18・思いがけぬ再会
ルミはかろうじて京都から大垣へと向かう電車に飛び乗り、大垣で一路東京へと向かう夜行列車に無事に乗り換えることができた。
夜行列車は座席はおろか通路まで乗客や荷物で埋め尽くされ、あちこちの座席からは楽しそうに会話する学生グループの声が賑やかに響き渡っていた。聞こえてくる言葉のほとんどが関西をはじめとする西日本の訛りで、東日本、その中でも東北出身のルミは肩身の狭い思いをしていた。
ルミは窓側の席に座り、頬杖を突きながら暗闇に包まれた外の景色をずっと見つめていた。しばらくすると、沿線に明かりが増え、大きなビルやネオンサインも目に入るようになった。
「まもなく名古屋、名古屋に到着します」
車内放送が流れ、ほどなくして電車は名古屋駅に到着した。
駅では、大垣駅に匹敵する数の乗客が乗り込んできた。学生はもちろん、仕事帰りと思しきスーツ姿や作業服姿の人達も乗り込んでいた。
大垣を出発した時は空いていたルミの前の座席には、薄汚れた作業服を着た男が乗り込んできた。その顔は真っ黒な煤に覆われ、足元がおぼつかなく、体中から酒の匂いが漂ってきた。車窓の桟に缶ビールを置くと、血走った目でルミの身体をジロジロ見回した。ルミはあまりの気味の悪さに、感じていたことを思わず口に出した。
「ちょっと、やめてもらえませんか。さっきからそんなに私をジロジロ見て」
「だってさ、アイドルみてえな恰好して。面白い姉ちゃんだなと思ってよ」
酔客はルミのワンピースの胸についたリボンを掴むと、自分の方に強く引っ張り、声を上げて笑いだした。
「やめてくださいっ! この服……私の大事な宝物なんだから」
ルミは大声を上げ、リボンを触る酔客の手を掴んだ。
「宝物だぁ? ガキのくせして生意気なこと言いやがって!」
酔客は足をふらつかせながらルミの胸ぐらをつかみ、煤だらけの顔をくしゃくしゃにしながら笑っていた。
「周りの奴ら、よーく見ておけ。俺がこのガキをここでいたぶってやる。駅員や警察に通報でもしてみろ、その時はそいつのこともぶん殴ってやるからな!」
さっきまでにぎやかだった周囲の乗客は、関わりたくないのか、酔客の声を聞いた途端におとなしくなってしまった。
「ヘヘヘ……どれ、その小奇麗な服をまずはひっぺがしてやるか。ほう、なかなかいい身体してるじゃねえか?」
酔客は口元からよだれを流しながらルミのワンピースの袖に手を当てると、徐々に真下へと下げ始めていった。ワンピースは徐々にはだけて、次第に肩が見え、さらに下着や胸元まで見えてきた。ルミの顔は青ざめ、恐怖に慄き、抵抗する気力も失っていた。旅の最後に、酷い酔客と相席になってしまった不運を嘆いた。
下着が露わになったその時、突然酔客の手が金縛りにあったかのように動かなくなった。
「おい! 何だてめえ!」
その後ろには、酔客の肩を掴む男性の姿があった。白いワイシャツにスラックスを着込んだりりしい顔立ちの男性は、睨みつけてくる酔客に対し一歩も後ろに引かなかった。
「やめろ。嫌がっているだろ、分からないのか?」
「ほう、いい度胸だ。よし、今度はコイツを見せしめにしてやろうか」
酔客はルミの服から手を離し、男性に襲い掛かろうとした。しかし男性はひるむことなく酔客の手を掴むと、そのまま背後から羽交い絞めにした。
「今からお前を車掌室に連れていく。そこからは警察にお世話になるんだな」
男性はそう言うと、酔客を羽交い絞めする腕に次第に力を込めていった。
「く、くそっ! わかったよ! もうやらねえから、離しやがれ!」
「本当か? 嘘はつくなよ!」
「ああ、俺は今まで嘘なんかついたことはねえ。というか、飲んだものが出てきちまう! 早く離せ!」
「何だよ、きたねえな。ほら、早くあっちに行け!」
男性が手を離すと、酔客は両手で口を押さえながら通路を駆けぬけて行った。車両の継ぎ目にあるトイレから激しくせき込む音が聞こえてきたが、男性は気にすることなく、ルミの方に近寄り、背中に手を当てた。
「大丈夫かい? 大変だったね、いきなり酔っ払いに絡まれて」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます」
「夜行列車には、この辺りにある車両工場でひと稼ぎして帰るガラの悪い期間工も乗ってくるから、こんな可愛い服を着ていたら絡まれるぞ?」
「わかっています。でも……」
ルミは酔客に引っ張られてはだけてしまった服を着なおし、男性から目をそらした。
男性はルミの言いたいことを何となく察したのか、ため息をつくと、空いていた真向かいの席に座った。すると、二人の前に、大きなバッグを手にした水色のワンピースを着た女性が現れた。
「健一さん、ここにいたのね? 急に駆け出してどこに行ったのかと思ったわよ」
「ああ、ごめんよむつみ。この子が酔っ払いに絡まれて何とかしないとまずいと思ってさ」
ルミは女性を見て驚いた。女性の出で立ちと顔を、つい十日ほど前に大垣に向かう列車で見た記憶があった。
