紗羅の目にも涙
週明け、紗羅はカナダへと旅立った。大悟と藍子は成田空港まで紗羅を見送った。
空港は卒業旅行に出かける学生で混雑していた。片道チケットで旅立つのは紗羅だけだ。チェックインを済ませたらすぐに搭乗時間になってしまう。紗羅の表情は暗い。
「紗羅が行ったら、これで本当に天水道場は解散だな」
大悟は言う。紗羅は頷いた。
「じゃあ解散式するか」
大悟の提案で、出国ゲート前で三人は輪になった。大悟は天水の口調を真似て、
「これにて天水道場は解散する。今後は自分の環境で各々精進に励み、道場の名を汚さぬように。以上」
大悟の訓示が終わるか否かで紗羅は子どものように泣き出してしまった。紗羅でも泣くのか、藍子と大悟は顔を見合わせた。
「道場は無くなっても、俺たちが天水先生の弟子である事実は変わらないよ。それに、離れていても俺たちは仲間だし」
「仲間?」
紗羅は聞き返した。
「ああ、仲間だ。俺たちは中学生から一緒の仲間だろう」
紗羅には大悟のその言葉は不満だったらしい。紗羅はつまらなさそうな顔で涙を拭いた。
「ふうん、仲間ねぇ・・・・」
「俺は紗羅を仲間だと思っていたけどな」
大悟は傷付いた顔で言い返す。紗羅は大悟を見据え、
「私は、私は・・・・」
と言葉を絞り出した。藍子は紗羅の様子を見、紗羅が全く違う意味合いの事を言いたいのだと思い至る。藍子は静かに後ずさりをして二人から離れた。
大悟は急に喧嘩腰になった紗羅を持て余している。藍子はトイレにでも行ったのか姿を消してしまった。しかし別れ際に喧嘩をしてもつまらない。大悟は励ますように、
「紗羅だったらどこに行っても大丈夫なんだから、カナダが飽きたらいつでもこっちに帰って来いよ。藍子は東京にいるし、俺だってすぐに東京に出て来れる。そしてまた三人で・・・・」
「あー!もう!大悟ってなんでそうなの?そんなに藍子が好きなの?」
「そんなんじゃねぇよ!女の子がいた方が紗羅が気楽だと思って」
大悟は弁解する。
その時、バンクーバー行きカナダエアラインの搭乗開始を告げるアナウンスが流れた。大悟は紗羅を急かす気持ちで、
「本当にいつでも帰って来ていいから」
と別れの言葉を口にする。紗羅に時間はない。彼女は至近距離から大悟の懐に飛び込んだ。
大悟は突然の触れ合いに硬直した。大悟の胸の中の紗羅は普段の気性の荒さ、シニカルさを引っ込めて、暖かい小動物のようだ。大悟の鼻に紗羅の髪の毛の匂いが届いた。大悟は思わず紗羅の髪に頬ずりをしてしまう。
搭乗を急かすアナウンスが鳴った。
「紗羅、もう行けよ。飛行機が出るぞ」
大悟は紗羅を引き剥がすようにして離れた。紗羅はすかさず
「キスして」
まるでキスしなければ飛行機に乗らないとの脅迫である。大悟は紗羅をバンクーバー行きの飛行機に乗せねばならぬと言う義務感にかられ、唇を重ねる以外の選択肢が見つからない。一瞬藍子の顔が脳裏に浮かんだが、離陸時間が迫っているのだ。大悟は自分の唇を紗羅に押し付けるように口付けをした。
唇を離した後、紗羅はやっと満足したように莞爾とした笑みを浮かべ、
「じゃあね」
と言って手を振った。大悟は紗羅を飛行機に載せようと必死である。
「とにかくもう行けよ」
強引に紗羅の肩を掴み、出国ゲートに向かわせる。
「午後四時十五分発バンクーバー行きカナダエアライン、ご搭乗最終案内です。ご搭乗の方はお急ぎ・・・・・」
アナウンスが大悟を急かす。大悟は紗羅を出国ゲートまで押しやった。紗羅は振り返りつつもセキュリティチェックの列に並び、やがて見えなくなる。
大悟は紗羅が飛行機に乗れるのか気が気ではない。そして手で自分の口を覆い、紗羅と口付けを交わしてしまった事実を思い知る。しかしまた、紗羅はなんで俺なんかと・・・・。
藍子は離れた場所から恐る恐る振り返ると、丁度二人が抱き合っている場面を目撃することになった。今、藍子の中で長年の疑問が氷解した。紗羅が何かと藍子に冷笑的であった事、何やかやと稽古には必ず参加した事、全て大悟を思う気持ち故だったのだ。藍子は紗羅の気持ちに気づかず、彼女に申し訳ないことをし続けたと悔やむ。藍子のこの勘の鈍さこそ紗羅が憎んできたのだ。




