6・行く手を阻むもの
出発当日、ルミは大きなリュックを持ち、家の前に立っていた。
両親には則夫とのデートだと念を押してあり、則夫に対しても、出かける前にルミと同じ理由を両親に告げて家を出るようにと、事前に伝えていた。則夫の父親は地元消防団の幹部をしているので、事前に理由を告げておくことで消防団の警戒を解こうとする意味もあった。実際、ここ数日、消防団の赤い車が家の周りを音を立てながら何度も旋回していた。おそらく信介が手を回したのだろう。この中をかいくぐって集落を飛び出すのは、相当な難行のように感じた。
しばらくすると、エンジン音を立てながら則夫のバイクが姿を見せた。則夫は黄色い大きなスマイルマークが入ったTシャツと裾が広がったジーンズを着込み、首には赤いスカーフまで巻いていた。ルミに笑われないよう、彼なりに相当気合を入れてお洒落してきたようだが、タイトな造りのTシャツとジーンズは貧相な則夫の身体にはあまりにも不似合いで、ルミは口に手を当てながら思わず声を出して笑ってしまった。
「お待たせしました。さ、後ろに乗ってください、未来の大女優様!」
「アハハハ、大女優か。なれたらいいね」
ルミは笑いながらバイクの後部座席にまたがった。
「ところで、どこに行きますか……まだ行き先、決めてませんでしたよね?」
「そうね。とりあえず、駅までお願いできるかしら」
「駅? そこで一体何をするつもりで?」
「訳は後で話すわよ」
「それと、もう一つ気になるんですが……ルミさんの背負ってるリュック、デートに持って行くにしちゃ随分大きいですね。登山にでも行くつもりなんですか?」
「それも後で話すわね。さ、早く出発してちょうだい」
則夫は何度も首を傾げながらハンドルを握り、エンジンをふかした。青い苗が揺れる水田の中を突っ切るように通る田舎道を、バイクは一気に駆け抜けていった。ルミは時々周囲や背後を気にしていたが、誰も追手はおらず、このままいけば無事に駅に到着できそうな様子だった。ほっと胸を撫で下ろしたその瞬間、前方から則夫の声が聞こえた。
「あの、そろそろ話してください。一体どこに行くつもりですか? そして、そのリュックには何が入っているんですか?」
「実は私、これから映画の撮影のため、京都に行くのよ」
「……やっぱり、そうだったんですか」
「だって、うちのお父さんが許してくれないんだもん。則夫さんのお父さんも消防車回してたでしょ? あれは、私がこの町を勝手に出て行かないように監視するためだからね」
「……」
その時則夫は突如バイクを止め、数秒後には旋回して今来た道を再び戻り始めた。
「え? どこに行くつもり? 駅はこっちでしょ?」
「戻ります。ルミさんの家にね」
「バカ言わないでよ! 私の家に行ってどうするつもりなの?」
「説得するんですよ。ルミさんのお父さんを」
「そんなことできるわけないよ。ねえ、お願い、このまま駅に行ってちょうだい。今日中にこの町を出ないと、明日の撮影開始に間に合わないのよ!」
しかし則夫はルミの声に一切耳を貸さず、バイクを飛ばしてそのままルミの家に突入していった。家の庭には、ちょうど畑から帰ってきた信介の姿があった。
信介は真っ黒に日焼けした顔をタオルで拭いながら、何事かという表情でバイクに近づいてきた。
「どうしたんだ、お前ら。デートに行ったんじゃねえのか?」
「違います。ルミさん、嘘をついていたんです」
「な、何だって?」
信介は則夫の言葉を聞いて激高し、持っていた背負いかごを地面に叩きつけた。
「ルミさん、明日から京都で撮影があるそうです。でも、お父さんが許してくれないから、僕に嘘をついて駅に向かうつもりだったそうです」
「そうだったのか……ルミ、どういうつもりだ、嘘をついて裏をかこうとは、大した度胸じゃねえか!?」
信介は腰に手を当て、次第に語気を強めた。
「ごめんなさい。でも、こうでもしないとこの家を出て行けないと思ったから」
ルミは深々と頭を下げた。すると、ルミの隣に則夫が立ち、横一線に並んで一緒に頭を下げ始めた。
「僕はルミさんの夢を心から応援したいんです。ここに戻ってきた理由は、僕も一緒にお父さんに頭を下げようと思ったからです。ルミさんに何か問題が起きたら、僕も一緒に責任を取るつもりです。ですから、お願いします……行かせてあげてください!」
信介は眉間に皺を寄せ、無言で二人の顔を見回していたが、やがて舌打ちし、吐き捨てるように「勝手にしろ」と言うと、ズボンのポケットに手を突っ込んで機嫌が悪そうな素振りを見せながら、そそくさと家の中へと戻っていった。
「ありがとうございます!」
則夫は信介の背中に向かって大声で礼を言うと、指で鼻を擦ってはにかみながら、ルミの方へと向き直った。
「さ、行きましょうか。次の電車までもう時間が無いですからね」
則夫は再びエンジンを回し、さっき通ってきた道を再び駆け出して行った。
二人の目の前の空は真っ青で、白い雲がもくもくと煙のように上空へ向かって湧き出していった。
「……則夫さん、ありがと」
「いえいえ。ルミさんの夢のために、僕なりに出来ることをしただけです。ところで、いつこちらに戻ってくるんですか?」
「十日後……かな」
「わかりました。じゃあその日、駅までルミさんを迎えに行きますから」
則夫の言葉を聞き、ルミは則夫の背中に摑まりながら感極まって、目元から涙が流れ落ちた。
「則夫さん」
「何ですか?」
「ごめんね。京都から帰ってきたら、今度は本当にデートするからさ」
「ありがとうございます。楽しみにしてますよ」
則夫はそれだけ言うと、その後は何も言わずに運転を続けた。
いつも頼りなく失笑を買うことばかりやらかして、恋愛対象とは一度たりとも思えなかった則夫の背中が、初めてとても頼もしく、ずっとこのまま寄り添っていたいと感じた。




