十一話 契約
「そうか、殺して欲しかったのか。なら、望み通りぶっ殺してやるよ」
擽る不快感に肩が吊り上がる。鉄格子へ近付いてゆくと顎に手を当てて、眉を顰める異常者が居た。
「住宅街……廃墟に海……これは何ですか?幼いアナタが見える」
「何の話だ」
脈打つ殺意を引き絞るように肉体を反らせる。
「ある辺鄙な田舎町に一人の異端児が誕生します」
ペースを握られ、天を仰ぐ。
「……抽象的過ぎ」
小言は影の下へと消えた。
「彼は人間の心理を紐解くことに長けており、縛る枷を殺し合わせることで自由を手にします。消耗品を撲殺した蛙は法に裁かれ、周りのゴミを掃除し終えた彼は晴れて孤児となりました」
まるで俺の口調を流用したような言葉に違和感を覚えつつも、『大変だねぇー』と適当に相槌を打って聞き流した。
「掃き溜めを転々とする内に、身体機能や強度が常人より優れていることと、人間を破壊することに爽快感を覚えることに気が付きます」
「いい傾向じゃないか、ぶっ殺してやれ」
「しかし、彼には一つの枷があり。衝動を阻害してしまうのです。正義です。二律相反した衝動は彼の精神を粉々にしてしまいます。それでも正義の貞淑な信者だった彼は余りある怒りを抑え、矮小な者共の意思を尊重する愚行を積み上げます」
饒舌に回る話にも熱が篭もる。雲行きが怪しくなるにつれて、別の熱気が噴き出す。
「己を律し、善を成す。彼の前を欲に濡れた家畜が闊歩します。稚拙な要求の為に他人を食い殺す。神をも恐れぬ所業の数々に。彼の枷は必然的に存在意義を見失ってしまった」
目の前の偉丈夫は俺の信者には見えないが、話には十分に身に覚えがある。今でも蘇る。底辺の中の最底辺。苦悩することを生業にした、哀れな蛙の子。苦虫を噛み潰したような顔は、俺の怒りまで共有している弊害か。
「はじめまして、アナタの理解者です」
「ああ、魔法か」
脳内への干渉や胡散臭い話にも異世界独特の世界観を持ち寄り納得した。最低限の受け答え以外は何もすることなく、注がれる憐憫の情には溜め息を零す。
(暮らしに余り不満はない、何より何者も俺は信用しない)
半目で捉え、危険はないと判断した。無気力、無感心を貫き、闘争以外には何の興味も示さない。脱力して、麻袋に沈む。
(殺し以外何もない一文無しに求めることの凡そは、想像がつく)
楽観主義者は力の及ばぬ事情に対し、何かに秀でた者へ対価を支払い、協力を仰ぐ。盲目に従い、不利益を度外視する。何かを信用する時は、その何かの考えと野心には目を光らせなければならない。故に想像力の足りない、楽観主義者は上に立つべきではない。
(俺を従わせるには、楽しみを提供出来るかが重要だ)
ジメジメとした薄いストレスの影響で前頭葉が痛む。眼下で戯ける肉には否定的な目を向けつつ、最底辺の環境で麻袋を手に寛ぐ。
(俺は別に何時間でもこのままでいい、静かな方が眠れる)
有象無象の前で心休まることはないが、嫉妬や羨望、好意に小物らしい虚栄心の扱いには慣れている。鬱陶しい視線を無視して仮眠を取ることにする。家畜の行動原理とは至極単純であり、俺の予想の範疇で生活しているのだ。
「あっ、」
空気を良くしようと何を考えたのか、ハッと思い付いたように唇を震わすが、漏れる吐息しか形になっていない。
(打てば響くとでも?ハッ、馴れ馴れしいヤツよりはマシか)
べたべたと馴れ馴れしく機嫌を伺う人間には、エサを前にした動物のような浅ましさが垣間見える。利益のみを追求し、成功しか眼中にない。盲目的な癖に野心家で、大局を見据える力もない木偶の坊である。
(コイツは少し種類が違う気はするが、大した違いもないだろうなとも思う)
中身を推し量るには時間が足りていないが、別に本性になど興味はない。最悪の場合を想定し、策を講じることに意味がある。善意など俺の前では須らく無価値、ゴミ同然だ。
「戒律は全てを統べる全能の力。記憶への介入など造作もないのです」
剥き出しの乳房を、自然と目で追ってしまうが何の感慨も浮かぶことはない。口は災いの元、上辺だけの馴れ合いは不誠実である。
「凄いね、便利で羨ましいよ」
この身一つの俺に魔法は使えない。軽薄な言葉の応酬に拒否感が喉元を締め付けるように絡み付くが、異世界人が扱う魔法の汎用性には嘘偽りなく感心しているのもまた事実。
「えへへっ」
