3・心が動いた瞬間
夏休みが始まってすぐの土曜日。ルミは照代と「蜥蜴」というアングラ劇団の舞台を見に来ていた。
照代は紫色の布地に白い渦巻き模様が描かれた絞り染めのシャツに黒のベルボトムという、さながらヒッピーのような出で立ちだった。いつもの清楚なセーラー服と違った照代の服装にルミは驚いていたが、一方の照代もルミを見ながら心配そうな顔をしていた。
「ルミ、どうしたの? そんな可愛い花柄のミニワンピースなんか着て……デートに行くわけじゃあるまいし」
「どうして?」
「だって、『蜥蜴』の舞台って、狭いテントの中で観客がぎゅうぎゅう詰めになって観るから、混雑に紛れてルミの脚に触る人達とかいるかもよ。それに観客は私みたいな怪しげな演劇ファンが多いから、そんな恰好していたら逆に目立つわよ」
「そんなに凄いの?……やだ、私、一人だけ目立ってたらどうしよう?」
照代は口元を押さえてクスクス笑いながら、ルミを置いてけぼりにするかのように早足で街の中を駆け抜けていった。
やがて官公庁やデパートなどが建ち並ぶ一角に、芝生が広がる大きな公園が見えてきた。普段は町のオアシスとしてサラリーマンや学生がベンチに座ってくつろぐ場となっているこの公園に、不気味な雰囲気を醸し出している紫色のテントが立ち上がっていた。
テントの入り口では頭にペイズリー柄のバンダナを巻き、紫色のスモックを着た若い女性がチケットの半券をもぎり、今日の公演のパンフレットを配った。
テントの上部には数個の照明が取り付けられ、テントの内側は照明からのわずかな光にうすぼんやりと照らされていた。
椅子は無く、観客はゴザのような敷物の上で膝を抱えながら座っていた。
テントの中は照代が言うほどぎゅうぎゅう詰めではなかったものの、おかっぱ頭で太い黒縁の眼鏡を掛けた文学青年風の男性や、全身黒づくめでサングラスをかけた女性など、見た目からして癖の強そうな観客が多かった。
やがてテント内の照明が消えると、怪しげな旋律を奏でる笛の音と打楽器の音が鳴り響き、ハモンドオルガンに合わせて女性の不気味な歌声が場内を包み込んだ。
すると、舞台の袖から銀色に染めた長い髪を振り乱しながら顔に厚化粧を施した女性が登場し、スポットライトに照らされながら奇声を発して舞台を所狭しと駆け回っていた。もう片方の袖からは、顔が焼けただれて体中に包帯を巻いた負傷兵の男性が登場し、両手を震わせてだみ声を振り絞りながら女性に助けを求めていた。しばらく沈黙が続いた後、オルガンに合わせてカラフルな衣装をまとった蝶役の女性たちが二人の周囲をぐるぐると旋回しながら、耳をつんざくような声を上げて賛美歌を唄っていた。
「どうしよう、照代。私、怖いよ……」
「大丈夫、見ているうちに不思議と平気になってくるから」
「でも、舞台も音楽も照明も、おどろおどろしいし気持ち悪いし……」
「ルミ、舞台装置でなく役者の演技に集中しなよ。演じてる人たちを、よーく目を凝らして見てごらん」
照代は目配せすると、再び舞台に目線を向けた。
次々と繰り出されるあまりにもシュールで理解不能な演出は、ルミには直視できない程衝撃が強すぎた。しかし、照代の言葉を信じて視線を役者の顔や一つ一つの動作に集中させるうちに、最初の印象が大きく変わってきた。どの役者も、自分の中にあるものを全て出し切るかのように全力で演じていた。体をかがめて絞り出すように声を出し、顔を思い切りしかめて泣き、白い歯を剥き出しにして大笑いし、顔をしわくちゃにして鬼気迫る表情で叫び――演者たちは、ありのままの人間の感情を全て舞台にぶつけているように見えた。
舞台が進むうちに、ルミは演者たちの全身全霊の演技に心が鷲掴みされ、そのまま持ち去られるかのような錯覚を覚えた。
舞台が終わると、照代は立ち上がり、ルミのワンピースの裾を引っ張った。
「ルミ、何ボケっとしてるのよ。これから役者さん達にサインもらいに行こうよ。ほら、他のお客さんもどんどん控室の方に向かっていくでしょ?」
