14・本当に好きならば
ルミは明の手配したタクシーで宿泊している旅館「紫水」へと戻った。
礼子があのギタリストと未だに一緒にいるのか不安であったが、外から自分の部屋をのぞくと、窓に煌々と明かりが灯っていた。ひょっとして帰ったのか、それとも未だ一緒にいるのかは分からないが、とりあえず「ふしだら」なことはしていないと信じ、玄関の戸を開けた。
「あら、おかえりなさい」
玄関には宿主の老婆が立っていた。老婆はコップを手にし、水を飲みながら胸の辺りを押さえていた。
「どうしたんですか? どこか体の調子が悪いんですか?」
「ついさっき、あんたと同じ部屋の小畑さんと色々あったもんでね」
「小畑って、礼子さん?」
「そうや。隣の部屋の人から『激しい喘ぎ声や部屋が揺れる音』がするって苦情があってね。せやからうち、様子を見に部屋に入ったら……」
老婆はそこで言葉を止め、大きなため息をついた。
「まだ……やってたんですか?」
「なんや、あんたも目にしたんか?」
「はい」
「うちの宿は勝手に知らん人を連れ込んじゃあかん言うて、一緒に居た男を追い出そうとしたら、小畑さんから『余計なことするな』って言われて口喧嘩になってしまってな。うちも頭に来て『ほんならあんたの会社に、あんたのしたことを洗いざらい訴えてやるわ』っていうたら、やっと静かになってくれたんや。ここまで説得するの、ほんま疲れたわ……」
「大変でしたね。ありがとうございました」
ルミは老婆に深々と頭を下げると、二階へと続く階段を登り始めた。
部屋の扉を開けると、礼子が真剣な表情でスケッチブックにペンを走らせていた。
昼間に部屋に戻った時は全裸だったが、今はちゃんとTシャツとジーンズを着こみ、ハッパの後遺症もなさそうに見えた。
「ただいま」
「あら、おかえり……さっきはごめんね、びっくりさせちゃって」
「いいですよ。私も感情的になっちゃったから」
「あなたがいることを忘れて好き勝手なことをして、本当にごめんね。刺激……強かったよね?」
「はい……自分には全てが衝撃でした」
ルミの言葉を聞き、礼子は額をスケッチブックに押し当てて大きくため息をついた。
「もういいですよ。とりあえず、あの男の人は二度とここに連れ込まないって約束してくれるなら」
「うん、もう絶対しないから……」
深く反省している様子を見せる礼子を見てルミは安堵し、ワンピースのボタンをはずし、パジャマに着替えようとした。
「ちょっと待って! そのワンピース、どうしたのよ? 麻丘めぐみの衣装みたい」
「ええ? 全然似合わないですよ。田舎の高校生の自分には」
「どうして? すごく似合ってるわよ。どこで見つけてきたの?」
「……赤城明さんが、私のためにって」
「赤城明? 本当に? うわぁ、見初められたんじゃないの? あなた」
「見初められたって……そう思いますか?」
「そうね、あなたという女をきちんと観察して、こういう服が似合うんじゃないかって見定めているのよ。心から惚れた相手じゃないと、そこまではしないと思うわよ」
「……」
ルミは言葉を返さなかった。
「あ、私はまだ仕事してるから、先に寝ていいよ。今日は色々あって疲れたよね?それに、もうすぐ撮影本番だから、体壊してもまずいしさ。本番はリハーサルと全然雰囲気が違うから、すごく緊張してガチガチになるかもよ?」
「そんなに違うんですか?」
「カメラが回ると現場が独特の緊張感に包まれるのよね。新人の俳優さんはみんな緊張してセリフが全然出てこなかったり、考えもしなかったようなミスをやってしまったり……あなたも気を付けた方が良いわよ」
「は、はい」
礼子は人間的には見習おうと思える部分は少ないけど、映画に関する指摘はほぼ当たっているので、今回の忠告も十分気を付けなければと思っていた。
礼子はルミに「おやすみ」と声を掛けると、再びスケッチブックに顔を向けてペンを走らせていた。
「礼子さん……ひとつだけ聞いて良いですか?」
「なあに?」
「礼子さんは、あのギタリストの人のことを心から好きですか?」
「まあ、好きと言えば好きかな。話していて楽しいし、ギターのテクニックもあるし、顔も端正でブラックモアに似ていてカッコいいんだよね」
「だから、この人と愛し合おうって心から思ったんですね」
「うーん、あれはお互いにハッパで気持ち良かったからというのもあって、ああいう展開になった部分もあるからね……誘ったのは私だけど、相手が私を本当の所どう思ってるかは、正直わからないのよね」
「いくら気分が高揚してるからって、相手の気持ちを確かめもしないで? ギタリストの人は、礼子さんを好きじゃないかもしれないのに?」
「男女の仲に、理想の形を求めようとしたら心が傷つくわよ。私は彼が好き、でも彼は遊びかもしれない。それでも私は良いと思って愛し合ったの。それがどうしてダメなの?」
「……分かりません。ダメなのか、ダメじゃないのか。でも私、好きだからこそ、そういうことって出来ると思うんです。遊びでそういうことをやろうとする人の考えが理解できません」
「もうこの話は止めようよ。キリがないわよ、人によって色んな考えがあるから。私も最初はあなたみたいな理想を持っていたけど、だんだん疲れちゃった。だからね、自分が好きならば相手なんか関係ないって思うようになったの」
「そういうものなんですか? 男と女って」
「私の考えは、ね」
「じゃあ、明さんは本気だったのかな、私に対して……」
「何を言い出すのよ、突然」
「実は……キス、しちゃったんです」
「赤城明と?」
「はい、彼の泊っているホテルで」
「凄いわね、あなた。赤城明って、女性誌の『好きな俳優ランキング』の上位常連だよ? 『キスしちゃった』だなんてあっさりと言わないでよ」
「ですよね。明さんは多分、私のことが好きという訳じゃなくて、一人ぼっちの寂しさを紛らわすためにキスしたんですよ、きっと」
「そうかな?」
「……え?」
「いくら共演者といえ、チョイ役の女子高生のためにわざわざ可愛いワンピース買ってあげたり、キスしたりするかしら? よっぽど好意でも持ってないと、そこまでしないと思うけどな」
「じゃあ、明さんは私のことを……」
「あ、今のはあくまで私の憶測だからね。それよりも、早く寝てくれる? 私、今日遊び過ぎちゃったからさ。徹夜してでもこのスケッチを仕上げなくちゃいけなくてね
。今日描いてるのは一番大事なシーンなんだから、集中して書きたいのよ」
「へえ、どんなシーンなんですか?」
「この映画のクライマックスよ。家族の介護のために田舎に帰ることを決意した主人公が、八坂神社で大学生の幸彦に胸の内を告白するシーン。一番大事なシーンだから、中途半端なものを作ったら監督に未来永劫恨まれそうだもん」
「幸彦って、明さんですよね?」
「そうよ。あ、これは映画だからね、設定を本気にしちゃダメよ」
「わ、わかってますよ、そのくらい。おやすみなさい」
背中を丸めて必死にスケッチブックに向かう礼子の姿を見届けながら、ルミは布団にくるまった。しかし、今夜は眠れそうで眠れなかった。
明と口づけした時の感覚が、時々思い出したかのように頭の中に甦ってくるのだ。
明は本当に自分のことが好きなんだろうか? 出会ったばかりの、ちょい役の田舎の女子高生に、あそこまで心を寄せてくれるものなんだろうか?
ルミは、明の本心を知りたくて仕方がなかった。




