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米給え、銭も欲し

 ながきよの 十のねぶりの 皆目覚め 波乗り船の 音の善き哉

 (ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな)


回文の和歌として最も知られた一首。

その成立は鎌倉時代とされるが、作者は定かではない。

「何故、俺が年下のお前に米の無心をせにゃならんのだ」

 私が主にした嘘話について兼好は怒っている。実は兼好の方が私より四,五歳ばかり年上なのだ。



 この件について後に私、頓阿が書く『続草庵集』に次のようにある。


    世中しづかならざりし比、兼好が本より、よねたまへ、ぜにもほし、

    といふ事をくつかぶりにおきて

よもすずし ねざめのかりほ たまくらも まそでも秋に へだて無きかぜ

    返し、よねはなし、ぜにすこし

よるもうし ねたくわがせこ はては来ず なほざりにだに しばしとひませ


 ここには沓冠くつかぶりという技巧が仕掛けてある。沓冠は今で言うダブルアクロスティックである。

各句の冒頭一字、末尾一字に注目して欲しい。


よ もすす   し

ね さめのかり ほ

た まくら   も

ま そてのあき に

ヘ たてなきか せ

        (兼好)


よ るもう   し

ね たくわかせ こ

は てはこ   す

な ほさりにた に

し はしとひま せ

       (頓阿)


 兼好の歌には「米たまヘ、銭も欲し」

 つまり

 「米をください、お金も欲しいです」

 私の歌には「米はなし、銭すこし」

 つまり

 「米は無いです、お金を少しあげます」

 そういう内容が隠されているのである。


 ところが、これは全部ウソなのである。実際にはそんなやりとりはしていない。すべては私の創作である。


「嘘も方便。為世様に沓冠くつかぶりの事を知っておいていただく必要があったのだ」

「しかし、何故に米の無心出会ったのだ?」

「米を無心することは恥ではない―――――」

 私はそう言って暁月坊きょうがつぼうの話をした。



 暁月坊こと冷泉為守れいぜいためもりは我らが主、為世の叔父に当たる。


『きのふはけふの物語』に次の一節がある

  定家の卿の弟きやう坊、事の外不辨、其年のくれに定家の卿へ讀つかはれける。

    きやうがつが師走のはてのからいんぢ年うちこさん石ひとつたべ

  返し、  定家が力のほどを見せんとて石を二つにわりてこそやれ

   此れ返歌に、米一俵そへて、つかはれけるとぞ。


 意味は次の通り。


 藤原定家の弟、暁月坊が非常に窮乏し、暮れに定家に歌を送った。

    暁月きょうがつに石ひとつくれもう米が無しの礫になりて年末

 返歌には 定家さだいえの力を見せん年ごとに割りてこの石ほれ真っ二つ

  そして歌には米一俵が添えられていた。


 かつて年越しの祝いに石を投げ合う風習があり、それを印地打いんぢうちと言った。その時に投げる石が手元に無いのが空印地からいんぢである。暁月坊は自らの窮乏をその状態に喩えて、石をひとつ呉れ、つまり米を一石いっこく呉れと言ったのだ。

 それに対して定家は米一俵を送った。一俵の量はだいたい五斗でこれは一石の半分である。


 この話には幾つか間違いがある。まず暁月坊は定家の弟ではなく孫である。

 実際に暁月坊が歌を送った先は時の鎌倉幕府執権北条貞時であったし、米を届けたのは貞時の御家人であった私の父二階堂光貞であったし、返しの歌をつくったのは私であったのだ。

 実は私の当時の主、北条貞時はこの返歌を大変喜び、幼い私に二階堂貞宗と偏諱をくだされたのである。


 しかし、後世に定家と暁月坊が比較されたことには意味の無いことではないだろう。

定家は有心体うしんていとよばれる表だった和歌の体系を完成させた人物であり、暁月坊は無心体むしんていと呼ばれる裏の和歌を象徴する人物だからである。


 その後、表の和歌は我らが主の二条為世様が継いでいる。

 裏の歌道には表には無い秘めた力がある。裏の和歌を継ぐ者は私しか居るまい。そう思い、暁月坊を深く私淑してきた。


 昨年1328年、暁月坊が亡くなり私は深く悲しんだ。


 彼の辞世は『風雅和歌集』に次の通り書かれている。

   病かぎりに侍りける時、かきおきける

     六十むそぢあまりとせの冬のながき夜にうき世の夢を見はてつるかな


 “うき世の夢を見はてつる”確かに出家した者は輪廻を嫌い解脱を望むものであるが、暁月坊ほどの者がこの世界から消えて無くなることは大きな損失であると私は思う。

 私は彼の復活を祈って呪を込め、暁月坊の辞世を用いた廻文哥を各地の寺社に納めた。


 ながきよの 十のねぶりの 皆目覚め 波乗り船の 音の善き哉

 (ながきよのとおのねぶりのみなめざめなみのりぶねのおとのよきかな)


 廻文哥は回文の和歌だ。清濁の違いを無視すれば頭から読んでも尻から読んでも同じになる和歌である。

 その名の通りめぐる文であるから暁月坊の魂が輪廻して戻ってくると信じたのだ。

 よく「十の眠り」の意味が不明だと言われるが、これは暁月坊の享年が六十四であることから六と四を足したのである。


「お前が暁月坊を慕っていたのはよく知っている。しかし、何故に―――――」

 兼好は未だ訝っている。


 表の和歌。裏の和歌。

 廻文哥に呪をかけること。沓冠くつかぶりの暗号。

 これらがどんな意味を持っていたのは次の話でわかる。


ちなみに

兼好(1283頃~1350頃)

頓阿(1287~1372)

冷泉為守(1265~1328)

建武の新政(1333)


次はいよいよハイライト!

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