十五話 芸術家 対 元邪神
「やっぱり殺すしかないか」
殴るしか能がない俺が打撃を多用しないのは、この肉体の強度に起因している。砕けてしまった拳では大した威力は期待出来ない。全力を出せるのは数回が限界だ。
「もう五体満足はいい、諦めた。喧しい手脚を削いでから、私が飼ってやろう。なに、有効活用するさ。血も肉も骨も、余すことなく!」
瓦礫の山から拾った礫を投げ付ける。諸手を振って力説している芸術家は肩の上の義手を掴むと、まるで刀を抜刀するように一閃する。暗闇の中で煌めく一筋の光は、易々と礫を両断した。
「もっとだ、もっと奥の本能を擽ってくれ」
一瞬の寸劇に瞠目する。初見であの速度を捌き切る自信はない。警戒レベルを更に引き上げた。強張る頬とは対照的に芸術家は不敵な笑みを零す。
「怖気付いたか?」
「笑わせるな。重荷は消えた、ここからが本番だ。心配するな、血湧き肉躍る本物の殺し合いってやつを、お前が拒んだとしても、問答無用で叩き付けてやる。」
「構わん、精々足掻け。どうか、失望だけはさせてくれるなよ」
不敵に笑って、血腥い興奮を共有した。これは一方的な感覚ではないと思うが芸術家と俺はウマが合う。
「ぶっ殺す!」
一気に踏み込んだ。芸術家の歓喜が内面から迸る。
「綺麗な目じゃ」
畳んだ義手が俺の渾身の一発を防ぐ。横へと連なる義手が地を踏み締め、膝を曲げる。右側の義手が視界を遮るように手刀を繰り出す。上半身を縦にすることで懐へと入り込み、中途半端な距離感を潰す。同時に接近戦へと応じるように芸術家も腰を落とした。
「その目には私が、どんな風に見えている?」
肉体と連動して、義手の二連撃が首と胸部を狙う。体重を背後に寄せて、拳を打つ。間に挟んだ義手が弾け、掠った血肉が飛ぶ。気が付けば背嚢から漏れ出るガスが、地下の密閉空間に充満していた。
「片目は劣化しないように保存して、残りは緩やかに観察しよう」
追撃を清く諦めて、回避に専念する。口と鼻を押さえながら不測の事態を想定し、更に後方へと飛び退くことで対応した。
「劇薬か?」
「冗談言うな、暫し自由を奪う類いの陳腐な薬じゃと思っとればいい」
今の肉体は、前とは違う。薬の類に耐性があるとは思えない。肺を締め付けて、呼吸を最小限に抑える。同時に肉体の機微にも警戒心を巡らせた。
「子鼠を処分せねばならん、戯れはお前の意識が消えるまでとする」
「陳腐な薬でこの俺の意識を飛ばせるかな?」
例え、薬によって肉体が鈍ったとしても、俺を形成する鬼の要求が衰えることはない。
「何者も逆らえやせん」
何処までも殺し合いへと結び付く血腥い本能に、呆れつつも芸術家は応えるように義手を巡らせて構えた。幾度となく渇望した縛りのないシチュエーションでの殺し合いが目の前に。興奮するなと宣う方が無粋ではないか。軽快に跳ねて、歓喜に打ち震える肉体に膂力を漲らせた。
「幽霊!負けたら終わる。ここが正念場だ。こんなに俺の真価を発揮出来る最高の舞台は他にない」
息を止めて、全身に殺意を巡らせる。脈動する肉体は血肉を啜る喜びに打ち震えていた。
「血湧き肉躍る殺し合いだ、単純明快!敵を屠った者だけが命を繋ぐ、修羅の道!」
間合いを詰めて、迎え撃つ義手の手刀の内側へと潜り込んだ。手首を掴んだ流れで、肘打ちを喉元目がけて打ち込む。寸前で義手に阻まれ、肉を打つような手応えはない。肘鉄から生身を庇った義手は、等しくへし折れ、無用な飾りへと成り下がっている。
「抑えているな?」
