二話 案内人 対 元邪神
「出ろ、時間だ」
留め具と二重に干渉した鉄格子が、埃舞う静寂を撃ち抜く。
「俺が飼い主の元まで案内することになっている」
と言い終わるが否や、首輪へ備え付けられた鎖が外側に向かって走る。這い蹲りながら、鉄格子の外へ身を潜らせると如何にもな男が待ち構えていた。
「ーーあ、」
俺の了承を待つことなく、無礼な案内人は鎖を強引に引き摺って行く。喉元を突く衝撃にも従順に、指折り数えながら付き従う。
『何かの間違いだ』
『金ならある』
『貴様では話にならん、上の者を出せ』
『このような扱いには断固として反対する』
『伝えて欲しいことがある』
『降参だ、降参する』
『外に出たくない』
一足先に捕食者の元へ向かった新入りの断末魔が、今も鬱々とした地下牢内にへばり付いていた。
(捕食者の前でも、虚言を撒き散らすことが出来たなら本物だな)
与えられた成功体験に則り、何十年にも渡ってゴミを蓄えた弊害か、聞くに堪えない妄言を奴らは馬鹿の一つ覚えで信仰していた。
(薬の日常的な過剰摂取による影響で、ここの魔物は絶えず肉を求める性質を持つ。)
生皮を剥がし、腸を引き裂き、乞う意識諸共脳髄を啜る。飼い主の経営方針に余念はない。与えることなく骨の髄まで利用するのだ。比喩ではない。使い捨てならば、飢えも些細な問題にしかならないのだから。
(勝者だけが、下した敗者の血肉で必要最低限の活力を補える権利を持つ。可食部の少ない老人は捨て値でいい。喜んで地を這うさ)
例え何かに秀でた部分があったとて、所詮は替えが効く消耗品。
(使い潰しても、次が控えている。)
加えて量産型の雑魚は在庫に困らない。
(飢えて朽ちるか、捕食者の腹に納まるか。)
昨日の生ゴミも俺が下した捕食者の残骸である。偽善で分け与えたところで、結末は同じく捕食者の下。
「さっさと歩け」
先導する案内人が身を翻したかと思えば、首筋を抉る凄まじい衝撃に視界が暗転した。膝を着き、目紛しく回る状況へと意識を割く。
「次はない」
と得意気に告げる愚か者へ、憐憫に似た落胆を覚えた。どうやら、芯を捉えた想定通りの手応えに、生殺与奪の権利は己にあると錯覚しているようだ。
「終わりか?」
端的に言い放ち。煮え滾る衝動への布石として、続行の意を肉体を通して淀みなく開示した。
「俺の首は、未だ繋がっているが。」
致命的な不意打ちを受けて尚もダメージの蓄積は皆無、動作に不振はない。緻密な筋肉繊維から連なる尋常ではない耐久力が、次の迅速な動作を可能にしていたのだ。
「どうした、来いよ」
まるで意に返すことなく首筋の凝りを解すと、拭えない不快感が怯えを伴って案内人の内側から顔を出す。
「俺に先手を譲ったら、後悔することになるぜ」
口角を上げて、畳み掛けるように挑発する。効果は覿面だった。
「調子にのるんじゃねぇッ!」
身を仰け反らせた案内人から飛ぶ前蹴りへ、前傾姿勢のまま抱え込むように鎖を合わせると、俺の膂力にも適応する強靭な鎖が捉えた衝撃を簡単に吸収した。
「放せッ!」
構うことなく、巻き込んだ肉塊を引き抜くように肩口で捻り切る。支えを失った肉塊はたたらを踏んで転がる。
「柔らかいな」
衰えることなく躙り寄って来る悪寒に、目の色を変えた羊は絶叫する。
「ま、待て!」
数刻前の舐めた態度が霞のように消え去り、矮小な肉塊だけが場に残った。
「俺が、悪かった。……勘弁してくれ」
「未だにその舐めた態度が拭えないのは、俺が首輪付きだからか?」
「俺は、もう戦えない。アンタに逆らう気なんて欠片も!」
「許しを乞うのなら、もっと確り言った方がいい」
鈍い光沢を宿す鎖から滴る猟奇的な質感から、凍えるような無音の中にも普遍的な秩序というものを嫌でも思い起こさせた。
「俺は、基本的に脅しをしない。無意味な茶番へ興じるだけの許容量が俺には欠片も備わっていないからだ」
巫山戯た考えを改めなければ、血と肉の宴が何の予告もなく開演するだろう。間近で利害の外側を走るその危険な性質を実感した愚か者は、凡ゆる権利を即刻放棄して絶叫する。
「申し訳ありませんでした!」
「言葉で買えるのか?お前の命は、」
俺の意図へ相対する小悪党の答えは、そこで何処までも滑稽な雑音となった。
「いいえ!払います!!幾らでも!貴方様が欲するものを、必ず!」
「へー、そうか。」
