17.約束するよ
明を目の前にして、ルミは何も言えないままずっと立ち尽くしていた。
すると、業を煮やしたのか、明は自らルミの元に歩み寄ってしゃがみこみ、ルミの肩に手を当てた。
「君、何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「え、それは、その……」
「そうやって固まってしまうのは君の悪い癖だよ。変に考え込まなくていい。君が言いたいこと、やりたいことを、素直に表現すればいいんだ」
ルミは、明の言葉でようやく自分を縛っていた呪縛が解けた気がした。そして、映画のリハーサルや撮影本番でもやらかした失敗を繰り返してしまう自分に、ほとほと呆れ果てた。明はいつまでも言葉を発さないルミに苛立つ様子もなく、ポケットに手を入れたままじっとルミの様子を見守っていた。ルミは胸に手を当て、気持ちを落ち着かせると、ようやく口を開いた。
「私……撮影が終わったので、これから実家のある東北に帰ります。でも、帰る前に、どうしても言いたいことがあって」
ルミは髪をふり乱しながら、ありったけの力を込めて声を張り上げた。
「撮影になじめずに悩んでいた私を助けてくれて、そして、雨の日にホテルの部屋で雨宿りさせてくれて、ありがとうございます!」
ルミはそこで再び言葉が止まった。
自分の気持ちを言うか? 言うまいか? ずっと迷っていた。
明の返事次第では、心が折れてしばらく立ち直れなくなるかもしれない。しかし、興味津々な様子でルミを見つめる明を見ていると、もう後戻りはできないと思った。
ルミは目を閉じて何度も深呼吸すると、まっすぐ明の顔を見つめた。
「私……明さんが好きなんです! 生まれて初めて、男の人を心から好きになったんです!」
ルミは自分の恋心を、生まれて初めて異性に伝えた。
しかも相手は地元の男子ではなく、芸能雑誌の「好きな俳優ランキング」の常連だ。自分のしたことは無謀だし、無駄な行為かもしれない。
それでも、このまま心の奥に秘めてくすぶって生きていく位なら、ここで素直にぶつけた方が良い――明がルミのことをどう思っていようが、これが自分の素直な気持ちなのだから。
ルミが自分の気持ちを伝えた後、再び二人の間には交わす言葉が無く、蝉の鳴き声だけが響き渡っていた。
「ありがとう」
明はルミの前に出ると、両腕をルミの背中に回した。その腕は、やがてルミの全身を包み込んだ。二人は顔を近づけると、そのままどちらからともなく唇を近づけ、そのまま重ね合わせた。
どれくらい時間が過ぎただろうか。二人はずっと唇を重ね合っていた。
しばらくすると、明は唇を離し、ルミの髪を搔き分け、額に唇を軽く押し当てた。
「君に会った時から、他の人には無い特別なものを感じていたんだ。顔立ちも、雰囲気も、しぐさもね。自分でも最初分からなかったけど、思い返すと、前に好きだった子に似ていると思ったんだ」
「……それで、私のことを気に掛けてくれたんですか?」
「ああ。このワンピースもそうだ。彼女はこんな感じのワンピースを着ていた。だから、付き人に君の着替えを買ってくるようお願いした時も、彼女が着ていた物と同じようなデザインのものをお願いしていた。どうだい? 選んだのは僕じゃなく付き人だけど、なかなか可愛いだろ?」
「……自分には、あまり似合わないですけど」
「アハハ、そりゃ悪かった。でもね、僕は君がこのワンピースを着た時、あの頃のように急に心がときめいたんだ。胸が高鳴って、君に心が釘付けになった。こんな気持ち、本当に久しぶりだよ」
「だからあの時、私にキスを?」
「その通り。でも、君はびっくりしたよね? 驚かせてしまったならごめんよ」
「いいんです。とっても嬉しかったから」
ルミは顔を赤らめ、口元に手を当てていた。
「ただ、僕は俳優で君は高校生だ。住んでる所もやっていることも違う。悲しいけれど現実を受け止め、自分の気持ちをグッと抑えて君とお別れしなくちゃいけないと思ったんだ」
「……」
