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十六  母さん


「肌に張りがあるでしょう? 年齢不詳の美魔女って言っていいわよ」


 自身の体型をケラケラと笑い飛ばしていた母は、いつの間に、こんなにも小さく頼りなくなってしまったのだろうか。


 パタンと閉じたノートをしまった母。パサパサにツヤを失った髪と患者であることを示すリストバンドが、キトの目を幾度も潤ませている。悟られまいとする少年は、視線を泳がせ、やがて外の街灯りにたどり着き、大胆にもカーテンを開けた。


「嫌だ〜! 丸見えじゃない。それに寒いわ」

 嫌だという割に笑顔な母にホッとし、高台で周囲が雑木林なのだから外からは見られないよとキトも笑う。実際、窓からは木々の先端と坂を下った街灯りが宝石箱とは言えないけれど、それなりに広がっていて美しかった。


 けれど、そこと対比するかのように、やつれた頬と細くなった手首が老婆を彷彿とさせ、たった一年前の母が眩しく思い出される。



「あ、あのさ。二十四日に、コンコースでページェントがある。(あのひと)と外出できないかな……?」


 真っ暗な外と黒光る窓に写る自分を視界に捉え、うつむき気味に話すキト。母は嬉しそうに微笑んだ。


「今のままなら行けそうだけど。期待しないでいて」


 胸に貼った痛み止めをそっと押さえて、コンビニで買ったプリンにスプーンを落とす。キトはエイラのことを思い出して、視線を泳がせた。


 ポケットを見るとエイラがうんと大きく伸びをしていた。プリンに反応したのか、ふわり。風がキトの髪を撫であげて透き通った羽根をばたつかせる。


「・・・キト?」

 キョトンとした瞳。三日月だった母の目が満月のように丸くなる。

「……あれ? 見、見える?」


 こくりと頷いた母がそっとしわくちゃの手のひらをよこす。エイラは楽しげに飛び回ると、母親の手のひらの上にすくと立った。


「か、軽いのね。 よ、妖精?」


 今度はキトがこくりと頷く。差し出されたプリンにちゅぷと顔を埋めたエイラは口いっぱいに頬張ると、両頬を押さえてうっとりしている。


「わたし、妖精って初めて見たわ」

「僕も、だったよ……」


 目を合わせて笑った二人はまるで少年と少女のような顔になり、愛しい小さな生き物の所作をふふと楽しんだ。


「フィナーレのレクイエムは十六時だから。寒くなる時間だし……。無理しなくてもいい……」

「うん。約束はできないけど……。いきたい」


 キトは「レクイエム」(鎮魂曲)と言ってしまったことにチクリ胸を痛めた。

 母は「()きたい」と言ったことにドキリと視線を逸らした。


 気まずい沈黙が押し寄せそうなとき、エイラが甲高く笑った。


「あはは! したいと思ったことはすればいいのに」


 ズケズケと二人に割り込んできたエイラにキトが眉尻を上げると、エイラは母の鼻先に人差し指を当てて宙に浮いた。


「ねぇ? ヒトも妖精も同じよ。消えるときは消えるけど、消えないときは何をしたって消えないの。輪廻に溶ける時に、あぁ目いっぱい生きた! って消えた方が素敵じゃない? いつか……なんて誰にもわかんないんだから、臆病に約束しないなんて、無理しないなんて、勿体無い!」


 うふふと笑い飛ばしたエイラは母親の顔をまじまじと見つめてから、ふわふわと宙を漂ってキトのプリンカップの端に腰掛けた。


 窓の外は真っ暗で、遠くの街明かりが冷えた空気を際立たせている。

 クキリ。


 窓に映った二人と小さな妖精は、空から落ちてくる大粒の白い雪に耳を傾けた。


 どこまでも静寂で、どこまでも煩いテレビの音。甲高い細い声は愛らしく強く……、うつむくヒトの息は密やかに震えている。



「うん。僕、あんた……、母さんに……。母さんに聴いてほしい」

 小さく呟いてハッと瞳を開いたキトは、哀しく悲しく頬を振るわす母の姿をガラス越しに捉えた。


「…………母さん、なんて呼ぶようになったのね」


 小さな母の呟きは、四角い箱から飛び出した賑やかな音にかき消され、聴いたのはエイラだけだったかもしれない。


 母息(ははこ)の病室から漏れ出たオレンジの光を浴びた牡丹雪は、静かに闇に溶けていき、駅に向かうキトの足を冷たく濡すのだった。



 

 


 

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