11・酔狂の空間
ルミはリハーサルを終え宿に戻ると、扉の向こう側からはロックの轟音が響き渡ってきた。おそらく、礼子のラジカセからの音だろう。宿主の老婆にさんざん注意されているはずなのに、本人は全く意に介していないようだ。
「ただいま」
ルミが扉を開けると、「おかえり」と小声でつぶやきながらスケッチブックにペンを走らせる礼子の姿があった。
「あれ? まだセットの原案を描いてるんですか?」
「そうなのよ。追加で撮るシーンが増えてね……。今度の監督はホント気まぐれでさ、思い付きであれこれ追加してくるから困っちゃうんだよね。あなたが出る河川敷のシーンも最初の案では無かったんだからね」
礼子はスケッチブックから顔を上げることなく、まくしたてるように話した。
確かに監督は気まぐれで現場を色々と振り回しているのかもしれないが、そのおかげでルミは映画に出演し演技をする機会を得たので、ルミとしては監督に感謝していた。
「ところで、どうだったの? 演技、上手くできたの?」
「最初は全然出来なかったんですけど、何とか出来るようになりました」
「ふーん、そりゃよかった。監督の演技指導が上手かったのかしら?」
「いや、違います。赤城さんのお陰で」
「それって、赤城明?」
「はい」
礼子はスケッチブックから顔を上げると、目を大きく見開いてルミを見つめた。
「ひょっとして、あなたのことを気になっているからじゃないの?」
「わ、私をですか? 無名な田舎の高校生を?」
「アハハハ、私の勝手な想像だから気にしないでよ。でも、赤城明って前に付き合ってた彼女と別れてから、ずっと一人ぼっちのはずだよ。チャンスじゃないの、ん?」
礼子は笑いながらスケッチブックを閉じると、鞄から一枚のチラシを取り出し、ルミに手渡した。
「今度、円山公園音楽堂で地元のロックバンドが集まってコンサートやるんだって。昨日、行きつけのバーでチラシもらってさ、礼子さんも見に来てねって招待されちゃった。どう? あなたも行く?」
「良いんですか? 私、ロックなんて全然聴かないから、行っても楽しいのかなって思って」
「大丈夫よ、音楽を聴きながら体を揺らすだけでも十分楽しいわよ。これを機会に、あなたにもロックを好きになってもらいたいし」
「ありがとうございます。撮影と重なっていなければ、行きます」
「やったあ! 楽しみにしてるからね。私が気になってる人も出演するのよ。ギタリストとしてね」
礼子は音楽に合わせてギターを弾くそぶりを見せた。
ロックは叫ぶようなギターとボーカルが煩いので正直好きになれないが、ここ数年国内でも、アメリカの映画「ウッドストック」の影響でロックコンサートが多く開催されるようになり、ルミのクラスメイトも東京や仙台までわざわざ足を運んでいた。ロックコンサートは一体どんな雰囲気なのか一度体験してみたかったのと、礼子が気になっている男性はどんな人なのか、ちょっと見てみたいと思っていた。
コンサート当日、ルミと礼子は東山区の八坂神社付近にある円山公園音楽堂に来ていた。
ルミは撮影に向けて毎日のようにリハーサルを行っており、当日も本当ならばセリフの最終チェックが行われる予定だったが、昨日になって監督が突然「みんな疲れているだろうからここで一休みを取ろう」と言って、急遽休養日にしてしまった。礼子の言う通り、監督は気まぐれでいまいち考えが読めない男だった。
静寂に包まれた八坂神社の境内を通り過ぎ、鬱蒼とした林の中を歩いていくと、ルミの耳には腹に響き渡るほどの重低音と、激しく唸るギターの音が飛び込んできた。 やがて視界が開け、眼下には白い壁に覆われたステージと、そこに向かって扇形に広がる客席が見えてきた。そこには、周囲の穏やかな公園とは全く違う、異様な雰囲気が漂っていた。
男も女も背中の辺りまで髪を伸ばし、カラフルな絞り染めのシャツやインド風のカフタンシャツ、へそ出しのタンクトップにホットパンツなど、田舎では見かけないような過激なデザインの洋服に身を包んでいた。さらに、演奏には目もくれずに白昼堂々抱き合って口づけを交わすカップルや、上半身裸になって大声で意味の分からない言葉を叫ぶ若い男もいた。そして、時折吹く風に乗って、今まで嗅いだことのない鼻をつくような臭いが四方八方から漂ってきた。
「何でしょうね、この変な臭い……吸ってると気分悪くなりそうなんですけど」
「ああ、この臭いはハッパかな」
「ハッパ?」
その時、礼子の隣に座っていたひげ面の男が細長い葉巻を礼子に手渡した。
