12・気になる存在
明はルミを連れて、八坂神社から少し歩いたところにある店に入った。
玄関を開けると、桜の花びら施された美しい着物をまとった女性が立っていた。
「こんにちは、女将さん」
「あら、赤城さん? 今日はどうしたんえ? 映画の撮影はお休み?」
「はい。でも休みなのに宿でずっとゴロゴロしているのはもったいないと思って、ちょっと撮影の下見に来たんですよ。お腹すいちゃったんで、立ち寄ってみました。予約していないけど、入れますか?」
「どうぞ。今日はウチも予約が無く暇だったんで。いつものやつでよろしゅうおすか?」
「はい、いつものやつでいいですよ」
「そちらさんは?」
「私も……同じもので良いです」
女将と呼ばれたその女性は怪訝そうな顔でルミを見ていたが、やがて廊下を歩いて二人を先導していった。案内された部屋は、窓越しに庭を見ることができる小さな部屋だった。枯山水を施した美しい庭にはしのぶ石が並び、小さな池には鯉が泳いでいた。テレビや映画で登場するいかにも敷居の高そうな京都の老舗料亭で、ルミは肩身の狭い思いで座布団の上で正座をしていた。
「どうしたの? もっと楽にしていいよ」
明は胡坐をかきながら、テーブルの上に置かれたお茶をすすっていた。
「ここ、よく来るんですか?」
「ああ、撮影の合間に時々ね。京都でドラマや映画の撮影をすることが多いから、そのたびに顔を出していたらいつの間にか常連になっちゃってさ」
明はシャツのポケットからたばこを取り出すと、火を灯して口につけ、天井に向かって白い煙を吐き出した。
「どう、リハーサルは順調? 最初の頃はセリフを言うのにずいぶん戸惑っていたけど、今は大丈夫?」
「はい。赤城さんのお陰で、今はあまり考えこまずにスムーズにできるようになりました」
「セリフの意味とかドラマの筋書きのこととか、深く考えちゃだめだよ。考えれば考える程、これはおかしいとか、あれは気に入らないとか色々出てきちゃうからね」
「赤城さんもあるんですか、そういうこと」
「あるよ。一度や二度じゃない。あまりにも納得でなくて監督に詰め寄ったこともあったね」
「そうなんですか? 監督と喧嘩するのはさすがにやりすぎじゃ……」
「まあ、僕もその頃はまだ青二才だったからさ。案の定、監督との言い争いはゴシップ雑誌で報じられて、しばらく出演依頼が途絶えてしまったんだよね。だから僕、反省したんだ。役者は、与えられた役をどれだけ上手く演じられるか。見る人に感動を与えられるか、それだけ考えればいいやって」
「なあんだ、私と同じですね」
「アハハハ、だから君を見ていて、昔の自分を見てるみたいで居ても立ってもいられなかったんだよ」
やがて二人のもとに、着物姿の若い女性たちが小鉢や皿の載ったお盆をもってやってきた。皿に盛られた料理は量が少ないものの、見た目がとても美しかった。
「どう、美味しい?」
「はい……こんなの、今まで食べたことなかったです」
「良かった。君が喜んでくれて」
明は笑顔で箸を口の中に運んでいた。
「あの……」
「何?」
「何で私なんかに、ここまで……」
「ここまでって?」
「こないだセリフのアドバイスしてくれた時もそうですし、今日だってチョイ役の私なんかをこんな高級なお店に連れてくるなんて」
「私なんか? ずいぶん謙遜するんだな」
明は小鉢を手にしながら、眉をひそめていた。
「何というか、上手く言えないけどさ……君には心を引寄せられるものがあったんだ」
それだけ言うと、明は何もなかったかのように再び食べ物を口に運んだ。
ルミは明の言葉に戸惑った。こんな素人の、しかもわずか数日しか顔を合わせていないのに、一体何がわかるというのだろうか?
