16・御膳立て
ルミは宿に戻ると、礼子が大音量でロックを聴きながらスケッチブックと向き合っていた。あれほど老婆に注意されてもまったく改善しないのは、呆れるどころか逆に感心してしまう。
「あー、お帰り! どうだった? 撮影。緊張したでしょ? あれは素人さんにはかなり厳しかったんじゃないかな」
「何とか無事に、やり遂げました」
「そりゃよかった! お疲れさま。これで出番は終了?」
「はい」
「じゃあ、いよいよお別れだね」
「はい。名残惜しいですが、明日には京都を出発する予定です」
「寂しくなるなぁ。あなたは高校生だけど、話していてすごく面白いと思える子だったからさ」
「こちらこそ、色々と刺激的な体験をさせていただき、ありがとうございます」
「アハハハ、刺激、強すぎたよね? ご両親には私の事を言わなくていいからね? たぶん、ふしだらな女だと言って気分を悪くすると思うから」
礼子は立ち上がると、一枚の絵をルミに手渡した。
「やっとできたのよ、映画のクライマックスの場面の下絵」
ルミは礼子から渡された下絵をじっくりと見据えた。絵は綺麗に色付けされ、パーマのかかった長い髪の男が、緑色のドレスを着た少女と手を繋ぎながら神社の前で向かい合う絵が描かれていた。
「この男の人は明さんですよね。あれ? このお洋服……どこかで見たような」
「ちょっとお遊びで、あなたの着ていたワンピースを着せてみたの。ほら、こうやってみると、あなたが明と一緒に居るように見えるでしょ?」
「そうですね……」
ルミは絵を見て、少しうつむき加減の姿勢で苦笑いしていた。
「あら? どうしたの。あまり嬉しくないの?」
「明さん、そんなに私に好意を持ってなかったみたい」
「ええ? ひょっとして、振られた?」
「今日、撮影で会ったんですけど、別れる時がすごく素気なくて。あんなに私に優しくしてくれて、キスまでしてくれたのに、『元気でな』しか言ってくれなかったんですよ? おまけに、関口佐代子とすごく仲良くしゃべってるし」
ルミはため息をつきながらデザイン画を礼子に戻し、深々と頭を下げた。
「分かっていたことだけど、明さんは私と住む世界が違う人ですから。佐代子さんみたいな同じ世界で生きる人の方がお似合いですよ。ここまで色々とお気遣い、ありがとうございました」
すると、礼子はうなだれるルミを後ろからそっと抱き寄せた。
「住む世界が何だっていうの? 好きならばとことんまで行きなさいよ」
「でも……」
「明日、八坂神社で出演者も交えた打ち合わせがあるから一緒に行こうよ。言いたいことがあるなら、ちゃんと言っておいで。一生後悔するわよ」
「え?」
ルミは目を大きく見開き、礼子の方を向いた。礼子はルミの前で片目を瞑り、片手でピースサインをした。
「この絵を監督や出演者の人達にも見せて、色々意見をもらったうえでセットを発注するのよ。もちろん、明にも見てもらうからね」
「そこには佐代子さんも居るんですよね?」
「居るけど、それが?」
「だって……」
「だって、何?」
「厚かましすぎませんか? 佐代子さんが私に敵意を持ったらどうしようと思って」
すると礼子は、お腹を抱えて大笑いした。
「そんな余計な心配していたら、何にも出来なくなっちゃうわよ。こないだも言ったでしょ? 『大事なのは自分の気持ち』だって」
そう言うと、礼子はスケッチブックを閉じた。
「さ、仕事が間に合ったことだし、私はいつものロックバーに行ってくるから。大丈夫、二日酔いにもハイにもならないように気を付けるからさ。明日は私にとっても、そしてあなたにとっても大事な仕事があるからね」
「分かりました。今夜はギタリストさんと盛り上がって連れ込まないようにしてくださいね」
「ふん、余計なお世話だよ!」
礼子は気まずそうな顔で髪を掻くと、ドアを閉めて一目散に階段を下りていった。ラジカセから流れるロックの音を止めもしないで。老婆に目を付けられて、怒られるのはルミなのに。
翌日の午後、ルミは荷物を詰め込んだリュックサックを背負って、部屋の片隅で礼子が準備を終えるのを待っていた。
礼子はいつものTシャツにジーンズというラフなスタイルではなく、リボンのついた花柄のブラウスと黒のパンタロンという、彼女にしては比較的まともな出で立ちであった。
礼子はスケッチブックの入ったフリンジ付きの大きなショルダーバッグを肩に掛けると、リュックサックを背負ったルミを手招きした。
「あーもう、明に会いに行くのに、何でその服装なの?」
「え?」
「明がせっかくあなたに買ってくれたワンピース、ちゃんと着ていかなくちゃ」
「明さんには申し訳ないけど、私にはこの服、全然合わないです」
「いいから、着替えてきてよ。明はきっとこのワンピースを着たあなたに心が惹かれているんだと思うから。さ、早く!」
礼子に急かされ、ルミはしぶしぶリュックサックから緑色のミニワンピースを取り出し、その場で着替えた。
「よしよし、そう来なくちゃ。さ、出発!」
ルミはワンピース姿が恥ずかしくて、礼子の後ろに隠れるかのように宿の階段を下りていった。
玄関では、宿主の老婆が出てきてルミを見送ってくれた。
「お疲れさん。若いのに、よう頑張ったな」
