた。
キンと冷たい風が、指を、唇を、かじかませるけれど、響子先生の澄み切った空気を操る指揮に導かれて、キトたちは鎮魂曲を紡いでいく。
日が落ちて真っ黒に塗りたくられていく山も、白銀の雲と薄いブルーのグラデーションで染め上げられた空も、友らで奏でる音も……。ベルに腰掛けてうっとり聴き惚れるエイラも。
雑多な喧騒が混ざり合う観客さえも巻き込んで昇華させるレクイエムは華やかに重厚に、刹那に月の光を切り取るように儚い部分を残して……。
ただそこに悲しみを怒り、ただそこに祈りを創りあげるようだった。
鳥肌が立った路上ライブはなんだったのだろう? 比べものにならないくらい全身が震える。
まるで絵画の中に取り込まれたかのように。曲と空気と景色とが壮大な刺繍糸になったかのように。全てで何かを紡いでいく。
神がかるとはこういうことなのか?
ただ音を追い、細く太く高く低く、キトらの全てを合わせるだけのことで、すべてが震える。それが嬉しい。それが楽しい。けれど引き裂かれるほどに苦しくて哀しくて。
いつのまにかエイラは、高く高く、白銀の雪に混じるように舞い、くるりくるり、風に泳ぐように羽根を踊らせている。
沈みかける陽が羽根を艶やかに光らせ、細い髪が柔らかに風に溶けて、アクアブルーの瞳がキトを捉えると、とびきりの笑顔で輝いた。
『 キト、キト。 わたし、呼ばれたわ。 キト、キト。 わたし、還るの。 仲間のところに、輪廻の渦に。 ありがとう、キト。 大好きよ、キト』
柔らかく吹き温める鎮魂の小節で、空気を震わせたキトの涙に、エイラはチュッとキスをした。そしてトランペットの高らかな音色に飛ばされ、弾けて、大きく手を振る。
( そんな……、なんで? なんで……? エイラまで……)
「あら、雪?」
「なんてきれい!」
柔らかく降る白い雪粒に人々は空を見上げる。
濃いブルーに染められていくグラデーションの頂点で、人々はアクアブルーの星を見つけてため息をついた。
フィナーレに向かって、荘厳に追いかけるように曲が紡がれる。白い雪は夕方の残光で銀の透明の輝きに変わり、エイラを空に溶け込ませていく。
( 嫌だ、嫌だ。駄目だ、エイラ! 行くな、いくな、逝かないでくれ!)
音が止まった。
キトの周りの音が……。
真っ白な空間。
無音の空間。
それは一瞬。
スローモーションのようにゆっくりと流れる時の狭間。
『 めいっぱい生きた! って消えたら素敵じゃない』
笑うように、歌うように、エイラの甲高い声が聴こえた気がした。
ぐわああああああああああああああああああん!
空気を膨らますような大音響。引き戻された現実に、キトは母達を捉えた。
( 母さん、エイラが……。うん、あぁ、いいよね、母さん。一緒に エイラを 褒めよう。よく生きたって。偉かったねって )
ぐしょぐしょに泣きじゃくる父に、キトは優しく瞳を返す。
( あぁ父さんも、西城も潤も……、そんな顔しないでエイラを送ろう。行ってこい、エイラって )
前が見えぬほどの水滴で視界が滲むくせに、キトの心は冷静で晴れやかで、渾身の一音を吹き切ったベルが、ピタと振り上がった指揮棒と共に止まった。
割れんばかりの拍手。
沸き起こる最上の喝采に、ルリやミカや部員らは……誇らしげに顔を上げる。……が、キトは転がるように前に飛び出して行った。
舞台脇の司会者のマイクをもぎ取ったキト。何が起こるのか、会場はしんと静寂に包まれる。
「あー、えー。すみません。あー、うん。僕に、少しだけ時間をください」
制服の袖で鼻を擦った少年は、スタスタと中央まで歩き寄った。
キョトンとする部員らに頭を下げて断ると、再びマイクを持って母を見据える。
「病床の母が、母が来てくれました」
人々の目が周囲を探っている。だが構わずにキトは続ける。
「僕は幸せなことに、こんな機会を得たので。うん、公共の場を私的に使って申し訳ないと思っています。だけど、後悔したくないから……、」
噛み締めた唇に肩が大きく震える。語尾が消え、臆病なキトが顔を出しそうだ。ぎゅっと拳に力を込め、俯いた顔をグッと空に押し上げる。
「ヒトには……いや、生きていれば、そこに終わりが来るのは必然で。それがすぐ側に迫って来れば確かに深い悲しみがある。だけど、その生が愛しいほどに輝いたものだったら? 満足がいくほどに生き切ったというものだったら?
それが例え短くても、その日が震えるほどに恐ろしいことだったとしても……」
しんと静まり返る客席。後ろの友らが俯き、涙ぐむ。キトは頬を歪ませて天を仰いでから真っ直ぐに母の瞳をとらえた。
こくりと唾を飲んだ。
そして屈託なく笑った。
しっかりとマイクを持ち直したキトは清々しいほどの表情で、それを聞く全ての人に力強い声を届ける。
「僕は輪廻に還るその瞬間を、しっかりと見届けて褒めてあげたい。よく生きたって、会えてよかったって。その瞬間を、笑って送り出そうと思う。 ……遠い世界に旅立つ母と共《友》に……、僕はレクイエムでなく、新しいスタートとなるファンファーレを贈りたい」
思い切り息を吸って、吐いて。吸って、吐いて。
クキリ。
凍てつく風を感じ、金のトランペットを上げる。
*************************
ーータータタターターター
タータタターターター
ターターターターーー
有名なゲームのファンファーレ。いざ冒険に行かん、そんな士気を盛り立てるあの音楽。
楽譜をもらった時の喜び、初めて吹き切った時の達成感、そして……コンクールで金賞を手にした時の歓声、抱き合った友の固い肩。目眩く日々がキラキラと輝いて、瞬いて蘇る。
ツツと頬を流れる熱いものも、ググと締め上がる喉も、絞り取られる腹力も、全てーーーー君へ。
渾身の力でサビを吹き終えたキトに、響子先生の指揮棒が動いた。
ルリが、ミカが、友が……。
再び奏でられるファンファーレ。
広がりゆく音色で僕を後押しする。西城も潤も、あぁ恭介までもが、即興で演奏に加わる。溢れる涙が、熱い情熱が、柔らかな厚意が、人々の手拍子が、会場全てを飲み込み、壮大な音楽を遥か彼方、輪廻の渦を巻き起こすかのように膨らんでいく。
その時、僕らは、確かに……。
濃紺の宇宙に満天の白銀の星を見た。
幾筋もの流れ星を、降り注ぐ雪粒の中で感じ、優しく震える空気に溶けていくのを知った。
そう、アクアブルーのキセキを感じた一瞬だった。
エイラ、母さん。
僕の冒険は始まったばかりのようだ。だからめいっぱい、輪廻に還るその時まで、僕は……生きる。
僕に会えたことが奇跡なら、エイラや母さんに逢えたことも奇跡だ。可笑しい。滅多にないことが奇跡なのに……僕の周りは奇跡でいっぱいだ。
キト……呼んでくれてありがとう。
キト……待っていた…待ち望んでくれてありがとう。
僕は…………
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
最後のエピローグは一時間後(2024/12/24 19時)に更新いたします。




