370: 見えない調査網
放課後の図書室。
静かな空気の中、数名の生徒が本をめくっている。
その中に、信者の一人が紛れていた。
(……倉庫の搬入記録、やっぱり古い年度だけ抜けてる)
彼は“物流史の研究”という体で、倉庫の過去の利用記録を自然に読み込んでいた。
周囲から見れば、ただの真面目な生徒だ。
***
別の信者は、帰り道のついでのように校舎裏の細い通路を歩いていた。
(監視カメラの角度……昨日と同じ。死角は変わらず)
立ち止まらない。
歩きながら、視線だけで確認する。
誰も怪しまない。
***
中庭では、別の信者が落ち葉を掃いていた。
「美化委員の手伝い?」
「うん、ちょっとね」
笑顔で返しながら、彼の視線は倉庫の方向へほんの一瞬だけ滑る。
(……警備員、二名。交代したな)
誰にも気づかれない。
***
倉庫の前を、帰宅途中の生徒が通り過ぎる。
その生徒――信者の一人は、扉を一瞥するだけで歩き続けた。
(……警備は一人。リンセ様の言い方だと、もっと厳重なはずだが……)
表情は変わらない。
ただの帰り道――そう見える。
――誰一人として、不自然な動きはしていない。
だが確実に、
見えない何かが、学園の中で動き始めていた。
***
学園長室には、重苦しい静けさが満ちていた。
シュンからの報告で、ジュライドの行動は把握している。これといって怪しい動きはない。
同様に、美化委員が提案してきた植物の増設。
何か企みがあるのではと警戒していたが、設置された植物にも特筆すべき異常は見当たらなかった。
――どこにも、綻びはない。
それでも、胸の奥に、拭えない違和感が残る。
机の上には、数枚の書類と簡素な生徒名簿。
その前に座る学園長代理は、指先で紙の端を軽く叩きながら、ゆっくりと息を吐いた。
(……それに、ノームの件もある)
ふと、別の思考がよぎる。
婚約者の留学の願い出。
理屈としては、筋が通っている。
アカデミーの教育に興味を持っているという話も聞いている。
結婚後では難しい以上、今のうちに――というのも理解できる。
だが。
あれほど乗り気ではなかった婚約。
それが、彼女のためにと自ら願い出る――妙に引っかかる。
(……いや)
小さく息を吐き、思考を切り替える。
(今は、それどころではない)
シュンから聞き出した、ジュライドと親しい人物の資料へと視線を落とす。
どれも問題はない。
素行、成績、交友関係――すべてが“正常”だ。
指先が、名簿の一点で止まる。
小さく呟き、目を細める。
そこに記された名前。
報告はある――だが、その人物の情報が極端に少ない。
分かるのは、あまり目立たず、“印象が薄い”ということくらいだ。
多くの生徒が通うアカデミーだ。
そういう生徒がいること自体は、珍しくもない。
「ただ……これでは、判断がつかない」
もう一度、その名前を見る。
「……私の目で、直接確認しておくべきか」
名簿を閉じた、その瞬間。
コン、コン――。
控えめなノック音が響いた。
「どうぞ」
返事をすると、扉が静かに開く。
「失礼します。美化委員です」
セオリーは、いつも通りの柔らかな笑みを浮かべていた。
手には小さなジョウロと、植物の状態を記録する端末。
「観葉植物の水やりに伺いました。学園長室の植物は乾燥しやすいので、こまめに確認を……」
「……そうか。助かるよ」
代理は微笑み返す。
だが、その視線はセオリーの動きを細かく追っていた。
セオリーは気づかないふりをして、窓際の植物に近づき、丁寧に水を与える。
(……自然だ。しかし、油断はしない)
代理の視線が、わずかに鋭くなる。
(植物をこの部屋に配置し、水やりという名目で出入りする……。何かを企んでいることは間違いない)
(……いつ仕掛けてくる)
胸の奥に、また小さなざらつきが生まれた。
セオリーは植物の葉を軽く撫で、端末に何かを記録する。
「水分量、問題ありません」
報告しながら、セオリーはチラリと机上の資料へと目を向けた。
「ありがとう」
「いえ。では、失礼いたします」
深く礼をして、静かに退室した。