「あら? あなた……こないだご一緒した高校生かしら?」
「はい。京都から帰るところです」
「すごい! 奇遇ね。私も東京に帰るところなの。ここにいる健一さんと一緒にね」
「むつみ、この子を知ってるのかい?」
「うん。東京からの夜行列車で一緒だったの」
「ほう、それは奇遇だね」
むつみと呼ばれた女性は、健一と呼ばれた男性のすぐ隣にぴったりと寄り添うように座った。
「この人って、以前話していた婚約者の方?」
「そう。週末で健一さんも仕事が休みだからね。これから二人で東京に行って、結婚式の打ち合わせに行くの」
「おめでとうございます」
「いえいえ、それよりもあなたが無事に京都から帰ってきて、それが何よりも嬉しいわよ。どう、映画のお仕事、上手くいった?」
「はい」
「良かったわ。どう、これからは女優の道に進むの?」
「はい、先は長いですけど、いつの日かは」
「そうよね、まずは高校を卒業しないとね」
むつみはそう言うと、健一の肩に顔をもたげた。
「どう? かっこよかったでしょ? 健一さん」
「そうですね。おかげさまで助かりました」
「この人に惹かれた理由は、彼の正義感の強さなの。集団就職で山形から出てきた時、先輩たちに色々理不尽なことを突きつけられたり、いじめられたりしたんだ。同期の子たちは、みんな先輩たちを怖がって誰も私をかばってくれなかった。でも、当時上司だった健一さんは、何かあるたびに私の味方になってくれた。その時、私は初めて心がときめいたんだ。まだ十代だったし、今すぐには無理でも、いつの日か大人になった時、この人と一緒になりたいって」
「そうだったんだ……いいお話ですね、好きな人と時間をかけて結ばれるなんて。私、すごく憧れます」
「おや? あなたにも気になる人がいるの?」
「はい、実は……」
ルミは自分の着ていたワンピースを指でつまんで微笑んだ。
「ああ、そういうことか。さては『出会い』があったのね? こないだ会った時はその服、着ていなかったもんね」
むつみは笑うと、ルミは髪を掻きながら照れ笑いを浮かべた。
「心から好きならば、諦めちゃだめよ。たとえ離れていても、時間がかかっても、その人から目を逸らさないでね。健一さんも全国あっちこっち転勤してなかなか顔を合わせる時間が無かったけど、あの時のときめきをずっと忘れなかったから」
むつみと健一は手に手を取り合い、お互い愛し合っているのが十分に見て取れた。
ルミは次第に眠気に襲われた。今日も色々な出来事が次々と起こり、電車を乗り継ぎ、知らない間に身体が疲れていたのかもしれない。
目の前に座る二人は寄り添いながら、時折口づけを交わしていた。
幸せに包まれた二人の姿を見ているうちに心がほぐれたのか、ルミはその後深い眠りについた。
「おはよう、もうすぐ着くわよ」
むつみの声が、ルミの耳に入った。
「え? もう朝ですか?」
「そうよ、窓の外を見てごらん」
「わあ……東京タワーが見える」
「ほら、みんな降りる支度をしてるから、あなたも急がないとね」
窓の外を見ると、漆黒の空は白みはじめ、高層ビル群や東京タワーが姿を見せていた。健一とむつみの二人は降車の準備をしていた。
ルミはリュックサックを荷台から降ろした。二人は立ち上がり、通路に出ようとしていた。
「ちょっと、待ってもらえますか?」
ルミは後ろから二人を呼び止めた。
彼らが名古屋から乗りこんだ時から、どうしても気になっていたことがあったのだ。
「どうしたの?」
「あの子のこと、知りませんか?……行きの電車で一緒に座っていた、『家出してきた』と言っていた子」
「ああ、あの子はもう帰ったわよ」
「え? 東京に戻ったんですか?」
「そう。電車で一緒におしゃべりしてるうちに私に付いて行きたいって言って、一緒に名古屋で下車して、私と健一さんのそばにいたんだよ。じっくりお話を聞いてあげたり、名古屋を観光したりするうちに、心の中のもやもやがスッと晴れたみたい。自分からご両親に連絡とって名古屋に迎えに来てもらって、東京に帰ったわよ」
「そうなんですか……あの子、自暴自棄になっていたから、あの後どうなったのか心配で」
「彼女、自分を受け入れてくれる居場所がなかったって言ってたわ。だから私、彼女に私のアパートの住所を教えてあげたの。東京に帰って、またもやもやすることがあれば遠慮なく私の所に来なさいって」
「居場所探しですか……まるで、今の私みたい」
「アハハ、あなたもそうなの?」
「はい。でも私、この旅でかろうじて見つかった気がします」
「それは良かった。あなたも気を付けて帰ってね。ご両親には心配かけないよう、寄り道しないで帰るのよ」
「は、はい」
列車は東京駅のホームに到着した。
むつみと健一は、手に手を取り合って先にホームへと降り立っていった。ルミはリュックサックを背負い、身体が左右に揺れながらもホームに降り、電車乗り換えのためホームの階段を下りようとした。
あと少しで自分の冒険が終わる――分かっているけれど、とてつもない程の空しい気持ちで胸が苦しくなった。




