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もうひとつの暗号

疾く立たじ里の篁雪白し消ゆらむ方の閉ざしたたくと


これは実際に頓阿の作として残っている和歌である。

しかしこれが暗号であることを指摘したのは私が初めてであろうし、

その影にこんなドラマが隠されていたなんてことは誰も知るまい。

回文が歴史を動かしたかもしれない そんなエピソードである。

 相変わらず世の中は荒れまくっている。


「ひ、彼岸に至る道とは?」

 我が草庵に飛び込んで来るなりそう発したのは我ら和歌四天王の一人で青蓮院しょうれんいん法印の息子、慶運けいうんである。

「分かっている。答えは“言葉に出来ない”であろう」と、私は答える。


 彼岸に至る道とは仏道修行のことであって布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六理念から成り立ちこれを“六波羅蜜”と言う。そして六波羅蜜は不立文字ふりゅうもんじと言って言葉で説き教えることのできないものだとされている。


 天台宗である慶運が時宗の私に禅宗のような問答を仕掛けてきたのには、裏の意味がある。

 “六波羅蜜”“言葉に出来ない”

 六波羅蜜は、六波羅見つ。つまり「六波羅探題が見張っていた注意しろ」ということである。それに対して、「大丈夫、私は余計なことは言わないよ」と返したのだ。


 六波羅探題ろくはらたんだいは、鎌倉幕府が京都六波羅の北と南に設置した役所で京の警備・朝廷の監視・西国の軍事行動・寺社への圧力がけなどを行っている。

 1221年の承久の乱以後、幕府がそれまでの置いていた京都守護職を改組したもので、単に六波羅と呼ぶことも多い。近隣には空也上人が建てた六波羅蜜寺がある。


 その六波羅が私を見張っている理由。それは私が幕府の情報を朝廷方に流さないようになのだ。


 私の出自、二階堂家は藤原南家の末裔。源頼朝家政所執事となった二階堂行政から以後代々鎌倉幕府の執事をつとめた家系である。父や親戚も多くは幕府御家人で、故に鎌倉からの情報は色々入ってくる。


 その情報を喉から手が出るほど欲しがっている人が居る。我らが主、二条為世にじょうためよである。


 彼が特に気にしているのは尊良親王たかよししんのうの事だ。

 後醍醐天皇の第一皇子で、二条為世の娘、為子の子である。つまり主にとって外孫そとまごとなる。

 我らが主は宮中での身分は高くない。中の下くらいだ。で、あるからその娘が第一皇子を設けたのは物凄い名誉であるし、今後の出世の糸口として大いに期待していた。

 

 しかし1331年、後醍醐天皇が「元弘の変」を起こし、それに失敗する。尊良親王も父と共に行動し幕府方に捕らえられていた。

 幕府はその後、父の後醍醐天皇を隠岐島へ配流した。

 肝心の尊良親王にはどのような処分がくだされるのか。恐らく流刑であろうが、いつ、どこに流されるのかを為世は知りたがっていたのである。


 私は当然ながら、それを知っていた。問題はそれをどうやって主に伝えるかである。今回の件では宮中にも裏切り者は多く、また、六波羅も各所で検問検閲のようなことをしているようだ。



 それを考慮しつつ、私は急いで書状をしたためる。


「慶運、これを為世様の元に届けてな、“斯様なご時世ではありますが、良き廻文哥ができました。廻文哥は珍しき故、是非に添削していただきたくお持ちいたしました”その様に言って呉れぬか」

「しかし、途中で……」

「誰に覗かれても構わぬ!」私は力強く請け合った。


 慶運が立ち去ったのにうち続いてばらばらとそれを追いかける音がした。六波羅探題の奴らであろう。

 六波羅めが四天王しゃれたことだ。六波羅蜜寺には著名な四天王像が安置されているのだ。



 この時に私が書いた書状には歌が一首のみ。それは次の通り。


「疾く立たじ里の篁雪白し消ゆらむ方の閉ざしたたくと」

(さっさと出発するのはやめよう。里の竹林には雪が白く残っているから。雪や人が消えていった方の戸があればそちらを訪ねてみることにしよう。)


 これは頭から読んでも尻から読んでも同じ仮名の並びとなった和歌、廻文哥だ。廻文哥はそれだけで相当に凝った技巧と言える。殆どの者はよもや更なる暗号が隠されていると思うまい。


 しかし、私はもう一つの技巧、沓冠くつかぶりを用いていたのだ。沓冠は各句の頭字末尾に言葉を隠すダブル・アクロスティック。

 そしてあらかじめウソの話をして為世様にその事を印象付けていた。何としても情報を得たい為世様は必ず送られた歌の沓冠に暗号が無いか確かめるであろう。


とくたた  じ

さとのたかむら

ゆき  しろし

きゆらむかたの

とざしたたくと


 そこに私は“と・さ・ゆ・き・と・と・の・し・ら・じ” 「土佐行きと殿知らじ」と隠したのだ。


 元弘二年こと1332年の三月、尊良親王は土佐に配流された。その出立は早くなく雪解けは待たれたのだ。

 土佐は現在の高知県である。今昔変わらず、寂れた流謫の地だ。しかし、為世様はいち早く策を打っていた。

 その為、尊良親王は土佐から九州に脱出できた。私が和歌で示したとおり雪の消える方、南方に伝手を求めたのである。


 その後、尊良親王は九州の大名らも取り込み再び父とともに乱を起こす。そして北条氏や六波羅探題を滅ぼす。その後がかの「建武の新政」である。


 私、頓阿はまたも廻文哥、「廻り来る歌」に呪を込めた。

 尊良親王が再び廻り来るように。時代が再び廻り来るようにと。

 そして、それが叶ったのである。

ストーリーはもう少し続きます。

古今伝授の話とかを二話くらい書く予定です。

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