15・いざ、本番!
撮影本番の日の朝――
ルミは撮影現場である鴨川の河川敷に到着すると、撮影クルーを始めとする大勢のスタッフが既に堤防を占拠していた。そして、橋の欄干からは大勢の野次馬が集まり、撮影が始まるのを今か今かと待ち続けていた。リハーサルですっかり慣れたはずの鴨川の河川敷は、今日は全く雰囲気が違っていた。
やがて橋のたもとに一台のバスが到着し、俳優陣が続々とタラップを降り、河川敷に入ってきた。その中には主人公役の関口佐代子と大学生役の赤城明の姿もあった。二人が姿を見せた途端、野次馬達から悲鳴が沸き起こった。
「明、こっち向いて! カッコイイ顔見せて!」
「佐代子ちゃ~ん、笑ってよ。あ、手を振ってくれてる。可愛いなあ」
すでに多くの映画やドラマに出ている二人への注目度は相当高いようだ。
佐代子は明と何事か色々と話をしていた。二人は気が合うようで、数分間色々話しては一緒に声を上げて笑っていた。
二人は単なる共演者であることは重々分かってはいるけれど、ルミは佐代子が明と話している姿を妬ましく感じた。今の自分はそんな立場ではない――そのことは分かっているけれど、心のどこかで納得できなかった。
「じゃあ、全員揃ったから始めようか。カメラマン、スタンバイ出来たら合図しておくれ」
長髪で顎に髭をたくわえ、茶色いレンズのサングラスをかけた怪しげな雰囲気の男が大きなカメラを地面に据えると、監督に向かって両手を挙げていた。
「よし、準備完了だな。早速撮影を開始するぞ。はい、スタート!」
監督の合図で、不良少女役の少女たちは続々と佐代子の元へと集まっていった。円形に並んで佐代子を取り囲むと、次々とセリフを投げかけていった。少女たちはリハーサル通りの演技を、途中で制止されることなくほぼ完ぺきにこなしていた。
最後に、ルミの出番が回ってきた。
少女たちに罵倒され、顔がひきつっていた佐代子に向かって、ルミはとどめを刺すかのような言葉を投げかける設定となっていた。ルミは口を開こうとしたその時、大型のカメラが真正面からルミを見据えていた。その周辺ではぐるりと取り囲むようにスタッフが様子を見守り、更にその背後では大勢の野次馬達が一斉にルミの動きを注視していた。そして撮影クルーの傍では、出番を待つ明が腕組みをしながらルミの様子を伺っていた。
衆目が一斉にルミに注がれるうちに、ルミの身体は次第に硬直していった。
目の前にいる佐代子は、胸に手を当てながらすがるような目つきでルミがセリフを言うのを待ち続けていた。リハーサルで、明から役をこなすためのアドバイスをもらっていたのに……佐代子を前にして、ルミは両手を震わせながら何も言えず立ち尽くしていた。
「カーット!」
監督の鋭い声が上がった。
ルミは肩を落とし、監督に向かって頭を下げた。
「バカかお前は。あれほど練習したのが何で出来ないんだ? こないだと同じで、佐代子ちゃんが目の前に来たら緊張したのか? 醜態を晒すのも大概にしろ!」
監督はルミの元に駆け寄り、腰に手を当てながら甲高い声を上げて叱責した。
「お前たちはこのシーンだけしかないけど、佐代子ちゃんや明君はこのほかにも撮影しなくちゃいけないシーンが沢山あるんだ。それに撮影クルーやその他スタッフ、さらにはお前と一緒にいる不良少女役の子達にも迷惑がかかってるんだ! わかってんのか、おい!?」
監督に徹底的に捲し立てられても、ルミは「はい」という言葉以外何も返せなかった。
「ちょっとだけ休憩を入れる。次はちゃんとやれよ。次もダメなら、お前には代役を入れるからな」
「だ、代役?」
「そうだ。いざという時に何も言えず凝り固まるような情けない奴には不良役なんか務まらない。そしてさっきも言った通り、何度も撮り直ししている時間が無い。それが理由だ」
ルミは拳を握りしめ、歯ぎしりをしながら監督の言葉をずっと聴いていた。
ルミの近くでは、俳優たちがお茶を飲みながら休憩していた。明は相変わらず佐代子と親し気に会話していた。二人はお互いの身体がすぐ触れ合う位の距離で向かい合い、佐代子は明の話に口に手を当てて笑い続けていた。さっきまでの悲壮感漂う顔が、嘘のように変わっていた。
ルミは、二人の顔を見るうちに今まで味わったことのない感情が沸き上がってきた。
何でお前が明の隣に居るんだ?