二人はお膳に並べられた料理をすべて食べ終えると、ルミは真っ先に立ち上がった。
「ごちそうさまでした。お代、おいくらですか?」
「何を言ってるんだ? 君には出せるわけないだろ」
そういうと明は大笑いして財布を出そうとするルミを片手で制し、そのまま廊下へと出ていった。ルミはそのあとを追いかけたが、すでに精算は終わっていたようで、明は女将と笑顔で会話していた。
「じゃあ、そろそろ帰りますんで」
「またおいでやす」
女将は明の背中を見ながら笑顔で手を振っていた。ルミはその背後で女将に向かって深々と頭を下げると、女将はにやにやと笑いながら身を屈めて「あなた、ええ男に惚れられたね」と耳打ちしてきた。
「ほ、惚れられたって……」
「ほら、赤城さんが外であなたのこと待ってはるよ。はよ行ってやらんと」
女将は目配せし、ルミに軽く手を振った。ルミは顔を真っ赤にして肩を怒らせながら外で待つ明のもとへと向かった。
「美味しかった?」
「はい……こんな美味しいもの、今まで食べたことなかったです。ごちそうさまでした」
「そりゃよかった。ところで、これからどこか行こうか? 僕は特に予定もないしさ。よかったら、僕の泊まってるホテルに来るかい? この近くの四条河原町にあるんだ。京阪エクセレントホテルっていう所だ」
「それは……結構です」
「え? だって今日は君も予定はないんだろ? リハーサル漬けで疲れてるんだろうし、ちょっと休んでいけばいいじゃないか? 美味しいコーヒーでも淹れるよ」
「大丈夫です、疲れていませんので。これで失礼します」
ルミは顔をしかめて明を睨みつけた。明はルミの顔を見て一瞬たじろいだが、鼻でフフッと笑いながらルミの肩にそっと両手を当てた。
「そんな怖い顔するなよ、無理にとは言わないから。でも、何か悩んだりしたときは遠慮なく僕の所へおいで」
ルミは「ありがとうございます」と言って頭を下げると、明の手を自分の肩から外し、そのまま全速力で明のもとから駆け出して行った。
明は物腰も柔らかく、ルミを始め周りの人達に接する態度も誠実で優しさを感じた。しかし、ルミは子どもの頃から知らない男性には付いていくなと両親から事あるごとに言われてきたせいもあり、いくら人気俳優とはいえ軽々しく食事や自分の部屋に招こうとする明に心を許すことは出来なかった。
ルミは料亭や茶屋が立ち並ぶ祇園の街並みを抜け、鴨川の堤防沿いの道路を息を切らしながら走っていった。撮影のため何度も訪れた賀茂大橋までたどり着くと、後ろを振り向き、明が後を追ってこないか確認したが、何度見まわしても姿は確認できなかった。ルミはようやく心が落ち着いたのか、真下を流れる鴨川を見ながら胸を撫で下ろした。
ルミは室町通りにある宿にたどり着くと、一目散に自分の部屋のある二階へと階段を昇っていった。円山公園音楽堂での酔狂めいたロックコンサートや、祇園の料亭での明との突然の会食で、ルミの心はとことんまで疲れ果てていた。今は何よりも、部屋で誰にも邪魔されず眠りたいと思っていた。
ドアを開けると、部屋の中はカーテンが引かれて薄暗くなっていた。そして時折、畳がきしむ音と共に部屋の奥に敷かれている布団が激しくうごめき、女性の吐息と、うめくような声が耳に入ってきた。
「ちょっと、誰なの!?」
ルミは思わず素っ頓狂な声を上げた。すると突然布団がひるがえり、全裸の男女が驚いた表情でルミの方を向いていた。そこには、大きな乳房を露出したまま目を丸くしている礼子と、礼子を両腕で抱きしめながら目を細めてルミを睨みつける男がいた。男は、さっき円山公園で演奏していたバンドのギタリストだった。
「礼子さん……今、ここで何していたんですか? その男の人と一緒に」
「何って、その……コンサートが終わって、意気投合してそのまま部屋で飲んでるうちに、ちょっと……」
「ひどい! ここ、礼子さんだけの部屋じゃないのに」
ルミは全身を震わせながら、そのまま部屋を出ていった。
扉を閉めると、部屋の向こうから二人のひそひそと声が聞こえた。
「礼子さん、誰なんだい、あの子」
「ルミっていう子でね、私の参加している映画に不良役で出ているのよ」
「へえ、不良か。面白いね、見た目清純そうなのに」
「でしょ? でもあの子、あんまり笑ったのを見たことないし、よく見たら人相もちょっと悪そうだから、不良役としてはお手頃かもね」
ほどなくして二人の声は聞こえなくなり、少しの間静寂が続いた後、再び畳がきしむ音と礼子のあえぎ声が聞こえてきた。
ルミは抑えつけていた気持ちが爆発し、ドア越しに「バカ!」と叫ぶと、そのまま廊下を駆け出して行った。




