自分を汚して
藍子は物凄く酔っている。時計が十二時近くなって来ると、駿の目付きが優しく、藍子を包み込むような色に変わってきた。中央線はまだ辛うじて動いている。
「そろそろ帰ろうかな」
藍子は立ち上がった。駿は道着の入ったバッグを持ってくれた。割り勘で会計を済ませ、店を出ると駿が藍子の肩を抱いてきた。
てめえ何しやがる。藍子は駿の顎を掌で押しのけることは出来た。しかしそうはしなかったのは、駿に体を触られて、その温もりが心地良かったからだ。私の清彦さんへの気持ちは好きとか憧れるとかではなく、単に男が欲しいと言う願望、もっと単直に言えば性欲なんじゃないかと藍子は思いつく。
であるならば性欲さえ満たされれば清彦への執着は消える筈だ。男の体を持っている者はすぐ隣にいる。男も私の中に遺伝子をばら撒く事を望んでいる。
じゃあやるか。こいつと交わることで苦しみが終わるならば手っ取り早い。
藍子は誘われるまま駿のアパートに向かう。駿のアパートはすぐそこだ。アパートに連れ込む為に私を荻窪に呼んだのではないかと藍子は勘ぐる。
藍子には初めての性体験だった。ワインの飲み過ぎで少しの振動でも吐きそうだ。これはベッドの上の格闘技だ。藍子の上で駿がやたらと息を弾ませている。不快だし下半身は痛いし、藍子は顔を背けて歯を食い縛り続けた。
「痛い?」
駿の問いに藍子は不機嫌な顔で頷く。それでも駿はやめなかった。藍子はかつて田舎で見た野良犬の交尾を思い出す。あの時はメスが嫌がってギャンギャン鳴いていた。今藍子がしているのは犬の交尾と同じだ。たまたま雌雄が一緒にいると言う理由で交わっている。愛とか慈しみなんてまるでない。
互いの体を離した後、藍子は堪らずトイレで吐いてしまった。吐くような女を抱いてお気の毒だ。藍子は口をすすぎながらベッドにいる駿を思いやった。
翌朝、藍子は朝食も食べずにいとまを告げた。駿は辛うじてトランクスだけを履き、
「もう帰っちゃうの?」
と玄関で藍子を押し留めた。
「親が心配する」
藍子は言い訳した。
「こんな事になって、本当にごめん。でも俺、遊びとかじゃなくって・・・・・」
「もういいから」
藍子は駿のアパートを飛び出した。
帰宅してトイレに入ると、下着に血が付いていた。その血を見ていると、色んな感情が湧き出て来た。
こんな汚らしい事をした以上もう清彦さんとは会えない、藍子はまずそれを考えた。
マリイは麗華がバンド内の和を乱す事を恐れていたが、何のことはない、藍子自身がバンド内の男と関係してしまったではないか。本命に振り向いてもらえなかったから二番手の男と寝る。尻軽なグルッピーそのものである。
駿に満たして貰ったから、清彦への執着が消えたか?いや、男女が二人きりになるとどんな事をするのか、藍子は身をもって知ってしまった。では清彦と麗華も裸になってあんな事をしていると言うのか。二人は美しい体と体をぶつけ合い・・・・。藍子は想像すると心臓がえぐられる思いがする。しかも愛し合う二人の営みは、藍子と駿のそれとは違う。互いに求め合い、相手を慮り、言葉で表現しきれない愛情を体で確かめるのだ。苦しみから解放される為に駿と寝たと言うのに、余計悩みが増えた。藍子は頭を抱え込む。
藍子は駿と寝た事をひどく後悔しているが、その反面これで良かったんだとも思う。ここまで自分を汚さなければ清彦を諦められなかった。自分はもう清彦の前に立つ資格はない。もう追いかけてはいけない。藍子は自分は良家に生まれ、清彦と釣り合いが取れていないこともないと自負していたが、真に躾に良い子女ならば、酒に酔っ払って男に体を許すことなどないはずだ。清彦との結婚を考えるなど片腹痛い。
駿から電話がかかって来たが、藍子は出なかった。清彦にもバンドのメンバーにも合わせる顔がない。広い背中、長すぎる足、でも振り向くと笑顔があどけない、そんな清彦のことが藍子は本当に好きだった。




