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第11話 学園祭の影

 聖痕学園は今、一年で最も騒がしい季節を迎えていた。

 来週に迫った「聖痕祭」に向けて、校内には魔法のバナーが踊り、出し物の準備に励む生徒たちの熱気が充満している。


 そんな喧騒の中、駆はクラスの出し物である「魔導カフェ」の重い資材を一人で運んでいた。

「おい、黎明! その鉄材、裏庭まで運んどけよ! 魔法が使えないなら馬車馬のように働け!」

「……了解」


 クラスメイトの嘲笑を背に、駆は淡々と応じる。彼にとって、周囲の評価などどうでもいい。それよりも、最近自覚し始めた「記憶の綻び」が、薄氷を踏むような不安を胸に広げていた。


(昨日の夜……俺は何を掃除した? ……思い出せないのか?)


 九条さんの警告が、冷たい刺青のように心に刻まれている。

(大丈夫だ。まだ、陽葵に関することは、覚えている。……)


 ***


 その日の夕方。帰宅した駆を待っていたのは、いつになくソワソワして、顔を真っ赤にした陽葵だった。


「あ、おかえりなさい、お兄ちゃん! あのね、学園祭のメイド服……サイズ確認しなきゃいけなくて……見て、くれる?」


 陽葵はもじもじしながら脱衣所へ駆け込んだ。

 数分後。扉がゆっくりと開き、そこから現れたのは――清楚と可憐を煮詰めて爆発させたような、至高のメイド姿の陽葵だった。


「ど、どうかな……? 変じゃないかな……?」


 膝丈の黒いスカートに、雪のように白いエプロン。清楚なデザインだからこそ、陽葵の透明感と、健康的なスタイルの良さが強調されている。


「……っ」

 駆は言葉を失った。心臓が、影の王と戦っている時よりも激しく鼓動を刻む。


「……似合って、る。似合いすぎてて、言葉が出ない」


「えへへ……よかったぁ。……あ、あのね! 私、接客の練習もしたんだよ? クラスの男子がね、『これこそが男子が泣いて喜ぶ、究極の癒やしメニューだ!』って教えてくれたの。……お兄ちゃん、ちょっとお客さん役になってみて?」


 陽葵はスカートの裾を指先でちょこんとつまみ、エレガントなカーテシーを披露した。そして、顔を上げた瞬間に、とびきりの――けれど、どこか慈愛に満ちた「聖母のような微笑み」を浮かべる。


「おかえりなさいませ、旦那様。……お疲れではありませんか?」


「ああ……。最高の癒やしだな……」

 駆がそのあまりの眩しさに目を細めた、その直後だった。


 陽葵はスッと冷徹な(しかし本人は至って真剣な)表情を作ると、扇情的に首をかしげ、鈴を転がすような鈴鳴りの声で、とんでもない【核弾頭】を投下した。

「――この豚野郎。……私の足の匂いを嗅がせてあげますから、今すぐそこに跪いてくださいますか?」


 清楚な妹の口から、上品な敬語で放たれた、最上級の罵倒。

「…………ブッッッッ──!!!!!!」

 駆の口から、全米が震撼するレベルのコーヒーが噴き出した。

 コーヒーはリビングの天井を突き抜け、二階の床まで届かんとする勢いだ。駆は顔を押さえ、ガクガクと震えながらその場に沈んだ。


「お、お兄ちゃん!? 大丈夫!? やっぱり、もっとドスを効かせて『豚野郎』って言わなきゃダメだったかな!?」


「陽葵……っ! 誰だ……! 誰がそんな、マニアックな性癖を……お前に吹き込んだ……っ!」


「ええっ!? クラスの男子たちが、『これは高貴な女性が、迷える下民男子達を救済する時の聖なる合言葉なんだ』って言ってたよ? ……あ、他にもあるんだよ? お兄ちゃん、まだ立てる?」


 陽葵は心配そうに駆の顔を覗き込み、さらに自称「究極の癒やし」を継続しようとする。


「えーっと、次は……『いいですか? ……もしこれ以上、私の足に触れたいなどと浅ましいことを口にする気なら……このヒールで、テメェの理性が壊れるまで、じっくりと踏み潰して差し上げるわ……』」

 陽葵はスカートを少し持ち上げ、華奢な足を差し出しながら、どこまでも清らかな笑顔でトドメを刺した。


「…………(絶命)」


 駆は白目を剥き、そのまま幸せそうに(?)霊界へと旅立った。

 リビングに、陽葵の「お兄ちゃん! なんで白目剥いてるの!? まだ『首輪をして四つん這いになれ』って台詞が残ってるのにー!」という叫び声が虚しく響き渡る。


 ***


 深夜。天井のコーヒーの後を影で消し去った駆は、陽葵の寝顔を確認し、窓から闇へと身を投じた。

 陽葵の「メイド服を着て、無邪気に最悪の暴言を連発する笑う明日」を守るために、彼は今夜も、記憶の欠片を燃料にして影の獣へと変貌する。


 数分後、街の外縁部で魔導テロリストたちを「掃除」し終えた駆。


(……あれ。……俺は、今日、陽葵と何を約束したんだっけ)


 一瞬、思考が真っ白に染まる。

 陽葵のあの恥ずかしそうな、それでいてどこか冷たい(と吹き込まれた)笑顔。

 何か、とんでもなく不謹慎で幸せな「救済」を約束された気がするのだが、その詳細が、影の力を振るった代償として霧のように消えかかっている。


 九条さんの「次に忘れるのが陽葵の名前だったら終わりだ」という言葉が、駆の耳元で鳴り響く。


 学園祭の準備で沸く聖痕学園。

 その片隅で、神代焔が不敵な笑みを浮かべていた。

「……正体不明の『黒き獣』。学園祭という大舞台で、貴様の化け物の皮を剥いでやる」


 忘却の序曲は、今、本奏へと変わろうとしていた。

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