「いえいえ、無事に撮影を終えたのは宿の皆さんのお陰です」
礼子はその隣で笑いながら「それって、私を含めて?」とルミに問いかけると、老婆は突如鋭い目つきで礼子を睨みつけた。
「お姉さんは、こういうけったいな女になったらあかんよ。ほな、お元気でな」
老婆は礼子に対する態度と打って変わって、笑顔で手を振ってくれた。
礼子は玄関を出ると、老婆がいる方向に向かって「あっかんべーだ! くそばばあ!」と声を出しながら舌を出していた。
「あまり喧嘩しちゃいけませんよ。宿主さんを怒らせたら自分の宿が無くなっちゃうから」
「わかってるけど、あの人だけはどうしてもいけ好かなくてね」
二人はバスを何本か乗り継ぎ、「祇園」バス停で下車して八坂神社へと歩き出した。
ルミの視界の中に神社の大きな鳥居が見えてくると、鬱蒼とした林からけたたましいセミの鳴き声が聞こえてきた。今日も京都は暑くなりそうだ。
「西楼門」と呼ばれる神社の鳥居をくぐり、少し参道を進むと、大きな屋根の下に沢山の提灯が飾られた「舞殿」の周囲に映画のスタッフらしき人達が大勢集まっていた。
「あなたはここで待ってて。私は打ち合わせに行ってくるから」
「え? ここでって……」
「そんなに時間はかからないわよ。じゃあね」
礼子はルミを残し、バッグを揺らしながら人だかりの中に入っていった。
「……こんなワンピース着せて、私一人だけ残して、変な男に声を掛けられたらどうするつもりなのよ?」
ルミはリュックサックを地面に置き、不安な様子で辺りを何度も見回していた。視線のはるか遠くで、礼子はスケッチブックを広げ、スタッフにセットの内容を説明していた。セミのけたたましい鳴き声に邪魔されてその内容は聞き取れなかったが、皆が礼子の説明に真剣に聞き入っていた。そして、スタッフに交じって、明と佐代子が並んで話を聞いていた。
二人は八坂神社の場面に登場することになっていた。おそらく、礼子の話を聞きながらある程度演技のイメージを掴んでおきたいのだろう。
しばらくするとスタッフは散り散りになり、礼子が息を弾ませながらルミの元へと戻ってきた。
「お待たせ。何とかみんなにOKもらったよ。さ、次はあなたの出番ね」
「出番?」
「明は舞殿にいるわよ。ほら、いってらっしゃい」
礼子はクスクス笑いながら、ルミの背中を思い切り前へ突き出した。ルミはよろめきながらも、舞殿を目指して参道を歩き始めた。
打ち合わせを終えて帰るスタッフに交じり、付き人らしきガタイの良い男性に付き添われた佐代子がルミのすぐ目の前を通りかかった。佐代子はルミを見つけると、突如立ち止まり、笑顔を見せながら軽く頭を下げた。
「この前はお疲れ様でした。とってもいい演技でしたよ。本当にあなたに罵倒されているような気分になったもの」
「いや、そう言われると嬉しいような、恥ずかしいような……」
佐代子はルミの言葉を最後まで聞くことなく、付き人とともに颯爽とルミの傍を通り過ぎて神社の外へと出ていった。
「あれ? 佐代子さん、今、一人だったような……」
先日の撮影の時、明と佐代子が仲睦まじく歩いているのを見て、ルミは、二人は実生活でも映画と同様に恋仲かもしれないと思っていた。しかし、今見掛けた佐代子は一人だった。明は一体どこにいるのだろうか?
その時、背後から若い男性の「よう」という声が聞こえた。
ルミは驚いて後ろを振り向くと、そこには舞殿の柵にもたれながら、裾の広がったズボンのポケットに手を入れて笑う明が立っていた。
「明さん?」
「そうだよ。どうしてここにいるの?」
「宿で同じ部屋の人に連れて来られて……美術スタッフの人なんですけど」
すると、明は彼なりに合点が行ったのか、手を叩きながら大声で笑いだした。
「ああ、美術の小畑さんか。あの人が君と相部屋だったんだね」
「はい。この場所で打ち合わせするから、一緒に来てくれって。多分、明さんがいるからって……」
ルミはそれ以上は言葉を濁した。自分が礼子にせがんでここに連れてきてもらったかのようには思われたくなかった。
「小畑さん、打ち合わせが終わった後に『ここに残っててくれ、あなたに逢いたい人がいる』って言うからさ。何事かと思って、一人でここで待っていたけど……」
「え? 礼子さんがそんなことを?」
「逢いたい人って、君だったんだね」
「それは……その……」
「だから、君の着ているワンピースが小畑さんの下絵に描いてあったのか。変だなあと思ったけど、謎が解けたよ。アハハハハ」
礼子はルミを連れてきただけでなく、余計な御膳立てまでしてくれたようだ。
ルミはまるで自分が礼子をけしかけたみたいで気恥ずかしくなり、何も言えないままうなだれていた。
「でも、正直嬉しいよ、また君に逢えて。しかもそのワンピースを着てきてくれて」
「はい。正直、ちょっと恥ずかしいですけれど……」
明は、ルミの着ていたワンピースを微笑ましい表情で見つめていた。
ルミは、すぐそばに立つ明の表情を見るうちに、心拍数が徐々に上がっていった。
ここで自分の気持ちを言わないと、もう言えないかもしれない。
ルミは次の一言がなかなか出てこなかった。
二人の間には静寂が続き、けたたましく鳴く蝉の声だけが響き渡っていた。