何でそんなに親しそうに話してるんだ?
何でそんなに身体をくっつけてるんだ?
明の側にいるべき人は、自分なのに……!
「よし、再開するぞ。今度こそ成功させたいから、みんなよろしくな!」
監督の声が河川敷に響き渡った。
出演者たちも撮影クルーもあっという間に元の位置に戻り、和やかだった河川敷が再び緊張に包まれた。他の不良役の子達が次々にセリフを言い、順調に撮影は進んだ。
そして、再びルミの出番が回ってきた。
目の前には、佐代子の姿があった。ルミは佐代子の口元を見て顔をしかめた。不良役の子達に罵倒されて悲しい気持ちにあるはずの佐代子の口元は、微妙に笑っているように見えた。
何だこの子は、内心ではいつまでもセリフを言えずに固まってる自分がおかしくて仕方がないんじゃないか?——そう考えたルミの中には、こらえきれない程の怒りの感情が沸き起こった。
ルミは腰に手を当てると、佐代子のすぐ目の前に顎を突き出しながら口を開いた。
「――歌姫になりたいやと? 田舎もんの癖に一丁前に偉そうなこと言うんじゃあらへんよ。生意気やで、あんた――」
その瞬間、佐代子の目は涙が溢れ、両手を顔に当ててしくしくと小さな声を上げて泣き出した。ここで不良役の少女たちは笑いながらぐるりと佐代子を取り囲み、片手で殴ったり、蹴りを入れるなどの暴行を始めた。
「何をやってるんだ、お前ら!」
ここでようやく、大学生役の明が登場した。
明は佐代子をかばい、不良たちから逃げるように鴨川の河川敷を駆け出していった。
「OK!」
監督は大声で叫ぶと、両腕で「マル」の文字を作った。その瞬間、会場から盛大な拍手が沸き起こった。他の不良役の少女たちは無事に役柄をやり遂げた嬉しさからか、手を取り合って歓声を上げていた。中には、感極まって涙を流す子もいた。
ルミは両手を膝に当てたまま、撮影が終わったのが未だに信じられない様子で茫然としていた。
「どうしたんだ? 撮影、無事に終わったぞ。お疲れ様」
背後から、明の声がした。
ルミは振り向くと、明が笑みを浮かべながら手を振っていた。
「いや、いい演技だった。最高の不良役だったよ」
「そ、そうでしたか?」
「相手に対する激しい怒りと嫉妬の気持ちが、僕にもありありと伝わってきたよ。十分に不良役になりきって演じていたと思うぞ」
「ハハハ……そうですか。ありがとうございます」
ルミは苦笑いしながら頭を下げた。
自分でも驚くほど気持ちの入った演技が出来ていた。しかし、その理由が明と佐代子への嫉妬心であるとは、恥ずかしくて口には出来なかった。
「あ、そうだ。これ、返さないとね」
明は百貨店のロゴマークが入った紙袋をルミに手渡した。
「君があの雨の日に着ていた洋服だ。ひどくずぶ濡れになってたけど、ちゃんと洗濯して乾かしておいたからね」
「ありがとう、ございます……」
「君の演技には光るものがある。自信を持って、またチャレンジしてほしい。じゃあ、元気でな」
明は背中越しにルミに手を振ると、スタッフに導かれながらいそいそとバスの中へと乗り込んでいった。
「『元気でな』って……たったそれだけ?」
ルミは吹きつける風に長い髪を泳がせながら、明の乗り込んだバスが目の前から遠ざかっていくのをずっと見続けていた。
あれほど多くのスタッフと野次馬で埋め尽くされていた河川敷周辺は、潮が引くかのように静まり返っていった。長いようで短かったルミの映画出演は、終わりを迎えようとしていた。