照代に急かされながら、ルミはテントの奥へ続く長い列に並んだ。だいぶ長い時間並んだ気がするが、やがてルミの視界には「蜥蜴」の団長である藤龍之介と、専属女優で、龍之介の内縁の妻との噂がある女優、内村真理子が並んで座る姿が入ってきた。白髪交じりの長い髪を首の後で縛り、髭だらけの顔をくしゃくしゃにしながら笑う龍之介と、天地真理のようなウルフカットの髪型とアングラ劇団らしからぬ可愛らしい顔立ちの真理子は、観客ひとりひとりと劇の感想を楽しそうに話し合っていた。
目の前に並んでいた客がテントの外に出て、ついにルミと照代の番が回ってきた。
「お疲れさまでした。最高の舞台でした!」
照代はサイン用の色紙を鞄から取り出すと、二人は快く受け取り、連名でサインを書いていた。
「二人とも若いね。大学生?」
「いえ、高校生です。地元の学校に通ってます」
「へえ、高校生でも僕らの小難しい劇を見てくれるなんて、嬉しいね」
照代と会話する龍之介は、演技中と全く違って気さくな雰囲気が漂っていた。
照代は自分の気に入った場面とこれからのスケジュールについて、まるで長年の知人と話しているかのように龍之介と楽しそうに話し込んでいた。
それを真横で観ていたルミは、この二人ならば今の自分が感じていることを素直に話しても大丈夫そうだと感じた。
「隣の子はお友達?」
「そう、ルミっていうんです。同級生なんですけど、うちのクラスじゃ一、二を争う美人なんですよ」
「ほう、確かに綺麗な顔をしているね」
龍之介は興味深そうな様子でルミの顔を覗き込んだ。
「ねえルミ、せっかく龍之介さんが目の前に居るんだから、何かお話したら? もったいないよ。わざわざ東京からこんな田舎に来てくれたのに」
照代に背中を押されたルミは、意を決して口を開いた。
「あの……お話したいことがあるんですけど、いいですか?」
「何だい? 気にしないで話してごらん」
「私、今日の舞台を見て、自分でも演技してみたいなって思ったんです」
「ほう」
龍之介は腕組みしながら、目を細めて何度も頷いていた。一方、照代はルミからの思いもよらない言葉に驚きを見せていた。
「だったら、うちの劇団に付いて行くかい? これから仙台と盛岡に行って、そこから海を渡って北海道まで行くんだ」
龍之介から返ってきた言葉に、ルミは驚いた。たった一度だけ舞台を見て、つい今しがた顔を会わせたばかりなのに、劇に帯同することを許してもらえるなんて、何か夢でも見ているんじゃないかと疑いたくなった。
「ちょっと龍さん、本気で言ってるの?」
隣に座る真理子は、睨みつけながら指で龍之介の手をつねっていた。
「だ、だってこんな若い女の子がいたら、道中も楽しいだろうし、何よりうちの若い男連中が歓喜するだろうよ」
「この子たちはまだ高校生よ? うちみたいな気骨ばった俳優ばかりの劇団に入れるのは早すぎるわよ」
そこまで言うと、真理子はルミの方に向き直り、優しい口調で話しかけてきた。
「ねえ、あなた。うちに入りたいという気持ちは嬉しいけど、ちゃんと高校を卒業して、それでもうちの劇団に入りたいっていうならば、その時また声を掛けてくれるかしら?」
「わかりました。でも……今日の舞台を見て、今すぐにでも演劇をやってみたいなって気持ちになったんです。一度も経験したことないけど、すごく面白そうだなって思ったので。夏休み中でも、ご一緒できないでしょうか?」
「そうね……ならばまずは映画とかドラマのオーディションでも受けたら? 私もあなた位の頃、夏休みを利用してほんのちょい役だけど映画に出て、そこから女優の道に入っていったんだよ」
真理子はそう言うと、笑いながらルミに目配せを送った。
「ルミ、次の人も並んで待ってるし、帰ろうよ」
「うん」
二人はテントを出ると、眩しい夏の太陽が頭上から容赦なく照り付けてきた。
「ルミ、本当に、演劇やるの?」
「そうだよ」
「受験勉強は?」
「気が向いたらね」
「はあぁ? どういうことよ、ルミ!」
「ねえ照代、帰りに本屋に寄っていいかな? 映画やドラマのオーディション情報を調べたいんだ」
ルミは長い髪を風に揺らしながら、慌てふためく照代を尻目に公園の芝生を駆け出していった。




