秘密が多い女
清彦は強烈な吐き気で目を覚ました。夜明け前の淡い光が清彦の部屋を青く染めた。窓の外から雨音が聞こえた。スーツは乱暴に脱ぎ捨てられ、ジンの空の瓶が床に転がっている。
清彦は自分の手を見た。麗華の首を絞め上げた感覚がまだ残っていた。手の甲には麗華の爪痕まである。
清彦は急いで上半身を起こした。俺は麗華を殺したのか?清彦は吐きそうになりトイレに駆け込んだ。胃から苦い液体が出て来た。公園の横で麗華の首を絞めた所までは覚えている。清彦は近づいて来る足音に驚き麗華を離して逃げ出したような気がするが、それは夢なのか。現実は麗華が呼吸を止めるまで首を絞め続けたのか。
逮捕されて醜く太った中年男になるまで獄に繋がれるかも。殺人者になった今は父の後を継ぎ会社を経営するなど夢のまた夢だ。自分が社長になれば麗華を社長夫人にして、世界中の誰よりも彼女を幸せに出来たのに。
机には分厚い指輪のカタログが載っていた。清彦はそれを手に取ると、造り付けのクローゼットに思いっきり投げつけた。
麗華。麗華の事を考えると涙が出て来る。俺はあんなに愛していたのに、麗華は平気で他の男と、しかも外国人の男と寝ていたと言うわけか。なんとなく隠し事が多い女性だとは気づいていた。それでもこんなに心を動かされた女性は麗華ただ一人だ。そしてこの先も麗華以上に誰かを愛せないだろう。
俺は麗華を殺せば良かった。いや、多分殺した。麗華を殺して俺は永遠を手に入れたんだ。俺が牢屋に入るように、麗華も永遠に俺の手の中にいることとなった。麗華をどこにも行かせない。俺ならばもうどうなっても良い。逮捕されても、このまま死んでも。清彦は投げやりな気持ちで再び床に寝転がった。
清彦は昼も夜も分からない生活を送った。空腹を覚えると冷蔵庫に残っていたビールを飲み干した。携帯電話やメールの着信音が鳴る度、清彦は心のどこかで麗華からではないかと期待してしまう。しかし表示はバンドのメンバーや面接を受けた企業だ。清彦は携帯電話を放り投げた。考えるのは麗華のことばかりだ。麗華の瞳、唇、細くて白い体、髪の毛の匂い。「清君」と呼びかける優しい声。二人きりの部屋での抱擁、愛撫。
でもそれは麗華の一部の顔だ。イタリアの男とはどんな風に過ごしていたのだろう。当然会話は全てイタリア語だ。ベッドの上でも。イタリア語で麗華は自分の欲求を訴え・・・・・。
清彦は涙を止める事が出来ない。
「嘘つき女。くそビッチ」
清彦は麗華を蔑む言葉を口にした。麗華、それでも麗華を愛している。清彦は友人から土産としてもらった泡盛の瓶を開けて、らっぱ飲みに喉に流し込んで涙に溺れた。
携帯電話の充電が切れたのかもはや着信音は鳴らなくなった。何度か来客があったがそれも無視した。
「清彦、開けて。清彦、清彦!」
清彦を呼ぶのはマリイの声だ。清彦は練習にも行っていない。彼は応答しなかった。そのうちドアを叩く音が激しくなり、
「おい、清彦いるんだろう!開けろよ、開けろ!」
とマリイが男言葉で怒鳴り始めた。清彦はもはや酩酊状態で玄関まで歩くことさえ出来ない。清彦は玄関に背を向け、再びまどろみの中に落ちて行った。
どのぐらい時間が経ったか、また玄関のチャイムが鳴った。ドアの向こうが嫌に騒がしい。やがて扉が開き、
「ちょっと!どうなってんのよ!」
とマリイが叫ぶ声がする。
「おい、清彦、大丈夫か?」
「救急車呼ぼうか?」
駿と芸名ジョニーの声も聞こえて来た。
「あーあー、吐いちゃったみたいですねぇ」
不動産屋が困惑した声を出す。四人は乾いた吐瀉物を避けながら部屋に入り、カーテンと窓を開けた。日差しが眩しく、清彦は目が開けられない。泣きすぎて目が痛かった。
「少し水でも飲め」
駿がコップに注いだ水を持って来た。清彦はコップを受け取らず、目を閉じたまま
「俺が、麗華を、殺した」
とだけ言った。
「あんた、何言ってんの?」
マリイが怪訝な顔をした。
「親御さんに連絡します」
不動産屋は電話をかける為に玄関から出て行った。