折れ曲がった義手へと、その枯れた腕が伸びる。
「肉体に力が伴ってない。愛らしくも、不完全なのだな」
芸術家の瞳には、殺しを伴う暴力の中でも、弛まない親愛の情が浮かんでいた。見惚れる余裕などなく、迫る脅威を目敏く捉えると邪魔な義手ごと蹴り飛ばした。
「来るッッ!」
居合いの範囲を予測し、飛び退いた。崩れた体勢からも、澱みなく滑るように抜刀した銀色の線が煌めく。
「《能力解放》《一閃》」
前回の挙動とは異なり、迫り来る軌道はとどまることを知らず。目と鼻の先へと達した一閃は、顔面の左上を削いで抜けた。
「ぐがっ!?」
勢いよく散った血潮が肉体を染める。
「おっと」
眼球が弾け飛び、眉と一緒に削がれた皮膚も剥がれ落ちる。深紅に満たされた容器に指先を添えて、状態を確認する。
「やってしもうた、流石に反応出来んか」
追撃はない。代わりに芸術家は後悔の念を、携えた。ナメた反応に眼球が潰れ、消し飛んでしまうほどの憤怒を投影しながら、グチグチと歯を食いしばった。
「ぐるぁぁっ!」
憤怒が脳天を喰い千切る。靴の底にへばりつくなけなしの理性さえもドス黒く染めて、渾身の一発を振り抜く。滅茶苦茶な動作に巻き込まれた膝は、伸縮する筋肉に挟まれて砕けた。崩した体勢を庇うことなく、殺意の海へと身を投じる。
(敵の不測の動きに何の対応も出来なかった。情けない。ここで引いたら負ける。片目を犠牲にして手繰り寄せたこの隙を逃したら、俺は終わる)
無駄な抵抗だと、羽虫でも払うかのように外側から無作為に義手が走る。迎え撃つ手刀にも俺は止まらない。
『無茶です、一旦待避を!』
「俺を信じろ!」
体勢を変えて、右肩を引く。首を刈る軌道には、左腕を合わせた。肉と義手が溶け合い、易々と断ち切られた血肉が爆ぜる。視界を遮る真っ赤な幕には頭から突き破る。一瞬の暗転は敵にも同じく、効果的である。
「あああっ!勿体ない!」
『悪鬼殿っ!!?』
何の躊躇いもなく腕を犠牲にして、潜り込んだ懐に左肩を捩じ込んだ。
「一発で決める!!」
喉元へと一点集中。両脚に全身全霊で膂力を溜め込む。脈動する筋肉が、敵の血肉を欲して皮膚の下を蠢いている。
「ォォォッ!?輝きが増した!!?」
俺の渾身の一発へと繋ぐ予備動作を前にしても、芸術家の余裕は崩れない。ぶっ殺せと、鬼の怒号が脳天を貫く。強者の余裕を最大限に利用した一発。極限まで引き絞った右腕を、自ら手放す覚悟を持って振り抜いた。
「ォッ!?」
視界を遮る義手を貫き、肉と肉が激突する悍ましく鈍い音が地下を駆け抜けた。驚くことに、芸術家の肉体は俺の渾身の一発を受け止めて尚も、衝撃を吸収し続け、抗っていた。その驚異的な強度に、貧弱な腕を易々と軋み勢いを失ってゆく。
「折れるな、決め切れ!」
肉体的苦痛は些細な問題でしかない。痛々しく露出した腕に構うことなく、更に肩を捩じ込んだ。繊維の感触さえもぶち抜く衝撃に、芸術家は遂に白目を剥く。打撃が食い込んだ首は数センチの伸縮を繰り返し、無防備な下半身は地面へと吸着し、貫いた衝撃は芸術家の肉体を悉く破壊した。
『まさか……』
肉を穿つ破壊力の反動で芸術家は瓦礫の山へと吹き飛ぶ。砂塵が舞い、壁が崩落する。同時に耐久値を超えた右腕は木っ端微塵に砕け散った。肩口の筋肉となけなしの骨が肘関節部分まで残っている。
『勝ったのか』
「さっさと、逃げるぞ」
肩口付近の筋肉に集中し、意図的に締め付けて止血を施す。大量に出血したことに加え、薬の影響で意識が朦朧とする。歯を食いしばって、身を引き摺る形で出口へと向かう。視界の片側は暗闇に覆われ、鉄の味がした。