礼子はためらうことなく、それを口にし大きく吸い込んでいた。
「これがそのハッパだよ。はい、あなたもどうぞ」
礼子は笑いながら、葉巻をルミに手渡した。葉巻から漂ってくる臭いのは、いつも父親が吸っているたばことは全く違うものだった。得体のしれない葉巻を手にし、次第に不安に襲われていった。
「すみません、私はちょっと……」
「あら、どうして? すごく気持ちよくなるのに」
「でも私、たばこすら吸ったことないですし……」
「へえ、もったいないわね。じゃあ、隣の人に回してあげて」
礼子は片手を左に向けて葉巻を回すようにまくしたてると、ルミは隣の席にいる髪の長い女性に手渡した。女性は、礼子同様にためらうことなく葉巻を口にしていた。
「あの……これって、麻薬ですよね?」
「アハハハ、そうね」
「警察が来たらどうするんですか?」
「その時はその時よ。いちいちそんなこと考えていたら何もできないわよ」
礼子は真剣な表情で尋ねてくるルミを見て、腹を抱えながら大笑いしていた。
「ここでは誰も気にせずハッパを楽しんでいるわよ。欝々としていた気持ちが全て解き放たれたみたいで、とーっても気持ちよかったわよ」
ステージからは、轟音を立てながら激しいギターの音が会場に響き渡っていた。ギターに合わせ、周囲の客は全身を不自然なほど激しく揺らしながら踊っていた。
客の数人はステージの前に駆け出し、叫び声を上げながら全身を揺らしていた。
「ほら、見てごらん。みんな楽しそうに踊ってるでしょ?」
「……確かに、そうですけど」
「私も気持ちよくなってきちゃったから、前に行って踊ってくるね」
「え、ちょっと、礼子さん!」
礼子は立ち上がると、ルミを一人座席に残してあっという間にステージの前に行ってしまった。
ステージではバンドが入れ替わり、女性のような肩までの長い髪を激しく揺らしながらハスキーボイスで叫ぶボーカルと、タンクトップ姿で淡々とギターを弾き鳴らす目鼻立ちの整った顔のギタリストが並ぶように立っていた。礼子はギタリストに向かって両手を広げて何かを叫んでいた。おそらく、礼子が好意を持っているというのは、あのギタリストなのだろう。
バンドの演奏が終わっても、礼子はルミの元に戻る気配はなく、舞台のそでに向かって帰ろうとするギタリストに向かって何かを大声で叫んでいた。
轟音や場内の特異な雰囲気に嫌気が差していたルミは、演奏終了と同時に玲子の元へと駆け寄った。
「あの……礼子さんが好きなバンドって、今のグループですよね。演奏が終わったことだし、もう帰りませんか?」
「何言ってんのよ。コンサートはまだまだ中盤だよ。これからが本番なんだから!」
「ええ? じゃあ、最後までいるつもりなんですか?」
「そのつもりだけど? つまんなかったら、私に遠慮なんかしないで帰って良いわよ。私はまだまだ踊り足りないからさ。アハハハハハ」
礼子は顔を紅潮させながら、甲高い声を上げて笑っていた。そして、次にステージに上がったバンドの演奏に合わせて再び踊り出した。おそらくさっき吸った「ハッパ」のせいだろう。笑い声もしゃべり方も動作も、どこか落ち着きがなかった。
「はあ……これ以上付き合ってらんないよ」
ルミは背中を丸めて客席の通路をとぼとぼと歩いて出口に向かった。
出口に向かう途中、髪の長いヒッピー風の男達に次々と声を掛けられた。
「よう、姉ちゃん、良かったら一緒に酒でも飲もうや」
「こっちにはいい男といいハッパがあるよ」
ルミはそのたびに「ごめんなさい」と叫び、逃げるかのように必死に出口へと駆け出していった。
音楽堂を出ると、後ろを振り返ることなく息を切らしながら静寂につつまれた森の中を走り抜けた。やがてルミの視線の先に、八坂神社の鳥居が見えてきた。
「おや、また逢えたね」
その時、突然後ろから聞き覚えのある声がした。
まさか、音楽堂からあの男達が追いかけてきたのだろうか? ルミは固唾を飲み、おそるおそる後ろを振り向いた。
そこには、パーマのかかった長い髪を片手でいじりながら、鳥居をじっと見つめている男性が立っていた。
「赤城さん……?」
「そうだよ」
「どうしてここに?」
「ちょっと、八坂神社を散歩していたんだ。今度ここで撮影するシーンがあるから下見を兼ねてね」
「そうでしたか。お邪魔して失礼しました」
「どうして? 全然邪魔じゃないよ」
「え?」
「良かったら、一緒にご飯でもどうかな?」
明は笑いながら、「ついて来いよ」と言わんばかりに片手を振ってルミを手招きした。




