19・帰り道
いくつもの電車を乗り継ぎ、ルミは実家のある東北の田舎町にたどり着いた。
二両編成の電車に揺られていると、次第に緑に覆われた渓谷や高い山々が身近に見えてきた。出発の日は真っ青だった空は一面厚い雲に覆われ、時折閃光が走り激しい雷鳴が車内にまで轟いた。車窓には大きな雨粒が次々と付着し、その後あっという間に周囲の景色が見えなくなるほど激しい雨が降り出した。耳をつんざくような雷鳴や窓を叩きつける雨音に驚き、車内でも悲鳴が起こっていた。あまりにも危険な状況に電車も途中で停まってしまわないか心配になった。
しかし、ルミが下車する駅が近づくにつれ雨は小止みになり、雲の隙間から青空が見え始めた。とりあえず、駅には無事にたどり着けそうだ。
電車から降りると、大きな水たまりがあちこちに出来ていた。ルミは着ていた緑色のワンピースに水が撥ねないよう気を使いながら慎重に歩き出した。
ルミが駅舎を出ると、目の前には一台のバイクが停まっていた。その隣には、鉛色のヘルメットをかぶり、ずぶ濡れになったTシャツにジーンズを着こんだ少年が立っていた。
「おかえりなさい。迎えに来ましたよ」
ヘルメットを脱ぐと、少年は濡れた髪から水を滴らせながらルミに笑いかけた。
「則夫さん?」
「そうですよ。お忘れですか? ルミさんが帰ってくる日にはここに迎えに来るって言ったのを」
「そうね。確かそう言ってたものね……私、すっかり頭から抜け落ちちゃってたよ」
「どの便で帰ってくるか分からなかったから、とりあえず朝一番目の便からずっとここで待っていました。雨でずぶ濡れになっちゃいましたけど、ルミさんとの約束はちゃんと守らなくちゃと思って」
「もう、駅舎で待ってたらいいでしょ? そういうところが昔から間抜けよね」
「あ、そうだ! アハハハ、言われてみたらそうですよね」
ルミは「相変わらずね……」と呆れ顔で苦笑いしつつ、則夫のバイクの後部座席に乗った。則夫はエンジンをふかすと、一気にスピードを上げて駅から続く山道を登って行った。途中の道路はぬかるみ、水たまりが随所に出来ていた。
「わわっ、何でこんなところに!」
突如、バイクの前方に道路一面を覆うほどの水たまりができており、則夫は声を上げて慌ててハンドルを右に切った。しかし、避けきれないまま車輪は水たまりの中に一直線に入り込んでしまった。その瞬間、大量の泥水が二人の体中に降りそそいだ。
ルミの着ていたワンピースには、沢山の泥が付着していた。
「……ごめん」
「いいのよ。しょうがないよ、これは」
ルミはハンカチで泥を拭き取ろうとしたが、所々に泥が強く染みついてしまい、せっかくの可愛らしいデザインが台無しになってしまった。
「可愛いですね、そのワンピース。ルミさんが自分で買ったんですか?」
「ち、違うわよ。もらったの」
「もらった? 誰からですか?」
「俳優さんよ。同じ映画に一緒に出た人」
「ええ? ほ、本当ですか!」
則夫の視線は、ルミの顔とワンピースを何度も行ったり来たりしていた。
「確かに……あまりにも可愛すぎて、ルミさんがいつも着ている服とは全然違う感じがしましたから、きっと誰かに買ってもらったのかな、と思いました」
「どういう意味よ? それに、私が着てる服をいちいちチェックしてるだなんて、変態じゃないの?」
「い、いや、だって、ルミさんのことは……気にしちゃいけないと思っても、気になってしまうから」
則夫は言葉を詰まらせると、大きなため息をついてルミのワンピースを見つめていた。
「ルミさん」
「何?」
「出発前に、帰ってきたらデートする約束をしてくれましたよね?」
「そうよ。ちゃーんと約束は守るから、心配しないで」
「いや、今すぐでなくても良いですよ」
「はあ? 則夫さん、あんなに楽しみにしていたじゃない?」
「そのワンピースを見たら、今のルミさんは僕とデートしない方が良いなって」
「……」
「デートの約束を果たすのは、本心から僕とデートしたいって思った時で良いです。その方がお互い心置きなく楽しめると思いますから」
則夫はたどたどしい感じで言葉を続けた。ルミは則夫に自分の本心を見透かされたようで、胸が締め付けられるような気分になった。
「ごめんね、則夫さん……実は……」
「いや、良いんですよ、僕がそう思っただけなので。とりあえずデートのことは気にしなくて良いですから、早く帰りましょう。ルミさんも大事な洋服が汚れて気になるでしょうし、早くお風呂にも入りたいでしょうから」
ルミは申し訳なさそうに頭を下げると、ゆっくりとバイクの後部席にまたがった。
則夫はエンジンをかけたものの、タイヤが水たまりの上で空回りし、再び二人の真上に泥が一気に舞い上がった。
「あーもう! また泥だらけになっちゃったじゃない!」
「ごめんなさい、もっと場所を考えてエンジンをかければよかったですよね」
鬱蒼とした林を抜けると、次第に真上に青空が広がり始めた。
眼下には、一面に黄金色に輝く水田が現れた。
「あっという間に、穂が実ったんだね」
「ですね、あと少しで九月ですから。僕の家も早速稲刈りで忙しくなりそうです」
「九月か……夏休みもあと少しで終わりだね。受験勉強、全然取り掛かれてないや」
「ルミさんならば、今から勉強を始めても挽回できますよ」
「いや、そんな簡単に挽回できないわよ。私の同級生はみんな図書館に通いつめたり、塾の夏期講習に行ってるもの。このままだと、多分浪人するかもしれない。でも、今はそれでも良いと思ってる。それに、別に大学に行かなくてもいいかなって」
「どうしてですか? 大学には行きたいって以前僕にも言ってたじゃないですか。お父さんも、ルミさんには大学は出てもらいたいって僕に熱弁していましたよ?」
「私、この旅で夢が出来たんだ。どうしてもかなえたい夢がね」
「夢……ですか。いい夏休みになりましたね、ルミさん」
則夫はよしだたくろうの「夏休み」を口ずさみ始めた。
音程は相変わらず所々外れているが、ギターで弾き語る時よりも音程が外れておらず、割とまともに歌っていた。
「私も一緒に唄っていい?」
「いいですよ」
黄金色に揺れる田んぼの中を貫くように通る小道を、二人は「夏休み」を口ずさみながら駆け抜けていった。
ルミのわずか十日間の夏の冒険は、幕を閉じた。
映画での役柄はほんのチョイ役だったけれど、冒険の途中で色んな人達に出会い、色んなことを見聞きして、ほんの少しだけ大人になった気がした。




