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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第十章
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あの日空から降って来て

清彦はクラスメートから大きく遅れを取るも、都内のバッグ製造会社から内定を得る事が出来た。ビュレットナイトは今まで以上に精力的に活動した。

「音楽活動を続けたい。働きながらでもプロを目指したい」

マリイは早い段階からそう明言していた。しかし芸名ジョニーも新しく入ったギターの男も大学卒業と同時に音楽をやめるつもりだった。

「清彦は?いずれ社長になるんだから、そんなにがっついて働かなくてもいいじゃん。音楽メインで適当にサラリーマンをやって、音楽が駄目だったら四十ぐらいで社長に収まりゃいいんだし。何なら就職なんかする必要もない」

それがマリイの提案する清彦の人生設計だ。清彦は苦笑する。

「そう言うわけにはいかないよ。やっぱり丁稚奉公しないと。それに入社早々地方に飛ばされる可能性もある」

これでビュレットナイト解散は既定路線となる。


清彦はライブハウスのステージの上から藍子を探してしまう。楽屋に藍子が遊びに来てくれないか、かつての様に楓が作った差し入れを持って、と。しかし藍子を傷つけたのは他ならぬ清彦だ。今更以前のようにライブに来てくれと誘う事は出来なかった。藍子の名前はビュレットナイトのメーリングリストからとっくに消えていた。

それでも清彦は藍子との絆が切れたとはどうしても思えないのだ。藍子から受け取った手紙には清彦への宥恕ゆうじょの気持ちが読み取れた。清彦の帰京を待っていると、連弾をしたいと、藍子はそう書いて来たのだ。まだ清彦は藍子の心の中にいても良いのだと藍子が言っているようだった。


大学の卒業式で、清彦はやっと藍子を捕まえることが出来た。式典会場に向かう藍子は白地の和服に黒い袴を合わせ、まるで合気道着のような装いだ。若武者みたいだなと清彦は思う。

「今日も強そうだね」

と清彦はいつもの通り、褒めているのか貶しているのか分からない物言いをした。

「私らしいでしょ?」

藍子がそう返すと、

「とても凛々しい」

と清彦は言い、更に

「とても綺麗だよ」

と付け加えた。藍子は清彦から初めて言われた世辞に赤面する。二人は会場に入らず、会場外の廊下で立ち話をした。清彦はライブの時にいつも着ている黒いスーツに、黒地のネクタイを締めている。

「清彦さんこれからどうするの?暫くは東京にいるの?」

清彦は頷いた。藍子はその答えに安堵する。

「じゃあ音楽は続けられるんだね」

清彦は済まなそうに、

「マリイ以外は音楽を辞めるんだ。勿論俺も」

と打ち明けた。

「じゃあ、ビュレットナイトは・・・・・」

藍子の疑問を清彦が引き取る。

「解散する」

解散、その言葉は思いの外藍子の胸に突き刺さった。

「清彦さんとマリイのボーカルは聴けなくなっちゃうんだね」

藍子はそう呟くと、目から涙が滲んで来てしまった。彼女は何度も小首を傾げ、

「あれ?あれ?何で私、泣けちゃうんだろう」

とおどけながら指の腹で涙を拭った。


中野での演武中に清彦に抱きとめられて、その日から藍子は清彦を好きになってしまったのだ。喜びなど何もない苦しいだけの恋だった。それでも恋は恋だ。藍子を大人にさせてくれた。藍子を弾丸の如く恋に突っ走らせたビュレットナイトは解散である。藍子はもう走れない。

「あの日、藍子は空から降って来たよね」

「私も同じ事を思い出していた」

藍子は目に涙を溜めながらも笑顔で言う。そして、

「あの時は初段を取ったばかりだったから失敗をしちゃって。もうあんなヘマはしないよ。だって私は今や二段だもん」

と付け加え、胸を張る。清彦は藍子の方を向いて、

「ヘマをしてもいいよ。もう一度、俺のところに降りて来て。もう一度」

そして緊張した面持ちで、藍子を待ち構えるかのように両腕を広げたのだった。清彦さんが私を待っている。あの日のように私を抱きしめようとしている。藍子の胸は高まる。そのまま清彦の胸に飛び込み、彼の温もりに身を任せたくなる。しかし式典会場に続く廊下はさっきから人の通りが絶えず、抱擁など出来る環境ではない。

「えへへ、また今度ね」

藍子は照れて笑った。

「そうそう、解散ライブがあるんだけど、来てくれるかな?」

清彦は切り出した。

「いつ?」

藍子は用心深く聞く。藍子は天水道場の解散も控え、天水の送別会や紗羅の見送りなど忙しいのだ。ビュレットナイトのライブは一週間後だった。

「時間は?」

「夜から。高円寺で」

「そうね、行こうかしら」

そう言いつつ、藍子は観覧をためらった。ライブには駿も来るだろうし、たやすく駿と寝た自分はもうビュレットナイトに関わる資格はないと思っているからだ。

「じゃあ、これ」

清彦はチケットを差し出した。藍子は受け取らない訳にはいかない。最後だから見に行くか。そう自分に言い聞かせ、財布からチケット代を出した。清彦はその手を押し留め、

「お金はいいから。藍子に来てもらいたいだけだから」

と急いた口調で言い、藍子に金をしまわせた。その勢いで清彦は言う。

「ずっと藍子に謝りたかった。藍子がずっとそばにいてくれたのにあんな事をして」

あんな事とは、皆まで聞かずとも藍子には分かる。麗華に気持ちを移した事だ。清彦が胸襟を開いた以上、藍子も自分の気持ちを言わざる得ない。藍子は俯いて、涙を堪えながら

「私がどんな気持ちで二人の付き合いを見ていたか」

とだけ言った。

「そうだよね。俺が愚かだった。でも、今は藍子がいないと・・・・・。俺、いつも藍子を探してしまう。今日だって、藍子をずっと探していて、やっとこうして謝ることが出来た。俺、もう藍子がいないと本当に駄目なんだ」

自分の気持ちを受け入れてくれ、清彦は藍子に哀願した。

「もういいよ」

藍子は優しく言って、清彦の手の甲に触れた。白く、柔らかな手だった。清彦は自分の指を藍子の手に絡ませる。藍子の胸は轟く。式典が終わり、卒業生達が会場から出て来た。知り合いの顔を見つけると二人は指を離し、

「じゃあまた後で」

とまるで恋人同士のように顔を寄せてささやき合い、別れた。

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