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藍子の武者修行  作者: 山口 にま
第五章
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ミクロの世界を生きる二つの細胞

夏の終わり、大悟は藍子を花火大会に誘った。藍子は浴衣を着て行こうか迷ったが、大悟とはそこまでの関係ではないので、夏らしいノースリーブのワンピースにした。楓に駄賃を渡して弁当を作らせる。

「量を多めに。唐揚げとか食べやすい物を」

藍子のリクエストに応えて、楓はずっしりと重い重箱を藍子に渡す。

途中の駅で待ち合わせ、二人は埼玉県の花火会場に向かった。大悟も家から直接来たのか、いつものような合気道の道具を持っていない。並んで歩くと大悟から洗濯石鹸の清しい匂いがして来た。合気道以外で大悟と出かけるのは初めてだ。

河川敷にレジャーシートを敷き、座った。

「お弁当を持って来たよ。食べながら見よう」

藍子は弁当を広げる。

「お、美味そうだな。藍子が作ったのか?」

「・・・・・妹が作った」

「あはは、とにかくありがとう」

同じような会話を清彦とも交わした事を藍子はふと思い出す。うまいうまいを連発して大悟は唐揚げや煮卵を口に運んで行く。

やがて花火が始まった。二人は歓声を上げた。途中藍子は虫除けスプレーを大悟の腕や首筋にかけてやった。いつしか二人の肩は触れ合っていた。

意識した事もなかったが、大悟とは男女なのだ。藍子は自分の中の卵巣と、大悟の精巣を考えてしまう。二つの器官の中で細胞は相手と結びつく事を望んでいる。二つの器官は今や三十センチと離れてはいない。こんなに近くにいる二つの細胞。しかしミクロの世界に生きる細胞達にとって二人の距離は果てしなく遠かった。

柳と呼ばれる、高空から光の筋が垂れ下がる花火が続く。藍子は駿と過ごした夜をまざまざと思い出し、苦い気持ちになる。本来ならば結合するはずもなかった男女。愛情なんかなくてもセックスは出来る。なんて簡単なんだろう。簡単?じゃあ大悟とも?藍子は横目で大悟を伺う。大悟は綺麗だなと言いたげに藍子に微笑みかけた。藍子は微笑みを返し、大悟から体を離した。


クライマックスは色とりどりの速射連発だ。大悟の白いシャツに花火の色が映った。腹に響くような炸裂音を残し、花火は終わった。

「あーあ、終わっちゃった」

藍子は立ち上がり、伸びをする。

「毎年八月の花火が終わると夏が終わるんだと実感する」

大悟は言った。今年の夏は散々だった、藍子はそう思うも口には出さなかった。


早くも土手には駅に向かう人の列が出来ていた。

「空いてから行こうか」

大悟は提案する。そうだねと藍子は答え、再びシートに腰を下ろした。

藍子は残っている酎ハイを飲みながら、聞いた。

「明日も稽古?」

「うん。他の大学の合宿に参加させて貰うんだ」

「主将になると大変だね」

「別に俺だって主将になりたかったわけじゃない。天水先生が部を立ち上げろって言ったから」

とここでも天水の名前を口にするのだった。藍子は

「自分で言うのも何だけど、私達って良い弟子じゃない?何でも天水先生の言う事に従ってさ」

と言う。

「そうだよ。俺は先生の前ではハイしか言わない。先生に言ってやりたいことは山ほどあるがな」

と頬を膨らませて不満を漏らす。藍子は笑って、

「天水道場って家みたいだね」

「家?」

「お父さんが天水先生で、美紀先生がお母さん。門下生は子ども」

「で、子ども達は頑固親父の雷に怯えながら言う事を聞くというわけか」

「昭和だね」

「ま、いつかはこの家から出なくちゃいけないかも知れないがな」

「え、そうなの?」

「就職とかしたら今まで通りじゃいかんだろう」

藍子はふと大悟の進路が気になる。

「大悟は大学を出たらどうするの?」

「警察官になりたい。へへ、ガキの夢みたいだがな」

大悟は照れて笑った。

「そんな事ないよ。大悟ならば運動神経もいいし、きっと警察官になれるよ」

それに彼はなんだかんだと人の世話を焼かずにいられない性分である。藍子は今から制服に身を包んだ大悟を想像できてしまうのだ。

「志穂ちゃんみたいな女の子が安心して暮らせるような世の中にならないかなーって思ってな」

「私もそれ考えた!」

「藍子も警察官になるか?」

「うーん、勿論就職はするよ。でも特別やりたいことってないんだよね。ただ定年まで正社員で働きたいなぁ。誰かに扶養されるなんてごめんだよ」

藍子は祖父の敬三を念頭に置いて言った。敬三は藍子の両親を金の力で押さえつけているのだ。それを見て育った楓は自立心を全く持ち合わせない高校生になってしまった。

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