余り芳しくない手応えに、目に見えて焦燥する案内人は新たな罪状を付け加えた。
「金でも、女でも、仲間へ掛け合えば貴方様の自由を得る一助となることも可能です!私には、生かすだけの価値があります!!」
「謝罪を述べるはずが、己の要求ばかり。」
態と甚振るように翻した予備動作から、無慈悲に捉えた不愉快な提案の出処へと鉄槌を下す。
「凶行に対抗する術がこれなら、下で生ゴミを欲した老人と何も変わらない。」
砕けた下顎を庇いつつ、力なく伏した肉塊から噴き出すアンモニア臭に眉を顰める。
「すいません、すいません!」
「それでいい」
俺の前で、御託を並べている暇はない。目前には次なる凶行が既に控えているのだ。
「良い表情だ。」
真っ赤な肉塊で模る怯えが、まるで目の前の存在を拒むかのように垣間見える。
「ころさないで」
「やっと、ゴミに相応しい振る舞いというものを覚えたか」
「もう、なにも、しゃべりませんから、どうか、」
「鍵がいる、さっさと出せ」
俺が発した最初で最後の命令に、茶番を挟むことなく鍵を献上した案内人は次なる凶行に備えて平伏する。
「どうも」
そこに、抗う意思はない。
「脚をへし折られたぐらいで、終わりか。」
開錠し、鉛となった枷を放り捨てる。俺の自由度が広がったことで、地を這う肉塊の震えが目に見えて加速した。
「心配するな、俺に雑魚を嬲る趣味はない」
地を這うゴミから、血湧き肉躍る血の祭典にへと意識を切り替えた。
「命に傅くゴミ風情が、戦士の真似事か。」
戦士とは、肉体ではなく精神に宿るものだ。走る脚を失えば、腕があり。武器を握る手を失えば、口がある。自らを前線へ注ぎ込み、次の世代へとその意志を繋ぐ者のことだ。
「あいつは何の疑いもなく甘露を享受し、飼い慣らされた家畜でしかなかった。」
這い蹲る前座に幕を下ろし、次なる御馳走を瞼の裏に思い描く。
「竜を狩った偉業の前では、俺が喰らった捕食者の名も須く霞んでしまうことだろう。」
殺し合いが齎す金の方が莫大故に当事者の命は二の次で、奴隷の扱いは家畜以下だった。
地上に近付くにつれ、日の香りがした。肉体に染み付いた穢れが洗われるような心地の良い気分だった。
「儂が寄越した贄はどうだった?」
消耗品と外界を隔てるように巡る鉄の格子さえ挟むことがなかったらと、願望を交えながら唇を凶悪に歪めた。
「脚をへし折ってやった。小枝みてぇな音がしたぜ」
俺には、成せる力がある。待ち構えていた豚のように肥えた主人の前にまで移動して、不遜に竦めた肩口を乗せると、形だけの檻は容易く軋み上がる。目の前の抑止力が首輪を除いて何の意味もないことを思い知った飼い主の顔色が目に見えて悪くなる。
「お、おい、メインイベントが控えているのだ。ここで暴れるでない」
嗜めるようでいて、その声音は情けなく甲高く、威厳の欠片もない醜態であった。
「贄なら既に活きのいいものを用意したであろう!」
「あいつか?何の足しにもならない。もっと、もっとだ。もっと、俺の臓物を震わせるような、イラつくヤツが欲しい。苦労して、貰えるものがあんなゴミなら、何もない方がいい。変に暴れたせいで、逆に制御が効かなくなるだろう」
何処までも煮え滾る鬼の要求を間近で目にした奴隷商人は、清く距離を取る判断を下す。
「儂に出来る手なら尽くした、もう始まるはずだ。客の本能に応えてやれ。確認する必要もないと思うが、」
「分かっている、つまらん展開は俺も望むところではない、見せ場は作ってやる。必ずな」
歯茎を剥き出しにして、飼い主の意を汲み不利な要望でさえも快く了承する。
「今回は、以前のような展開に収まるとは限らないぞ?」
「男なら、枷を背負っている方が燃えるだろう?」
肥えた俗物が眉を顰めたのが側から見ても分かった。蛆虫には蛆虫の、獣には獣の、肥えた俗物には俗物なりの論理があり、その価値観が異なる世界の住民と交差することはない。蛆虫と蛆虫なら分かり合えるだろう。しかし、俺と蛆虫なら、肥えた俗物なら、どうなる。答えは見え透いているだろう。
「本能のままに修羅を宿す獣よ。肉を奪い合うのなら御誂え向きであるが、獣では人には敵わない。儂としては、どう転んでも美味であるがな」
忠告のような言葉を溢して、奴隷商人は去って行く。
「俺は、俺が楽しめるのなら、自分がどうなろうと構わない」
肉体の細部にまで殺意を巡らせて、血肉が待つ舞台にへと伊座参らん。




