二十二 奇跡
ーーーーピッピッピッピッ。
いつかドラマで見た光景がそこにあった。
ほんの少し背を上げたベッド。伸びる数本の管の先には点滴とコード。冷たく硬い電子音。薄暗い部屋に額を寄せた医師と看護師が淡々と作業する。
だが、ドラマとは違うところもあった。
「あら? どうしたの?」
真っ青な顔で入室した二人とは対照的に、ベッドに背を預ける女は、キョトンとしている。
「私が呼んだんです。申し訳ありません。いやぁ、奇跡っすよ。奇跡。さっきまであんなに痛がって、サチュレーションも下がっていたのに。まぁ医者の腕がいいってことでしょう」
拠点病院とは違い、ホスピスであるここは、白衣を引っ掛けた医師らしくない初老の男が担当していて、威厳も気遣いも遠いところに置いてきてしまったかのようだ。
ふふと笑った看護師が父親に点滴の薬剤についていくつか説明をすると、やはり悪びれもなく笑みを絶やさずに出ていった。
さっきまでの乾いた機械音が取るに足らない音に変わった。
ヘナヘナと腰を抜かした父を抱き上げ、手足を使って広げたパイプ椅子に座らせたキトは、飲み物を買ってくると言って病室を出ていった。
向かったのはナースステーション。先ほどの医師を捕まえて病状を確認する。
医師も看護師も、きちんと引き継がれているのだろう。この未成年の少年を小さな個室に招き入れて、治療について丁寧に説明をしてくれる。
胸に貼る医療用麻薬に限界がきたこと。モルヒネという強い薬で痛みを抑えたこと。そしてーーーー既に奇跡はキトらの手中にあるということ。
「明日……四時のステージなんですが……。難しいでしょうか?」
今まで父に代わって淡々と事実を受け入れてきた少年の初めての願いに、古参の看護師が柔らかく頷いた。
「恵さんから聞いていますよ。温かくして行きましょう。病院の車と付き添う看護師、車椅子の手配もできています。ただーー」
「ただ? やっぱり難しいですか?」
震える指を押さえながら話すキトの手を、そっと握った看護師の指は、やはりカサついてしわがれていた。だが、その細い指は温かな熱を持っていた。
「いいえ。行けます。大丈夫。ただ、急変しても救急車は呼びません。そこで…………ということも覚悟してください」
返事の代わりに大きく頷いたキトは、深々と頭を下げてナースステーションを後にする。手には二本の缶コーヒー。
とろりと溶けゆく母の髪を優しく撫でて、白く黄色くなった硬い頬に柔らかな指をすべらせる父を、キトは窓に背を預けて見守った。
ーーーー奇跡なんです。今、ここに命があることが。
医師の言葉が重く冷たくキトの思考を支配していた。
二十二時。
父は病室に泊まり、キトはエイラと暗い家に帰った。