『いいえ、トドメを刺すべきです。ここで敵の主戦力は削いでおきたい』
「この俺に、指図するな」
『この好機を逃すことが、何を意味するのか分かっていますか?』
小賢しい意図に喉元へと募った暴言は放出することなく、唇を噛み締めることで堪えた。
『顔も割れている、敵の影響力を考えるべきだ。今なら、簡単に芽を摘むことが出来るんですよ』
特定の場合を除いて、凡人とは都合のいい解釈を用いり、自我を保つ脆弱性を持つ。
「俺には異世界の知識が不足している。何がどうとか、図れるレベルにはいない。だから吟味する必要がある。不足した情報で、更に手札を隠すお前が、さも俺と同じ立場かのように喋るのは心底不愉快だ」
幽霊も芸術家も似たような組織に属している。幽霊は組織に都合のいい正義を、芸術家は己の欲を、優先して披露した。俺は自由を欲している。俺は真実を好み、綺麗事で陽動する詐欺師は好まない。光と闇は必ず存在する。表面にだけフォーカスし、目を輝かせるのは無知な愚か者だけだ。
「教えてくれ。契約と、芸術家の首に、何の関係がある」
『異教徒の首魁の討伐及び捕縛が契約の最優先事項ですが、私は世界をより良いものへと変えたいのです。様々な要因から苦悩に苛まれる人々の救いになりたいのです。こんな場所で畑を耕して、小銭を稼ぐ三下より、大元を断つことの方が重要ではないですか?』
「ハァ、ハァ、クソ、詐欺師め」
上辺だけの問答に虫酸が走った。朦朧とする意識が宙に浮いたかと思えば、眼下に迫る地面へと叩き付けられる。這い蹲って、前を向く。
『命を弄ぶ者と、私の言葉が同等に扱われるのは癪です』
初めて幽霊の朧気な輪郭が利害を超えて感情を顕にした気がして、血濡れた唇は凶悪な笑みを象った。
「綺麗事で誤魔化すのは、愚か者の前だけにしてくれ。俺は真実にしか理解を示さない」
安堵がトリガーとなり、抗い難い睡眠欲が纏わり付いて来る。甘えた要求を噛み殺して、鉄臭い闘争の残り香に舌鼓を打つ。
「ヒヒヒ、死んで、死んでたまるか。俺は、新天地へ、必ず」
蛞蝓のように這う軌跡を僅かな光源が妖しく舐め付ける。絶え間なく瀕死へと陥る過程を前にしても、未だ鬼の要求は健在である。
「何処へゆくつもりだ?」
聞き覚えのある声に背筋が凍り付く。
「ちくしょう」
犠牲にした腕へと視線を漂わせて、血反吐を吐くように毒突く。瓦礫の山から身を乗り出しながら、芸術家は飲み干した瓶を鋭く投げ捨てる。
「喉は潰した筈だ」
意識を断ち切った感触も肉体には残っている。俺と同じ不死身なのかと、考えて首を振った。
「薬か」
「いい攻撃だったぞ、肝を冷やしたのはいつぶりか」
片目と両腕を失い、追い討ちをかけるように砕けた膝はダメージの蓄積に屈してしまった。
「潮時じゃな、鼠を捕まえに行こうかの」
「待て」
先へ行った同居人の影が凄まじい焦燥感を伴って、瞼の裏に再燃し、この身を容赦なく炙った。芸術家の索敵能力は如何程か、同居人が無事に逃げ果せるだけの時間は幾らか。右へ左へと眼球が揺れ、見透かされるだけの虚勢を舌に乗せた。
「俺はまだ戦える」
「やめろ」
「俺と、戦え」
砕けた膝には信念を焚べて、満身創痍の肉体に鞭を打ち芸術家の行く手を阻む。
「そう己を粗末に扱うな、私は悲しいぞ」
澄み切った純度百パーセントの殺意を浮かべて、噛みちぎる筈の口は義手を前に易々と封じられてしまう。追加の蹴りも絡め取られ、一切の身動きが取れない。