褒め称えられ、控えめに頬を綻ばせる。鉄格子へとしなだれかかる柔肌が溶け合い、眼下に映る肉も二割り増しに感じる。
「嬉しい、アナタだけじゃ不公平だし私の中も覗きますか?」
肉が喋っている。事実として俺の目には人の形を模した肉としか映っていない。常人ならば好意を受けて浮かぶ好意や信頼と言った感覚は、とうの昔に削ぎ落とされてしまった。
(無駄は省きたい、茶番は求めてない)
脱力したままの体勢で頬杖を着き、早く本題に進めと無言で目を細めた。
「お喋りはダメなんですねぇ……」
膝を折って鎧へと手を伸ばす女の体躯は、甲冑を着込んでいた時と比べて心做しか縮んで見えた。
「ちょっと待っててくださいねー」
一頻り漁り終えると掴んだ羊皮紙を揺すって、一際大きな文字を指でなぞる。血塗られた異界の文字の羅列は俺に読み解くことは出来ない。
「簡単な話です」
人差し指を勿体ぶって揺らす。とは言え内容には大体の予想が付いているので、次に放つ言葉でも考えながら、眠り易いように首の位置でも調節して待つ。
「アナタの欲する自由を手にする対価は異教徒及び首魁の討伐のみ。他にアナタを縛り付けるモノはありませんし、縛るつもりもありません」
「異教徒ねぇ、外に出してくれるのか?」
血塗られた契約書を鑑みると、異教徒は目の前の女の方ではないだろうか。別に自由の為なら何人だろうと殺せる俺にとって、何が正しくて何が悪だとかは些細な問題であるのだが。
「ええ、目的を達成した暁には自由を差し上げます」
巫山戯た回答に口を一文字に結ぶ。囚われの身では暗殺どころか外部との接触すら稀だ。募った不信感と共に、獲物を吟味する肉食獣のような目が鉄格子を貫く。
「精神を繋ぐのです。身体は自動的にアナタへ譲渡されます。もちろん、使い潰してもらって大丈夫です。覚悟の上ですから」
じわじわと眉間に皺が寄る。信憑性のない宣言に更に腰が深く沈んだ。
(使い潰していいって?にわかに信じ難い話だ)
凡人とは何かと特別に成りたがる。陳腐なシチュエーションも、ドラマチックに演じたがる。口にする言葉の大半は自分のことだけで、相手は二の次。所詮は中身のない家畜が健気に着飾ったり、悩むフリをしたりして雰囲気に酔っているに過ぎない。
(心底くだらん、何の信憑性もない。矛盾しかない、大根役者には毒しか湧かない)
踏まえたうえでボロ雑巾のように廃棄されることを本当に了承しているのだろうか。必ずしも最高の結果にはならない。むしろ無意味に朽ち果てる方が自然だ。
「十中八九死ぬぞ」
俺は己の命を顧みない。例え不死身ではなくとも、俺の行動に矛盾は生じない。度重なる闘争に肉体は癒えぬ傷を負い続け、次第に機能しない肉の塊へと成り下がるだろう。
「大義に犠牲は付き物。我々は大局を見据えているのです」
余命宣告を受けても尚揺るぎない信念がその目には宿っていた。
「クックック」
息を吸い、腰を据えた。泥だらけの床と同じ色が肌を侵食する。
「……命を握り締める詐欺師の次は、イカれ野郎の登場か。言いたいことは色々あるけど今はいいか」
愉快で爽快で、こうも最高に心躍る内容は他にない。例え不利益を隠蔽していたとしても、これなら悔いはない。来る最悪を想定しても、利益が上回ると判断しただけのこと。俺は楽しければ死んでも構わない。
「いいよ、やる。異教徒だろうが、家畜だろうが俺の裁量でぶっ殺してやる!」
「おっ、ノってきましたね」
「カカカッ!不満だったんだ。俺の闘争は俺の娯楽であって、有象無象の娯楽じゃない。ぶっ殺すヤツは俺が決める。俺は命令されるのが一番嫌いなんだ」
鉄格子に溶ける柔肌へ暴力を体現する掌を差し出す。赤黒い皮膚には傷痕のない場所を探す方が難しい。目を輝かせる姫騎士は野蛮な肉を掌で包んだ。
「これから、よろしくお願いします!」
腹の下の悪意を巧妙にひた隠して善意に擬態する。一ミリ足りとも心動くことはないが、首を折り貰った礼儀は返す。
「お願いしまーす」
ニコニコと軽薄に笑う。
(この俺を簡単に利用出来ると思わないことだ)
好意的な言葉の裏に信頼などない、利害の一致で利用し合うだけの関係だ。俺は牙を研ぎ続ける。腸を晒した瞬間、陳腐な企みごと容赦なく喰らってやる。
「少しずつ同化していくと思うので、今日はゆっくり休んでください。では、」




