十話 来訪者
女性を軽視した表現があります。
(腹が減った。クソ、腹の足しにでもすればよかった)
一過性の充足感で、下した亡骸を貪る権利を放棄してしまったことに、薄皮を毟るような不満を抱く。深い呼吸で肺を満たして、イラつきを紛らわせる。
(血肉を啜る。勝者の特権を放棄したのは、命を賭して戦ったヤツへのせめてもの手向けだ)
傷は癒えても闘争の痕は消えない。故に経験とは何物にも変え難い財産である。自分の身を顧みない攻撃は結果的に自滅を招いてしまったが、身を削らなければ骨を断つことは難しい絶望的な局面へと奴は身を投じていたのだ。
(俺の意識を断ち切るには、諸刃の剣を使うしかなかった。ジリ貧に陥れば、不死身の俺に軍配は上がる)
苦肉の策に命を懸けた詐欺師の意志を紐解いて、泥だらけの脚が浮き沈みを繰り返す。
(俺の方は最高だった。まァ、予想通り新入りは全滅か。静かで助かるが、弱者で終わってしまったのは残念だ)
姦しかった凡そ数十人の奴隷が消え、牢屋内は伽藍堂としていた。
(他人を食い殺して肥えた家畜は魔物のエサに、お似合いの末路だな)
偽善者は命を乞うて、小悪党は俺に傅け。脅しや暴力、洗脳に金、倫理観や肉欲でさえも俺を縛り付けるには、決定的に何かが足りない。俺が欲するモノは凡人には理解し難い退廃的なモノだ。
「《戒律》《制裁》」
第三者の介入により、噎せ返るような閉鎖空間に突如として発生した旋風が、鉄格子を貫く。休息していた者共の思考を鈍化させて、抗えぬ眠りへと誘ってゆく。
「あれ、ふらつくな」
動作に綻びが生じて、尻餅を着いてしまった。鈍い感覚では何も感じることはない。
(眠いけど、抗えるな。なんだ、これは)
暗闇に目を凝らすと、薄く人間の輪郭が鮮明になる。侵入者に不信感を募らせながらも、一石を投じてみることにした。
「やァ」
僅かな光源が揺れ動く朧気な人影を露にする。
「おめでとう」
パチパチと偉丈夫が賞賛しながら緩慢な動作で近寄って来ると、俺の前の鉄格子にもたれかかった。
(殺せる)
あえて挑戦的な距離に身を置く騎士には、凶行に対処する術を持つ絶対の自信が伺えた。
「素晴らしい闘争だった。とどめを刺し忘れたことを除けば、ね。竜殺しはあのあと一命を取り留めたらしいわ。凄まじい生命力だとは思わないだろうか?」
無防備な姿に殺しの手順を無意識にシュミレーションしてしまう。鉄格子へともたれかかった腕を掴み、牢屋に引き摺り込む。鉄格子を軸に反対方向へ力を加え、腕をへし折る。そして命乞いをする家畜の頭をかち割ってやるのだ。
(殺したい、どうしようか。相手は侵入者。咎められることもないが、殺しても大した旨味がないか)
暴力的な衝動を発散することは清く諦めて、鎧の細部でも眺めることにする。
「どうでもいい、アイツが死のうが生きようが関係ない」
俺と部外者を隔てる檻の中に自然な動きで手が伸びる。
「ん?」
一瞬目の前の掌は何の意図なのかと、不思議に思うばかりで理解が及ばなかった。硬直した脳内で疑問符を噛み砕き、やっと気が付いたのは、優しげな眼球を三往復した後だった。殺気渦巻く鉄格子を越えて、無防備の善意がぶら下がっている。
「姫騎士と申します。悪鬼殿」
目の前の偉丈夫にはゴミが蔓延る最底辺には似つかわしくない、信念の為なら命を擲つことも厭わない確かな品格が備わっていた。
「要件は?」