「名残惜しいけど、君とはひとまずここでお別れだ。でも、何となくだけど、君とはまた近い将来会えそうな予感がするよ」
「……私も、明さんとまた会いたいです」
「僕はこれからも体力が続く限り映画やドラマに出続けるつもりだ。いつの日か、君が撮影の現場に戻ってくるのを待っているからね」
「……本当に、待っていてくれますか? 他の誰ともお付き合いせずに、待っていてくれますか?」
「ああ。僕は嘘はつかない。固く約束するよ」
明はルミの片手を両手で握り締めた。
「じゃあ僕はリハーサルがあるから、これで失礼するね。君はこれから実家に帰るんだね?」
「はい」
「そうか。気を付けて帰るんだぞ」
明はルミの手を離すと、手を振りながら参道を奥の方へと進んでいった。
徐々に自分の元を離れていく明を見て、ルミはとめどなく涙が溢れてきた。
その時、さっき神社から出ていったはずの佐代子が、付き人に付き添われながら再び姿を見せた。佐代子が進む方向は、さっき明が歩いて行った方向と同じだった。
多分、これから明と一緒にリハーサルに入るのだろう。いくら映画とは言え、二人が一緒に居ることを心のどこかで許せない自分が居た。しかしルミは、明が最後に交わした約束を必ず守ってくれると信じていた。
ルミは西楼門の方向へと一歩、また一歩と歩き出していった。鬱蒼とした林を抜け、目の前には賑やかな祇園の街並みが現れた。西楼門には、門柱に寄り掛かって煙草を吸いながら時々腕時計に目を遣る礼子の姿があった。
「どうだった? 明に自分の気持ちをちゃんと言えた?」
「はい、礼子さんのお陰で、思い残すことなく伝えられました。私なんかのために、ここまでしてくれてありがとうございます」
「いいんだよ。あなたにはさんざん迷惑かけてたから、この位はさせてもらわないとね。ところで今は夕方五時だけど、あなた、帰りの電車は間に合うの?」
「えーと、確か、五時十七分発の大垣行き普通列車に乗れば、今夜の大垣発の夜行列車に間に合うって宿のおばさんに言われたけど……」
「え? あと十七分しかないよ? 急がないと!」
「で、でも、どうやって?」
「そこで待ってて、タクシー捕まえるから」
礼子はちょうど目の前を通りかかった黒塗りのタクシーを呼び止めた。
「運転手さん、この子を京都駅までお願いね」
「あいよ」
ルミは顔をしかめ、なかなか座席に入ろうとしなかった。
「どうしたの? 乗らないの?」
「だって私、タクシーに乗るお金なんてありません。撮影のギャラは後払いですし、手元に残ってるお金は帰りの電車と途中の食事代で全部消えちゃうし……」
すると礼子は財布を開け、数枚の千円札をルミの手に握らせた。
「ちょっと、これ、いいんですか? 礼子さんだって宿代やバーでの飲み代や、彼氏とのデートとかでお金がかかるでしょ?」
「そんなこと気にしないで、これは私からのささやかな餞別だと思ってちょうだい。お釣りが出たら、列車で食べるお弁当代や実家への土産代にでも使ってね」
「……」
「色々刺激を与えすぎちゃってごめん。私のことは、この夏の思い出の片隅に仕舞っておいてちょうだい。じゃあね」
礼子はタクシーのドアを閉めると、両手を何度も振って背後からタクシーを見送っていた。礼子の姿が豆粒になり、やがて完全に視界から消え去ると、ルミは肩を落としてため息をついた。
「はあ……これで誰もいなくなっちゃった……か」
空には真っ赤な夕焼けが広がり、やがて前方に京都タワーが見えてきた。タワーのすぐ近くに、京都駅の烏丸口がある。
「姉さん、駅に着いたで」
「あ、ごめんなさい……」
タクシー代を払い、後部座席から降りたルミは、電車を待つ人達でごったがえす駅の中に入っていった。長いようで短かった京都での撮影の旅は、間もなく終わりを迎えようとしていた。
ルミはキオスクでタクシー代の残りのお金を使って駅弁を買うと、大きなリュックを背負って東海道本線の乗り場へと向かった。
長いようで短かった夏の冒険は、いよいよ佳境を迎えようとしていた。