「……離せ、噛み殺してやる」
血肉が絡む口で、衰えることのない殺意を紡ぐ。溜め息を零す芸術家を映す視界がブレて、口内で濁音が踊った。
「止血はしておくか」
磔にする義手が上からの拘束を強める。首を回して睨むと、毒々しい液体を内包した瓶を芸術家の手に握られていた。
「染みるぞ」
「ヴぅぅぅッー!」
断面に液体を塗され、苦悶の声が滲む。自然治癒力が爆発的に高まり、患部を新しい皮膚が覆う。刺すような、焼けるような、激痛にのたうつ。霞む視界の中で、芸術家の凶行が映る。背嚢から抜いた五十センチはある楔を、両膝の裏に打ち付けたのだ。
「お利口にな」
拘束が緩んだ隙に視界を確保するが、時既に遅く芸術家の姿は忽然と消え去っていた。敵の格の違いに天を仰いで愕然とする。
「今の俺では、相手にすらならなかったか」
顔面を叩き付けて、屈辱を紛らわせる。片側を覆う鉄臭い幕が唇を侵食する。強引に膝を立てて、試行錯誤するが食い込む楔はビクともしない。
『惜しかったですね、しかし悲観することはありません。これは敗北ではない。首の皮一枚、辛うじて繋がったのですから』
同居人へと迫る悪意に、焦りから腕の断面を乱暴に付けて首を振った。脳内が警鐘を鳴らしているのだ。無茶に扱えば、恵んで貰った情けが無駄になってしまうと。
『不測の事態の連続だった。私の思い描いた計画に、あぐらをかいていたら悲惨な末路を迎えていたことは間違いない』
「だから何だと言うのだ、敗者には何の価値もない」
満身創痍の肉体に、重くのしかかる責任。多少の不利益なら覚悟の上だったとは言え、満足に戦えないことだけが胸の内に刺さっていた。
『私の命を守り抜いたではありませんか』
「くだらん」
何かを成すには、何かを犠牲にしなければならない。楔を抜くことは諦めて、己の膝へと意識を向ける。食い込んだ楔の反し部分から、失う肉の量を想定する。
「本気でこんなものでこの俺を縛り付けられると思っていたのか」
俺にとって肉体的苦痛は些細な問題でしかない。膝を浮かせると、肉を抉る反しが膝をズタズタに食い破る。血飛沫が絶え間なく飛ぶ。
「くだらねぇ」
歯を食いしばって、反しに絡む肉ごと楔をぶち抜いた。理性を削るような荒々しい音が地面を打つ。両膝から噴き出す鮮血に構うことなく、這いずる。楔から始まった軌跡には、夥しい数の血痕がこびり付いていた。
「敗者は死ぬべきだ。この俺が情けで命を繋いだことが、何より許容出来ない。」
『死んでいないと言うことは、負けていないことの証明にはなりませんか?』
「最悪だ、どう解釈しようが、この激情は贖えない。」
噛み締めた唇は受けた屈辱に比例して、流血の量を増した。満身創痍な肉体の中で比較的無事な膝と顎を使って階段を這って登る。
『同僚の助けは少なくとも数日後になる、この窮地は我々だけで対処しなければいけません』
ハナから有象無象のことなど当てにしていない。意に介することなく、上へと只管光へと手を伸ばす。
「この身一つ、俺は絶対に折れない。どの道やつを殺さない限り、自由にはなれない。急いで、同居人と合流するぞ」
『私が忠告しても、アナタは意に介さず向かうのでしょうね』
「幻滅したか?」
『支持はしない、でも好ましくは思います』
と苦虫を噛み潰したような声音で紡ぐ幽霊を、嘲笑うように喉を鳴らした。
「世辞はいい。有象無象が何と言おうが、俺は己の道を突き進むだけだ」