と奴隷へ名を名乗る高尚な好意を躊躇うことなく突っ撥ねる。妖しく点滅する鉱石が鬱蒼とした不気味な雰囲気を醸し出す。
「少しは親しみを持ってもらわないと困りますねぇ。これから苦楽を共にする仲になるのですから」
「親しみ?」
どこまでも侮辱的な失笑が漏れた。次第に唇が真っ赤な塗料に彩られる。視線だけを寄越す鉄の下は伺い知れない。
「お前にか?」
嘲りに合わせてベチャベチャと血肉が雑音を奏でる。
『女にか』
『他人に運命を委ねるしか選択肢がない肉体的弱者』
『同列に扱われること自体不愉快』
『道具に愛着が湧くような価値観など持ち合わせがない』
喉元に最低の言葉が募っては寸前で形にするのを拒む。
「…フゥ、悪い癖だ。少しは愛着を持って接すべきだよなァ。あー……到底ムリな話だ」
俺の眼球、深層意識は他者を肉と識別する。生憎と肉塊相手に情を向けるような感受性なら靴の底にへばりついている。
「血が出ていますよ」
何の感慨も浮かぶことのない馴れ馴れしい指摘を、無関心に省いて思考の海を漂う。
「目障りだな、用があるならハッキリ言えよ」
無言で目配せを送って来る愚か者を睨み付けた。有象無象の『悪意』は笑えるが『善意』には反吐が出る。巧妙に隠したとて、俺の目には魂胆が見え透いている。
「何人殺して欲しいんだ?」
「悲観しないで、凄く名誉なことなのよ」
力説する名誉とやらには悪いが善悪の定義に興味はない。ムカつく奴はぶっ殺すだけだ。有象無象の無価値な許しや共感を得たところで一体何になると言うのだ。命の尊さやら、矛盾込みの慰めは逆効果でしかなかい。
「重要視するべきは自分の目であって、何の信憑性もないクソ共の目じゃない」
ぶっ殺しの対象は万人にも適応される。例え相手が他者にとって良き隣人であったとしても俺には関係ない。放つ侮辱の言葉にも拍車がかかる。
「名誉じゃ俺の渇きは癒せない。態度に誠意が感じられんな、道具なら道具らしく踊ったらどうだ?少しは愛着が湧くかもねぇ」
高潔な騎士を売女のように扱い、げへへと下卑た視線を向けた。品性の欠片もない暴挙を前に激高するも良し侮蔑するも良し、何か本心が垣間見える気がしてワクワクする。
「はい」
姫騎士は何の躊躇いもなくベルトに手をかける。フックを外すと鎧の胴体部分が地面に落下した。打ち付けられる落下音からかなりの重量なのが伺える。
「どうかしら?ねぇ、好きにして」
下着へ手を付け、乳房を露出させると悩ましげに網目状の鉄格子に寄せる。
「意味不明」
開いた口が塞がらない。確かに踊れとは言ったが、手が届く範囲内に身を曝け出すとは夢にも思っていないかった。行動には『絶対に安全だ』と謎の信頼が垣間見えている。
「俺のことを、人は狂人と言う。なァ、アンタの目には何が映っている」
今の俺は『邪神』ではない。最底辺の『奴隷』であり『狂人』なのだ。眼下の光景は『狂人』に対する対応とは思えない。何故なら、有象無象が俺の前に身を曝け出すことは絶対に有り得ないからだ。首輪がなければ、怯えて満足に意思の疎通を図ることも出来ないだろう。
(何故逃げない。簡単に殺せる、致命傷を負わせるのはもっと簡単だ)
白い柔肌が鉄格子の間で形を変える。指を沈め込ませれば心臓へは一直線に辿り着く。脆弱な人間なら即死だ。
(関係ない、何も考えなくていい、ぶっ殺してしまえ!心臓を抉り出し!血肉を啜れ!命乞いを鳴らせ!)
愛撫する為ではなく殺す為に踊る指先を、両腕にぶっ刺して押さえ付けた。
(ダメだ)
暴れる掌を抑え込み、殺しを渇望する内心に未練がましく首を振った。
「自制しようと、しているのですか?ここの住民にはない傾向ですね。何に見えているのかという話でしたね。私はアナタに情緒を、心を感じるので、人として接していますよ」
外した冑から金髪が零れ落ちる。好意以外は澱んでおり、常時貼り付けている含み笑いが陰湿な印象を相手に与える。
「ぐぐぐぐぐ」
犬歯を剥き出しに唇を噛み締める。緩んだ唇から唾液が飛ぶ。眼球に理性の色はない。意図が伝わっているのか、いないのか、姫騎士は小首を傾げて能天気に笑っている。
「ゥーッ、ゥーッ」
腕を貫通する指先が骨に到達した。どくどくと溢れる鮮血へと首を捻って舌を伸ばす。味覚はぶっ壊れており、魔物の肉の影響で雰囲気しか感じられない。
「足りない、渇きを臓物で満たしてやりたい」
どストレートの殺害予告を受けても、眼球には無条件の好意だけが不気味に映っていた。
「心配しないで、大丈夫だから。周りは魔法の影響を受け、朦朧としているはずです」
基本的に脅しはしないし、殺しも躊躇わない。冷え切った心に情が入り込む余地などない。無償で信頼するなど以ての外だ。
「ダメかな?」
最悪の空気を何処吹く風と、肘で乳房を協調する余裕すら姫騎士は覗かせる。否が応にも崩れた柔肌が目に入る。掴めば、何の抵抗もなく中身は裂けて溢れ出すだろう。
「何が?ハッキリ喋ってくれよ」
狂気の巣窟で身を庇うどころか、無抵抗に曝け出すその肝の据わりようは俺の目にさえ異常に映った。
「他者に委ねるな。受け身の抽象的な表現で、意思を汲み取って貰えるとでも?俺にはお前を尊重する気が一ミリもない」
運命を他者に委ねる臆病者に何かを批判する資格はない。秩序を維持する過程で、民衆の意見は何の価値もない。正しいと思ったことを、烏合の衆の意見で捻じ曲げる人間こそ信念のない詐欺師だ。
(ストレス発散出来ない殺しはしない、俺はやりたいことしか、やらない)
嘲る気も善意に煽られ、忽然と消え去る。一貫して尖った言葉を包み込む器量と自分の狭量さを比べて、酷い吐き気を覚えた。
「じゃあ、私にできることはありますか?」
嗚咽を噛み締める拒絶反応の横で心配の情が乱入し、口がへの字に曲がった。
「ウザい、少し黙れ」
瞼を閉じて、深く息を吸って平静を保つ。俺は殺し方にも趣向を凝らす。陳腐なシチュエーションは見飽きている。要求に大義名分は必要ないが、人摘みの悪意が入り込まなければ爽快感は感じ難い。
「冷たいね」
そう言ってこうべを垂れて唇を突き出す。どうやら俺の消えて欲しい思いとは裏腹に長居するつもりらしい。
「ここから出たいでしょ?だったら私を少しは受け入れないと」
軟体生物のような柔軟さで鉄格子にしなだれかかり、ジロジロと様子を伺って来る。
「……少しだけ覗かせてもらうわね」
不穏な言葉にも、片眉を曲げつつ無関心を貫いた。
「おい」
しかし拒絶の空気は物理的に瓦解する。飛来した針が寸分たがわず俺の首筋へと刺さったのだ。
「《共鳴》」
鈍化している脳味噌が何らかの影響を受けて振動した。影響を受ける前に、手早く首筋の針を摘んで外す。一連の流れを敵対行為と看做して、壁に手を付き臨戦態勢に入る。
「そうか、殺して欲しかったのか。なら、望み通りぶっ殺してやるよ」
擽る不快感に肩が吊り上がる。鉄格子へ近付いてゆくと顎に手を当てて、眉を顰める異常者が居た。
「住宅街……廃墟に海……これは何ですか?幼いアナタが見える」
「何の話だ」




